第138話(最終話):アリザリンの約束、燃える瞳の未来
カツ……カツ……
コクン……
「そっか……やっぱり」
カツ……カツ……
「似合ってる」
カツ。
……ぎゅっ。
俺の腕に恋人の腕がきつく巻き付く。
服越しにしなやかな身体の感触と、早い鼓動が伝わってくる。
「あのプリンと……同じだよ」
「……え?さっき食べたアレ?」
ビーフシチューの後に出てきた、シェフの我孫子さんが作ったプリンのことだ。
一口食べた陽菜が首を傾げたのだ。
『……このカラメル、どこかで食べたことあるような……?』
『すごいわね、陽菜ちゃん。これね、『パティスリー・ミモミ』のオーナー直伝のカラメルなのよ』
大野さんが感心した声をあげた。
『ええっ! あのサントノレのミモミさん!?』
有名店だと陽菜に連れて行ってもらった、千葉との県境にあるお店で食べた洋菓子にかかっていたカラメルらしい。
塩浜さんがいうには、我孫子シェフは自分の料理に広がりを出すため、ミモミが開くお菓子教室に正体を隠して通っていたそうだ。
そのうちオーナーパティシエの実籾さんと付き合うようになって、正体を明かしてゴールイン。
今はお互いを尊重しながらそれぞれの場所で頑張っているそうだ。
「それが、どうかしたの?」
「……お互いがお互いを大切にしながら、別々の場所で頑張る。
そういうのも、ありなんだな、と思って」
ベンチに腰かけて、身体を寄せ合う。
陽菜は陸上、俺は絵を描くこと。
どっちがどうこう、ということはない。
お互いが一人で頑張れるところは頑張ればいい。
困ったときは「半分こ」すればいいのだ。
ジャージ姿で躍動する陽菜と今日みたいなフリフリな陽菜。
どっちが陽菜か、ということもない。
どっちも陽菜だ。
ジャージ姿の陽菜と同様にフリフリ服の陽菜を大切にしたらいい。
「……難しく考えすぎだよ、がまくんは」
身体を預けたまま、恋人は俺の鼻をチョンとつついた。
風で公園の木々がわずかに揺れる。
「……余計なお世話だよ」
苦笑しながら、陽菜の艶やかな髪を撫でると、腕の中の恋人は、くすぐったそうに身じろぎした。
確かに陽菜の言う通りかもしれない。
数日前、進路指導でのやり取りが脳裏をかすめた。
『なあ、誉田……もう少しちゃんと考えたらどうだ?』
進路希望調査票を前に、担任の稲毛先生が困ったように言ったのだ。
『絵を描くことが好きなので、とりあえず美大に進んで、自分を磨きたいです』
そう言った俺に、先生はため息をついた。
『とりあえずって……そんな半端な気持ちじゃダメだ。
好きなことがあるんだろ?それから考えて、どこの大学に行きたいとか、将来就きたい職業とか、もっと具体的に書いてもらわないと』
あの時は適当に笑って誤魔化した。
でも、心の奥底では、上手く言葉にできないけど、確信のような感覚がある。
きっと、好きなことだけ頑張るだけでは、仕事らしいことはできない。
銀さんや、塩浜さん、大野さんや柏木さんたち……あの人たちに囲まれた、横丁での仕事と瑞恵さんを描いた日々。
あの大人たちは、みんな楽しそうに働いていた。
しかし、好きなことのその先にその仕事があったとは思えない。
『『価値を作って喜んでもらい、そして対価を頂く』
……プロの景色も、慣れりゃあそう悪くもねぇぞ』
あの銀さんの言葉は、俺を大きく変えた。
横丁の仕事は楽しかったが、保土ヶ谷さんのような嫌な人もいたし、苦しいことや嫌なこともたくさんあった。
でも、それがあったから、好きなことをもっと好きになり、目指したいこともわかってきた。
肖像画に『みぃちゃん』と呼びかけて、涙を流した塩浜さん。
横丁の塗装を見て、握手を求めてきた女の子。
見た作品から作者である俺を見つけ出し、俺の才能は唯一無二、と真顔で言った鈴江ちゃん。
二人の仲睦まじい筆ペン絵に涙をこぼした典子先輩と、その隣で目を潤ませた田辺先輩。
そして不死鳥の絵を『鳥さんが燃えている』と驚き、宝物のようにしている陽菜。
俺は、俺の手で生み出したもので、誰かの心を揺さぶっていきたい。
好きなこと、とは違うかもしれないけど、目指していきたい、と心から思う。
きっと、職業なんて、名前がついていれば何でもいいのだ。
誰かの魂を揺さぶる仕事がしたい、と描き続けて行けば、俺にしかたどり着けない場所に辿り着くはずだ。
「そうですよね、銀さん、塩浜さん……瑞恵さん」
澄んだ夜空を見上げてつぶやく。
「なんか言った?ともくん?」
「あ、いや……」
「……こうしてくっついていると、落ち着く。
……ともくん、好き」
小さな声で恋人が俺の肩に頬を寄せる。
月光を浴びた彼女の横顔に、吸い寄せられるようにキスをする。
ぷちゅり。
「んんんっ……」
くすぐったそうに身体をよじった陽菜の唇に俺の唇を重ねた。
ちゅっ……ぷちゅっ。
んちゅっ……はぁ
「……俺も陽菜が好きだ。
これからも、そばにいてくれないか」
唇が再び重なる。
今度は陽菜から吸い寄せられるようにキスをしてきた。
ちゅっ……むちゅっ
ちゅちゅっ……んちゅっ
ぱぁっ……
お互いが融けていくような、深い深いキス。
「かえるくんは……ずっとがまくんのそばにいたいと思いました」
顔を離した陽菜がにっこりと笑う。
その瞳は、すべてを照らし出すように、燃え輝いていた。
【了】
【作者 船橋ひろみより:完結のご挨拶】
これまで『情念の画家』をお読みいただき、本当にありがとうございました。
誉田灯と神栖陽菜の物語は、ここで一旦幕を閉じます。
一人の少年が「画家」として立つための儀式、いかがでしたでしょうか。
皆様の応援が、彼らをここまで走らせてくれました。
アリザリンの紅のように、皆様の心に何かが残れば幸いです。
さて、この物語は終わりますが、数話に分けて裏話などを綴りたいと思います。
もう少しお付き合いくださいね。




