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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第115話:涙の許し、あるいは日曜日の柊珈琲店

週末の日曜日。


ショッピングモール内の「柊珈琲店」は、休日の買い物を楽しむ客たちで程よく賑わっていた。


「最近、よく来るわねぇ」


柏木さんにニコニコ顔でいじられる。

身内にいろいろ知られるのは、ちょっと恥ずかしい。

陽菜との相談や小競り合いなんかは、佐倉さんや館山さんたちスタッフのほとんどに目撃されていた。


だけど、横丁でお世話になって以来、大事な話は落ち着いた雰囲気のこのお店、と決めていた。


今日は、その大事な話なのである。

他のお店にする選択肢はなかった。


俺は奥のテーブル席に座り、アイスコーヒーをちびちび飲みながら、入り口の方を気にしていた。


カラン、と控えめなドアベルが鳴り、見慣れた二人の姿が現れた。

私服姿の典子先輩と、田辺先輩だ。


俺は立ち上がり、小さく手を挙げた。


「あ、先輩こっちです!」


気づいた二人が俺の対面に腰を下ろす。

典子先輩はふんわりとした柔らかいニット姿で、田辺先輩は清潔感のあるジャケットを羽織っていた。


「 今日はわざわざ来ていただいて、ありがとうございます」


「ううん、こっちこそ、この間はありがとうだよ。

モデルなんて初めてだったから、すごく緊張しちゃった」


典子先輩はそう言って、クスクスと上品に笑った。

その顔には、もうあの日のような「背徳の匂い」は微塵も感じられない。


「で、お知り合いの反応はどうでしたか?

誉田くんのデッサン、すごく良く描けていたと思いましたが」


田辺先輩が、前のめり気味に尋ねてきた。

その声の奥には、まだ少しだけ自信のなさが張り付いているように聞こえる。


「ええ、まあ……まずまずの反応でしたよ」


嘘は言っていない。

「まずまず」だったのだ。


二人が見合って、ホッとした顔になる。


「あのデッサンをベースにして、あとは細かいところを僕の方で微調整します。

そうしたら、いよいよキャンバスに描き起こす予定です」


俺は、平静を装ってそう答えた。

間違ったことは言っていない。

実際にそういう段取りで進めるからだ。


ただし、細かいことを言わないだけだ。


さすがに塩浜さんから「あの時の瑞恵はこんなお姫様みたいな顔じゃない」とダメ出しされたことなんて、この二人には絶対に言えない。


「そう。……良かったわね、慎一くん」


「ええ、少しでも誉田くんのお力になれたのなら、何よりですよね」


二人が顔を見合わせて微笑み合う。

やはり典子先輩には田辺先輩、田辺先輩には典子先輩が隣にいることがふさわしい。


確信を持った俺は、足元のキャリングケースをごそごそと探った。


「それで……お二人にモデルをしていただいたので、そのお礼というのもなんですが……」


俺は、クリアファイルに挟んだ一枚の画用紙を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。


「え……?」


ファイルの中の筆ペン絵を見た瞬間、二人は息を呑んで絶句した。


そこには、運転席に見立てた椅子で照れくさそうに前を向く田辺先輩と、その彼を心底愛おしそうに見つめる典子先輩の姿が、墨の濃淡だけで描かれていた。


「これ……誉田くんが、描いてくれたの?」


典子先輩が、震える手でファイルを手に取る。


「はい……俺、デッサンしながら、思ってたんです」


俺は、二人の顔を交互に見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「典子先輩の隣には田辺先輩が、田辺先輩の隣には典子先輩が……

まるで最初から決まっていた『指定席』みたいに、ぴったりだって」


「……!」


田辺先輩の肩が、ビクッと揺れた。

俺は構わず続けた。


「偉そうな言葉を言う立場ではないけど……

先輩たちには、先輩たちにしかわからない、積み上げてきた二人の時間があると思うし、これからもそうであってほしいんです」


運ばれてきたアイスコーヒーとアイスティーに手をつけず、二人は俺の話に聞き入る。


「……少なくとも、俺が思う限り、田辺先輩は典子先輩と過ごす時間を、何よりも大切にしていますよ。

そんな誠実な眼差しを持って並んでいるように、描きました」


カラン。

三つのグラスのどれかの氷が、溶け崩れて音を立てる。


「そして、典子先輩の眼差しも……

田辺先輩の優しさに支えられて、本当に幸せだというものにしたつもりです」


俺の言葉を聞きながら、典子先輩の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。

横丁の四畳半で、理性を失いかけながらも『あっちに、主人が……。慎一くんを、裏切っちゃう……!』と泣きそうに葛藤していた彼女の姿が、脳裏をよぎる。


彼女は、自分が一瞬でも他の男に揺らいでしまった罪悪感を、この絵によってようやく許されたように、ボロボロと泣きながら絵を抱きしめた。


「……誉田くん」


慎一先輩が、絞り出すような声で俺を呼んだ。

彼の眼鏡の奥も、微かに潤んでいるように見えた。


「人の心を動かす才能はない」と嘆いていた彼。


だが、この絵に描かれた二人の姿は、彼が地道に誠実に典子先輩に寄り添ってきた「時間」が作り上げたことを俺なりに示した作品だった。


「生意気なお願いですが……先輩の部屋のどこかに……

飾っていただけると、俺、嬉しいです」


ピタッと寄り添う二人に、深々と頭を下げた。


「今回は本当に、ありがとうございました」


顔を上げると、田辺先輩は典子先輩の肩を優しく抱き寄せながら、俺に向かって深々と頭を下げ返してくれた。


「こちらこそ……こんなに素敵なプレゼントを……」


その表情は、もう迷いのない、大人の男の顔だった。

それから二人と横丁の思い出話をして盛り上がり、お開きとなった。


「誉田くん、ありがとう!この絵、大切にするね」


弾けるような笑顔の典子先輩。


「僕も、誉田くんの絵のファンになりました」


顔を見合わせてから、俺を見る二人。

照れ隠しに頭を下げる俺。


店を出る二人の背中は、やはり「指定席」のようにぴったりと寄り添っていた。

カウンターから手を振る柏木さんに会釈して、椅子に沈み込む。


これで、俺の撒き散らしてしまった火の粉は消せたはずだ。

俺は残ったアイスコーヒーを飲み干し、氷のカラカラという音を聞きながら、一つの重荷を下ろしたような安堵感に包まれていた。

【担当:風間典子(小見山高校購買部/慎一の彼女)】

手渡された絵の中の私たちは、なんて幸せそうなんだろう。

誉田くん。あなたが描いてくれたのは、私たちの「信頼」そのものね。

私が一瞬だけ揺らいでしまったことも、この絵が……許してくれる気がする。

慎一くん、これからもずっと……私の隣にいてね。

次回、第116話『空腹のモデル、あるいは生命力の質感』

「奢ってくれるなら、いくらでも笑うよ!」



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