第118話:武器庫への到着、あるいは画材調達の特訓
「……塩浜さんが走った道も、きっとこんな風に埃っぽかったんだろうな」
畑の脇道を仰ぎ見て俺がつぶやくと、陽菜が「えっ?」と顔をしかめて笑った。
「やだ、どうしたのよ突然?
やだもう、砂で口の中がジャリジャリするデートなんて初めてだよぉ!」
陽菜のカラッとした笑い声が、国道の騒音に溶けていく。
汗ばんだ頬に感じる、埃を含んだ乾いた風。
目の前の舗装された国道を当たり前に行き交う、たくさんのトラックや乗用車、バイク。
しかし、数十年前は、今、軽トラックが土埃をあげて走っている脇道のような、未舗装の道が当たり前だった。
塩浜さんたちがそのジャリジャリデコボコを整備し『当たり前を当たり前でない』ようにしたのは間違いない。
その成し遂げたことの大きさに少しでも近づいてみたい、と思う。
どんな方法でできるか……それは今は考えつかないけど。
「よーし、フードコートで美味しいもの食べて、ジャリジャリを消し飛ばしちゃおう!」
信号が変わったと同時に急加速する陽菜の自転車にハッとして、慌てて追いかけた。
「いや、画材選びだってば」
ぐんぐん加速するネイビージャージにあっという間に置いて行かれてしまう。
本当に同じシティサイクルなのだろうか。
漕いでも漕いでも差が縮まらない。
太ももがパンパンになってきたのがわかる。
「苦行」「修行」「地獄の特訓」といった単語が頭にちらつきつつ、ただただ自転車を漕ぐ。
作品について考えることなど、とてもできそうにない。
「ほら! 見えた見えた!
オレンジの看板! 急ごう!」
ヘロヘロな俺と対照的に、相変わらず楽しそうな陽菜の声。
顔をあげた視界の先に、目的地「ジョイフル本田 荒川沖店」の巨大看板が見えてきた。
「ホントだ……もう少しだ」
自分を鼓舞しながらペダルを踏み込む。
ここに通いだしたのは、美術部をやめてからだ。
学校経由で画材を買えなくなったので、どこで買おうか日立先生とつくばさんに相談したら、二人ともこのお店一択と勧めてくれたのである。
初めてお店に行き、画材の図書館のような品揃えを見て以来、画材はここで買うと決めている。
俺にとって、そこは単なるホームセンターではない。
必要な「表現の部品」がすべて揃う、武器庫のような場所だ。
「何を食べようかなー」
陽菜が立ち漕ぎで加速する。
アスリートとしての本領発揮だ。
彼女のスプリングのような足首が、グッとペダルを踏み込む。
自転車は弾かれたように驚異的なトルクを生み出し、ギュンと前に出た。
「だから画材を買う……
わ、早いって! 勘弁してくれ……何の特訓だよ……」
少なくとも、絵画に関する特訓ではないことは確かだ。
いや、陽菜と付き合うための基礎体力の鍛錬かもしれない。
銀さんと初めて会ったとき、俺を一目見て言った言葉を思い出す。
『腕立てぐらいやっとかねぇと、いざってときに踏ん張りがきかねえぞ。身体が資本だ』
「身体が資本」というのは、仕事でも作品作りでも、そして恋人との付き合いでも同じかもしれない。
「ううっ……走り込みでもしようかなあ……」
アスリートとまではいかなくても、俺がトレーニングして、陽菜について行けるようになったら。
きっとお互い楽しいんじゃないだろうか。
「お……ようやく、着いたか……」
追いつけるようで追いつけない背中が駐輪場に滑り込んだ。
跳ねるように自転車から降りた恋人は、俺を振り返り、ぴょんぴょん弾みながら手招きする。
「ともくん、早くぅ! もう少しだよ、頑張って!」
力を振り絞って、幼なじみの待つ駐輪場にノロノロと自転車を停める。
「お待たせ……」
待ちわびた恋人は、俺の到着をなぜか拍手で迎えた。
息を整えながら、前カゴに放り込まれたリュックを担ぐ。
「帰りはここで買った、たくさんの画材を抱えていくんだよな……」
満載の荷物で自転車を走らせることを想像し、お店に入る前からゲンナリとしてしまう。
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
ようやく辿り着いた「ジョイフル本田」。
ここは俺にとって、ただのホームセンターじゃない。
大げさかもしれないけど、表現のすべてが揃う、神聖な武器庫だって思ってる。
ここで瑞恵さんを呼び戻すための、最高の装備を整えなきゃ。
次回、第119話『未知の世界、ジョイフル2の洗礼』
陽菜、そんなに目をキラキラさせて……。君にとって、この匂いはどう感じるんだろう。




