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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第133話:下総亭の扉、重厚な時間の幕開け

「あ、こちらで停めてください」


大野さんの声でタクシーが停車したのは、明るい駅前から少し外れた一角だった。

車外に一歩踏み出すと、そこにはぼんやりとした街灯に照らされた、赤レンガ造りの重厚な建物が、静かな威厳を放って佇んでいた。


下総亭(しもうさてい)……ここですか?」


陽菜と顔を見合わせる。


昔からのお店で、名前は知っていた。

だけど、雰囲気からして、俺たちだけではとても入れそうにない。

だから、名前は知っていても、お店の前を通り過ぎるくらいで、入ったことはなかった。


ガシャ、ギィっ。


「こんばんはー、予約した塩浜ですー」


ワンテンポ早くタクシーを降りた大野さんが、慣れた手つきで重い木の扉を開け、店員さんに何か告げている。


「さあ、入ろう。灯くん、陽菜ちゃん」


慣れた様子でドアに向かう塩浜さんに続き、俺と陽菜は緊張しながら足を踏み入れた。


「へぇ……こんな感じなんだね……」


有名なお店なので、雑誌のグルメリポートとかで写真が載ることがあるので、内装は見たことがある。


だが、写真と実物では全く別物みたいに思える。


使い込まれたレンガと、磨き抜かれたダークウッドの調度品。

暖色の照明が、それらの『重ねられた時間』が醸し出す質感を美しく浮かび上がらせている。


「素敵ね……」


陽菜がうっとりとした声で内装を見回している。

無理なことはわかっているが、一部分でもスケッチさせてもらいたいくらいだ。


「ほら、二人とも。こっちよ」


大野さんが手招きする。

俺たちがキョロキョロしながら歩いていたので、少し離れてしまった。

お店の奥に進む依頼主とそのパートナーを追って早足になる。


追いついた時、陽菜が俺の袖を引っ張ると、びっくりした口調で囁く。


「ねぇ……厨房の中にいたコックさんたち、おじいちゃん見たら、みんな手を止めてお辞儀してたわよ」


「……俺、とんでもない人の依頼を受けてたんだな」


「え!?……今さら?」


陽菜と小声で囁き合いながら、俺たちはお辞儀されていた老人たちに続く。

振り返るとホールが見えない。


きっと塩浜さんたちのようなVIP用の部屋にでも通されるのだろう。


『ここは時々先生たちも打ち合わせで使うくらい、人が来ないのです』


『そして、声が少々大きくても、図書室の皆さんがいるところまで会話は聞こえないのです』


陽菜の大会前、鈴江ちゃんに尋問された図書室の書庫スペースに似ている。

あの時に質問されたことは、その時はわけのわからないことだと思っていたけど、友達になった今ならわかる。


「こちらでございます」


ウェイターさんが扉を開ける。


そこには美しい木目を持つ大きなマホガニーのテーブルが置かれていた。


席は、五席。


少しだけ離れた場所にある席には、キラキラと照明を反射しているガラスの花瓶に生けられた、一輪の赤いバラが置かれていた。


俺は、深々と一礼した。


バラの席はきっと瑞恵さんだ。


この間みたいに姿は見えないけど、そこにいるような気がして、自然と一礼するのだった。

陽菜が、不思議そうに俺の腕を引っ張るので、振り向いた俺は口パクで「み・ず・え・さ・ん」と告げると、彼女は居ずまいを正して会釈した。


「いつものコースで。それから、この子たちの分、これも追加してもらえるかしら」


みんなが着席すると、台本があるかのように、大野さんがウェイターに淀みなく告げる。


「本当はもうちっと良い店でも良いくらいなんだが……」


おしぼりで手を拭いながら塩浜さんが言う。


「それだと、お前さんたちが味もわからんうちに終わるかも、と喜美江と相談してな。ここにした」


塩浜さんが、少しだけ目尻を下げて笑った。


「あ、あの、今更ですけど……私も同席して本当によかったんでしょうか……?」


陽菜が恐縮したように聞くと、塩浜さんは豪快に笑って頷いた。


「良いにきまっとる。モデルで協力してくれたんだろ? 会ってお礼の一つもせねばな」


お酒とソフトドリンクが並ぶ。


「それに、灯くん一人じゃ、緊張して味もわからんだろうしなぁ」


コトリコトリと前菜のコールスローが並び、誰からともなくグラスを捧げ持つ。


「……いつもは瑞恵の命日にこうして食事をするが……

今日はアイツの素晴らしい肖像画ができた、お礼というわけで……

ありがとう、灯くん。……乾杯」

【担当:神栖陽菜(陸上部/灯の幼なじみ)】

コールスローも、ロールキャベツも、信じられないくらい美味しい!

でも、塩浜さんが取り出した『ツダシゲ商会』のトートバッグ。

その中から出てきたものは、食べ物よりもずっと、歴史の匂いがした。


次回、第134話『贈りもの、過去から託された「家」』


ローズウッドの木箱。灯くん、これ……鳥さんが燃えているみたい。

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