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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第91話:塩浜燃料店の原点、あるいは定食屋のまかない

走る鉛筆の線が、預かったスケッチブックの線を思い起こさせる。


あの、くいっと上がっていた口角は、照れ笑いの癖だろうか。

特徴的な目尻のシワは、暑い日も寒い日も働き続けた日々の記録だろうか。

 

『……これからは自動車の時代だって、有り金はたいて小さな燃料店を始めたんだ』


塩浜さんの記憶は、きっと絵の大切な『素材』になる。

俺は、そう考えて、レッスン後のわずかな時間を使って、瑞恵さんや塩浜さん自身の思い出を聞かせてもらうことにした。


噛みしめるように懐かしむ、老人の断片的な記憶。


『これからは自動車が産業の中心になる、と意気込んだが……

なかなか上手くいかなくてな』


『瑞恵はな、いつも行く定食屋の店員だったんだ。

……会社がどん底でも、あの笑顔に、ワシは救われた……』


塩浜さんが貯金や借金で始めた塩浜燃料店。

俺たちの地域で知らない人はいないTSEグループも、最初は小さなお店からスタートしたのだ。


『いつも貧乏そうにしていたのが可哀想に見えたのか、定食にこっそり一品つけてくれたんだ……

ありがたかったな』


後に、TSEグループの役員となった塩浜さんだったが、どんな高級料理を食べても、あの時のまかないより美味しかった料理はなかった、と言っていた。

「ワシもバカ舌だからな」とおどけていたけど、今の俺なら何となくわかる気がする。


思い出話をつなぎ合わせながら、瑞恵さんが取りそうなポーズを想像しながら、おおざっぱに描きこんでいく。


「……いや、まてまて」


手を止めて、腕組みして天井を見上げる。

考え方を変えた方が良いな、と思った。


塩浜さんがみたいのは『瑞恵さんが取りそうなポーズ』ではない。

むしろ『日常から切り取られた瑞恵さんのポーズ』が見たいんじゃないか?


そう考え直して、ポーズっぽい箇所に消しゴムを当てていく。

たたかれ台だから、修正があるのが前提だけど、最初からズレまくって戻りが多すぎるのも失礼だ。


少し修正して、遠目から見てみる。

描きこんでみないとわからないけど、いかにも、という構図ではない感じだ。


「……もう少し、話を聞かないと、自然なポーズにならないな」


また、塩浜さんにお願いしてみるか。

そんなことを考えていると、スリッパの音が聞こえてきた。


パタ……パタ……


「灯くん……そろそろ閉めるわよ」


振り向くと、アトリエの入り口に立つつくばさんがぼんやりと見えた。


「え?……あ」


時計をみたら、既に一時間以上経過していた。

塩浜さんの思い出を追いかけて鉛筆を走らせたら、アラームにも気がつかなかったわけか。


「すみません……もう、出ます!」


慌ててスポーツバッグに道具を放り込む。


「そんなに慌てなくていいわよ」


「いや……でも……」


苦笑するつくばさんにモゴモゴと返事をしながら、あせあせとキャリングケースにデッサンをしまい込む。


バッグとケースを抱えてつくばさんに視線を送り「帰り支度が済みました」と告げると、美大生はクルッと背を向けて、俺の退出を促した。


パタン……パタン


静まり返った日立家の廊下に、俺たちのスリッパの音が響く。


玄関まで来たら、つくばさんがぽつんと問いかけた。


「……順調?」


スリッパからローファーに履き替えながら、俺は正直に答えた。


「……どうかな……まずはザックリとしたデッサンを5枚用意して、塩浜のおじいちゃんにみてもらいます」


つくばさんは「あら」という表情をして靴べらを俺に差し出す。


「……鎌ヶ谷さん……銀さんに教わったやり方?」


そう、その通り。

俺は靴べらを返しながら、ニコリとつくばさんに向き直った。


「横丁の仕事をして……変わったね、灯くん」


受け取った靴べらを抱くように持った美大生の顔が、柔らかい玄関の照明のもとで徐々に紅潮していく。


「もう……ただの弟……じゃないね」


潤みかけた瞳は、ちょっとさみしそうに見えた。

【担当:塩浜重三郎(元県議会議員/茨城のドン)】

「ワシもバカ舌だからな」なんて、おどけては見せたがねぇ……。

瑞恵がこっそり付けてくれたあのコロッケ定食の味は、どんな高級料理も敵わんよ。

灯くん、君はよく聴いてくれた。

ワシが見たいのは「立派なポーズ」じゃない。

共に泥道を歩き、笑い、はしゃいでいた……あの日常の瑞恵なんだ。

次回、第92話『アトリエの残業と、お姉ちゃんの予感』 「もう、ただの弟……じゃないね」。つくばさんの声が、静かな廊下に響く。


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