第120話:依頼主の「本気」、ゴーサインの重み
作品制作のゴーサインだった。
それを聞けたのは、数日前のアトリエで行われた、作品の進捗と本番に進むか否かを決める報告会であった。
完成した五枚のデッサン。
じっくりと眺める依頼主は、俺に振り向いた。
「……ん?全体的に雰囲気が変わったかな?」
やはり、塩浜さんである。
今回見せるにあたり、典子先輩の面影を少し薄くして、陽菜の面影を多く取り入れた。
彼はそのことに一目見て気がついたのだ。
「はい。前回のご指摘を受けて、改めて別の人……
おっしゃっていたイメージに近い人にモデルを頼みました」
そうかそうか、とうなずく依頼主。
少し離れたところにたたずむ大野さんと視線が合う。
ニコリと笑ってうなずいたが、俺は緊張で引きつった笑顔になってしまった。
腕組みしながら、一枚一枚味わうようにデッサンを見る塩浜さん。
その背中を見て、俺は確かな手応えを感じていた。
しかし、ゴーサインを聴くまでは気を抜けない。
思わず首筋に手を当て、ポケットの定期入れをきゅっと握る。
本当はプレッシャーから逃げ出したい。
でも、俺の絵のことを大切に思う四人、陽菜、鈴江ちゃん、典子先輩、そして田辺先輩が頭をよぎり、何とかその場に踏みとどまっていた。
「ん?……灯くん、このデッサンだが……
前にあったかな?」
振り向いた元県議会議員がたずねる。
賄いを差し出す瑞恵さんの姿だ。
「ご指摘の通り、前回なかったデッサンです。
お芋を食べるデッサンをベースに、賄いを出す瑞恵さんに描き直してみました」
「ほう……」
「塩浜さんのお話のメモを見返して、やはり賄いを出す瑞恵さんを描くべきかな、と……」
大きくうなずく依頼主。
陽菜をモデルにしたからこそ描けた一枚であった。
「ドライブの時のデッサンも、前のお姫様から雰囲気が変わった。
全体はあまりかわってないのに、不思議だ」
「はい。目のあたりと輪郭を少し変えました」
再び大きくうなずく依頼主。
目の周りの造形に陽菜の要素を入れたのは確かだが、造形よりも全体、特に瞳の雰囲気を変えたのだ。
俺が入院して制作が止まったらどうする、と聞いた陽菜の返事が頭をよぎる。
『もしあなたが「それでも描きたい」って望むなら、病院のベッドでも絵を描けるように、画材とかイーゼルとか、全部私が用意すると思う』
どちらかが倒れそうになったら、迷いなく支える。
『きっと、まずは私が代わりに、塩浜のおじいちゃんに謝りに行くと思う』
そして、もし、パートナーが倒れたら、自分が代わりにできることを探して、走る。
『だって、「困ったときは半分こ」だもん』
その気概を宿した陽菜の瞳の輝きを、デッサンに注ぎ込んだのだ。
「ふむぅ……」
大きくため息をついて、五枚のデッサンを行きつ戻りつする塩浜さん。
カツ……カツ……カツ。
ステッキの音がアトリエに響く。
大野さんも、日立先生も、そして俺も、往復する元県議会議員の姿を目で追う。
……カツン。
賄いのデッサンの前で止まった塩浜さんは、俺に振り向き、決然と言った。
「灯くん」
「はい」
「この賄いと、これ……ドライブの時のデッサン……
この完成品が見たい」
意志の強い、燃えるような表情。
数々の武勇伝が生まれたとき、きっと塩浜さんはこの表情をしていた。
「……いや、瑞恵に会いたい。頼めるか?」
イエスしかない。
「はい!……僕のありったけをこめて……
瑞恵さんを塩浜さんのもとに……連れてきます」
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
「瑞恵に、会いたい。頼めるか?」
あの日、塩浜さんから託された言葉が、俺の耳にこびりついて離れない。
もう、迷っている暇はない。俺のありったけを込めて、瑞恵さんを連れてくるんだ。
次回、第121話『恋人とドールと、隠された情熱』
陽菜、そこで何をしているんだ?……って、その人形のポーズ、まさか!




