第135話:純銀の補助軸、磨き上げる人生
炎だ。
箱の紅と相まって、彫刻の猛禽類から炎が上がっている。
幻に違いないが、その姿が陽菜に贈った不死鳥の絵とダブって見える。
陽菜が俺に身体を寄せているのも、炎が見えた理由の一つに違いない。
「箱の内側は、調湿用にスペイン杉をつかっとる。
買い替えた絵筆をしまうと良い。
……いい道具ってのはな、人といっしょで、ちゃんと帰る場所が必要なんだ。
それも居心地の良い場所に、だ……」
元の持ち主がしみじみ語る。
そうか。
絵筆もそうだけど、帰る場所が必要な道具が一つ思い浮かんだ。
銀さんから譲られた、穴熊毛の刷毛だ。
俺が描いた瑞恵さんに魂を宿してくれた刷毛は、目測でシガーボックスにじゅうぶん収まるサイズに見えた。
紅い木箱を開けつ眺めつしていると、陽菜が金属製の棒の一本ををつまみ上げた。
全体的に黒ずんでいて、近くに顔を寄せないと、施された彫刻がわからない。
「これは……なんでしょう……?」
「陽菜ちゃんたちには馴染みがないかもな……
これは『鉛筆の補助軸』と言ってな……」
塩浜さんが置かれた一本を手に取る。
懐から万年筆を取り出した。
「これは万年筆だが、例えばこれが鉛筆だとすると、後ろからコイツに差し込んで使うんだ」
塩浜さんが、万年筆を鉛筆に見立てて、軸に差し込む仕草をする。
「そうやって使うのか……」
お気に入りの鉛筆が短くなったら、差し込み、長かったときと同じように使うのだ。
塩浜さんの記憶では、若い時に、都内の自動車メーカーへ『田舎企業だと馬鹿するな』と売上実績の帳簿を抱えて、二人が作業着のまま乗り込んだ、いわゆる『カチコミ』を敢行した帰りに銀座で見かけて買ったのだそうだ。
三人分買ったはいいけど、洗練された細身の補助軸は誰の手にも馴染まなかったらしい。
「純銀製なので、物は良かったんだが、使わなくなってそのままだった。
でも、灯くんの手なら馴染むかな、と思ってな」
「ええ?これ、銀でできているんですか?なんか黒いんですけど……」
「陽菜ちゃん、銀ってね、空気に触れていると、だんだん黒ずんできちゃうの。
『硫化』っていうんだけどね……」
不思議そうに補助軸を眺める陽菜に大野さんが説明し、塩浜さんが続ける。
「喜美江の言う通り、純銀ってのは、放っておくと黒ずんでいく。
だがな、手で触れ、指先が常に擦れる部分は、皮膚との摩擦で磨き上げられていく」
陽菜から補助軸を受け取り、眺める。
まさに職人技の結晶のような品物だ。
今の技術でここまで精巧な彫刻ができるのだろうか。
「使えば使うほど、擦れたところと黒いところがはっきりしてきてな。
新品とは違う美しさが出るそうだ」
きっと、模型の『スミ入れ』したような質感が近いのではないか。
贈り主の話を聞きながら、使い込んで磨き上げた補助軸を想像する。
「おおたき……かとりどう、ですか?
このお店の名前?」
しげしげと補助軸を眺めていた俺をよそに、陽菜が最後の一品の包み紙を指さして贈り主に聞いている。
「おお、そうだ。革職人同士が開いた革工房だ。
お互いの苗字をくっつけた、なんのひねりもない店の名前だな」
「えーっ、それならツダシゲ商会だっておんなじようなもんじゃないですかー」
「お、おい、陽菜……!」
「ハハハ、こりゃ参ったな、ご指摘ごもっとも!
なにせ、津田沼と二人でものの30分で考えた会社名だからな」
端から見たら、おじいちゃんと孫みたいな雰囲気だ。
こんなに楽しそうな塩浜さん、絵画教室でも見たことがない。
タクシーの中ではお互いあんなにギクシャクしていたのに。
いっしょに食べるだけでこんなに打ち解けることができるなんて。
陽菜の食べっぷりは確かに見ている人を元気づける何かがある。
紅い薔薇の席にいるはずの瑞恵さんも、こういう人だったのかもな、と考えていると、袖を引っ張られる。
「早く早くぅ、開けてみようよ」
「ちょっと待ちなよ、オモチャとかじゃないんだから」
バリッ。
ガサ……ガサ
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
手渡された、大多喜香取堂の特注ペンケース。
「T.Honda」の刻印。……これは、俺だけの「武器庫」だ。
プロとして扱われたその証を手に、俺は運ばれてきたビーフシチューを口にする。
瑞恵さんが、塩浜さんが愛した、あの漆黒のソースを。
次回、第136話『絶品シチューと、大多喜香取堂の自立』
陽菜のその食べっぷり。……ああ、やっぱり君が瑞恵さんを呼んだんだ。




