第122話:アリザリン・クリムゾンの奇跡
跳躍姿勢を決めている人形の横で、別の二体の人形が愛おしそうに抱きしめ合っている。
首の角度から、キスをしているようにも見えた。
「いやあのそのええとこれはちがくてあのその……」
パニック気味の幼なじみの肩に手を置く。
ビクッとする陽菜。
「それ、売り物だからさ……
ちゃんと元通りに直して。
……慌てなくていいから」
「わ、わ、わか、わかった」
「終わったら、絵の具コーナーに来てね」
クルッと背を向けて、絵の具棚に向かう。
背後の空気で、慌てふためく恋人の様子が手に取るようにわかった。
しばらく棚を眺めていると、すっかりしおらしくなった陽菜がやってきた。
「おま……たせ」
抱き合っていた二体の人形を見られたのがよほど恥ずかしかったのか、モジモジとうつむいたままだ。
「元通りにしてきた?」
「うん……」
「壊してない?」
「こわしてない……」
子供と親みたいな会話をしてから、陽菜に資料写真を見せて、大野さんの依頼を大まかに伝えた。
「ともくん、このお色選び、すっごい大事じゃない」
「そうなんだ……瑞恵さんが最後の一瞬まで引きたかった、約束の色なんだよ。
だから陽菜にも意見を聞きたくて」
俺の言葉がすまなそうに聞こえたのか、ううん、と彼女は首を振って、赤がグラデーションしている棚を見上げた。
「私、選んで良いかな?」
俺の返事を待たず、陽菜は『瑞恵さんの魂の色』を探しはじめた。
競技中のような鋭い視線が、左から右、上から下へ棚をすべる。
ざっと端まで見渡すと、今度はゆっくりとしたスピードで、下から上、右から左へ、舐めるように動く。
そして、一つの棚でピタリと止まり、チューブを丁寧につまみ出した。
「……あ、これだ。これが一番ぴったりくる。
きっとこれだよ、灯くん」
俺は、そのチューブを陽菜の手から受け取った。
深く、透明感があり、それでいてどこか「血」の温度を感じさせる、青みの混じった深紅。
「……アリザリン・クリムゾン、か」
その色は、写真の口紅とほとんど変わらない。
スマホを取り出し、何度も見た瑞恵さんの写真とチューブを見くらべ、この真紅が引かれた唇を想像する。
「ぴったりくる……」
見れば見るほど、最初からこの色だったように思えてくる。
「……すごいな、陽菜。どうしてわかった?」
俺の問いかけに、恋人は「だって」と、はにかんで答える。
「わからないけど……この色が呼んだ気がしたの。
……おかしいよね?」
上目遣いに聞いてきた恋人に、俺は首を横に振る。
彼女の研ぎ澄まされた直感が、俺が一生かかっても届かないような速さで、瑞恵さんの魂となる色を引き寄せたのだ。
「灯くん……。
この色、瑞恵さんの唇にのせてあげて。お願い……」
俺のパーカーの袖を引っ張った。
その瞳に宿る懇願に、自分の選んだのが正しいから使えとか、そんな気持ちが入っていないのは、すぐにわかった。
きっと、陽菜も瑞恵さんに会いたいのだ。
「わかった……ありがとう」
「きっと、この色なら、ともくんの描く瑞恵さんがもっと素敵になる。
私……そう信じてる」
強く光る瞳は『最強のかえるくん』としての、揺るぎない確信に満ちていた。
「うん……陽菜に来てもらって良かった」
照れながらドヤ顔をする恋人であった。
俺の手から、チューブを抜き取りカゴに入れる。
「ずいぶん買ったね……大丈夫?」
「お金は塩浜さんから頂いているから大丈夫だけど……。
あとキャンバスもあるから、荷物の方が大変だ」
「そうねぇ……風もあるし、また口の中がジャリジャリしちゃうね」
ジャリジャリ……土埃か。
行く途中で見た、軽トラックが走る脇道が頭をよぎる。
「……!」
陽菜を見る。
ほんのりお化粧した恋人の唇。
柔らかな照明にてらてら光るリップクリーム。
「この紅だけじゃ、足りない……」
絵の具棚を見渡し、この紅を『活かす色』を探す。
「ねぇ、どうしたの?」
陽菜が顔を覗き込んでくるが、俺は彼女を片手で制し、思いついた色の棚に手を伸ばした。
あった。
土埃の色であるバーントアンバー。
そして、瑞恵さんの勤めていた定食屋さんの店内を照らしていた光であろう、イエローオーカー。
瑞恵さんは、清潔なスタジオにいたわけじゃない。
きっと、埃っぽい未舗装の道路や、電球が照らすツダシゲ商会の事務所で、日々を駆け抜けていたに違いない。
嬉々とした顔でチューブを取り出す俺を、陽菜が不思議そうに見ている。
「ありがとう、あとはキャンバスを選んだらおしまいだ」
ぐううううっ。
「お腹……空いちゃった///」
「よし、さっさとキャンバスを選んでご飯食べて帰ろう」
「うん……あのぅ」
恋人は上目遣いで、もじもじし始めた。
「……?欲しいものでもあるの?」
陽菜はコクンとうなずいた。
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
陽菜が選んでくれた『アリザリン・クリムゾン』。
それは、瑞恵さんの唇に体温を宿す、約束の紅だった。
彼女の直感に、俺は救われた。
さあ、あとはキャンバスを選んで、俺たちの「戦い」を終わらせよう。
次回、第123話『帰路、前カゴの夢と人形の写真』
陽菜、さっき買ったダイソーの袋、そんなに大事そうに抱えて……何が入ってるんだ?




