第127話:最後の審判、アトリエの緊張感
「……どうだ、灯くん。落ち着かないか?」
「落ち着くわけないですよ……」
涼しい顔の日立先生が、テーブルに二人分のコーヒーを置いた。
作品が完成し、瑞恵さんが来てくれた日からあっという間に一週間が過ぎた。
ニスも塗って塩浜さんが二枚を『お迎え』する準備ができたので、アトリエで見せることになったのである。
先生の演出かわからないけど、室内の照明は抑え目で、厚手の白い布がかけられた二台のイーゼルの場所だけ、明るめにされている。
「大丈夫だ、あの二枚……今にも動きそうじゃないか」
最大級の誉め言葉に俺は縮こまってしまう。
確かに全部出し切った感覚はある。
全ての色を刻んで、作品ができたと思った瞬間「ありがとう、お兄さん」と女の人の声が聞こえた。
あの声はきっと瑞恵さんだ。
こんな不思議な現象は、中学時代、挫折からの復活を願う一心で陽菜に送った「燃える不死鳥」を描いて以来だ。
「でも、依頼してくださった塩浜さんがダメって言ったらダメなんで」
「お、銀さんみたいなことを言うね」
「……銀さんにはたくさん教えてもらいましたんで。
うつっちゃったのかな」
日立先生が笑うのを見て、俺の気持ちが少しゆるむ。
カツカツ、カツカツ
聞き覚えのある音が遠くから聞こえてきた。
来た。
あと30分もすれば、俺の描いた瑞恵さんに依頼主からの評価がくだる。
カツカツ、カツカツ
カツカツ、カツカツ
カツカツ、カツカツ
今日はステッキの音がせわしなくて、なんだか話し声も聞こえてくる。
内容はわからないけど、明らかに塩浜さんと大野さんの声だ。
しだいに近づいてくる二人。
不機嫌な塩浜さんを大野さんがなだめているみたいだ。
俺、何か地雷を踏んでしまっただろうか。
それとも塩浜さんを待たせ過ぎてしまったのだろうか。
思わず先生の顔を見る。
先生も、塩浜さんの声を聞いて、それまで和やかだった顔にも緊張が走る。
「……岸根のやつ、あんなこと自分で決められんで何が商工会の会長だ!
くだらん、年寄りの楽しみにミソつけおってからに!」
アトリエの出入り口に現れた依頼主は、赤らんだ顔で眉間に縦じわを寄せていた。
苦笑いで寄り添う大野さんがしきりになだめている。
「しげさん、もういいじゃありませんか。
もうそんなに不機嫌を撒き散らさないで。
せっかく灯くんと日立先生が待っていてくれたんですよ」
「だからだ!岸根といい、片倉といい……
アイツらと来たら打算ばかりじゃないか!
少しは灯くんを見習えってんだ」
依頼主のパートナーと目が合う。
お互い苦笑しながら会釈する。
どうやら、地雷を踏んだのは商工会のお歴々らしい。少しホッとした。
「……し、塩浜さん、来て頂いてありがとうございます」
ハッとした依頼主は、少し恥ずかしそうに俺に笑いかける。
「……お、すまんすまん。
作品が完成したって聞いて、喜美江にスケジュールを調整してもらって一番早く来れるようにしてもらったんだが……」
塩浜さんは渋い顔で吐き捨てるように続ける。
「商工会から『 緊急な相談だ』っていうから行ってみれば……
いい歳したオヤジどもが何一つ決められん。
よりによって今日なんぞに……くだらん」
何の相談だか知ったこっちゃないけど、俺も塩浜さんには同感だ。
よりよって、今日地雷を踏まなくてもいいのに。
でも、数々の『塩浜さん伝説』を知ってしまった俺は、同時にこうも思う。
『塩浜さん、ご自身を基準にしたら、呼んだ人達もかわいそうですよ』と。
また噴火しそうな元県議会議員の肩を、元秘書がポンポンとたたいてたしなめる。
優しく肩をたたかれた立腹老人は、エヘンと咳払いして俺に向き直った。
「いかんいかん……それだけ楽しみにしていた、としてくれ。
灯くん、ワシのために描いてくれたものは……
アイツらの打算だらけの仕事とは、格が違うはずだからな」
眼光鋭く見据えられた俺は、思わず頬を引きつらせた。
「あ……あの、あまりハードルを上げられると、僕の気持ちが保たないです……」
「ははは……塩浜さん、灯くんにプレッシャーをかけるのはそこまでにしましょう」
先生が苦笑しながら、俺に目配せをする。
いよいよだ。
心臓がドキッと高鳴った。
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
心臓が、耳元で鳴っている。 塩浜さんが近づく。
大野さんが見守る。日立先生が背中を押す。
「瑞恵さんに、会ってみたい……そういう気持ちで描きました」
布を引く。瑞恵さん、重三郎さんが会いに来ましたよ。
次回、第128話『瑞恵さん、お帰りなさい』
アトリエに響く、慟哭。しげさん、あなたにしか呼べない名前が、そこにはあった。




