第114話:魔法の手と誠実の指、あるいは慎一の吐露
「田辺……先輩」
俺はテーブルに置かれた自分の手を見る。
少し前、この手には塗料がこびりついていた。
『ねぇ、ペンキ屋のトモルさんでしょ?握手して!
……お仕事忙しい?ダメ?』
『わあ……キレイ。魔法の手だ!』
横丁のプレオープンの日、俺は横丁の「ペンキ屋のトモル」役として、小さな女の子に握手をせがまれた。
握手した女の子は、俺の爪の隙間に残った極彩色の塗料を見て、『魔法の手』と顔をほころばせたのだ。
その時、俺は女の子のいう『魔法』というものが自分に宿ったことを、初めて心の底から感じた。
田辺先輩が持っている才能は、俺の持つ『魔法』とは明らかに違う。
しかし、違うだけであって、人並み外れていることは確かだ。
それを田辺先輩自身、わかってないのかもしれない。
「才能なんかない……だからこそ、典子ちゃんが僕の彼女で良かった、僕の隣が一番安心できると思ってもらえるように、精一杯お付き合いしてきたつもりでした」
「いや、それは謙遜しすぎですよ!」
田辺先輩が顔をあげるが、自嘲気味に笑って、再びうつむいた。
俺は言葉を続ける。
「横丁の駄菓子屋で、モールのお菓子売り場よりデカい売上を叩き出したじゃないですか!
それに、今日みたいに、典子先輩をサポートする気配りも、誰にでもできることじゃない」
本音だ。
あんなマネは俺がどう頑張ってもできない。
俺自身がよくわかっている。
「先輩は……俺なんかより、ずっとすごいです」
俺の言葉に、田辺先輩は少しだけ泣きそうな顔をして首を振った。
「ありがとう……でも、今日、誉田くんを見つめる典子ちゃんを見て……
そして、僕の隣で笑う彼女を見て、思ってしまったんですよ」
落ち込む先輩は、コーヒーを一口含み、無理やり飲み込んだように見えた。
「今までの僕の積み重ねは、一体何だったんだろうって……」
かける言葉が見つからない。
ハンバーガーショップの喧騒の中で、俺は深くうなだれた。
文化祭の出来事、モールでデート中の二人と出会ったこと、そして横丁での出来事。
会うたびに湿り気を増す、典子先輩の俺への「揺らぎ」。
俺はそれに気付いていながら、塩浜さんの依頼を優先してしまった。
その結果、誠実に気持ちを積み上げてきた先輩の自信を、根底からへし折ってしまったのだ。
うつむいてお店を出ていく田辺先輩の背中は、見ている俺も心をえぐられる気分だった。
でも。それでも、だ。
「田辺先輩……俺、典子先輩の彼氏は田辺先輩しかいないと思います」
思わずつぶやいて机の上の画用紙に視線を戻す。
俺は、筆ペンを細い線のタイプに持ち替え、二人の目元の表情を描き込んでいく。
田辺先輩は勘違いしている。
典子先輩が俺に向けたあの「朱い」視線は、ただの気まぐれのようなものだ。
俺のヘンな力のせいで、本当は田辺先輩に向けられるはずの「女の顔」が俺に向けられたにすぎない。
彼女の本当の居場所は、絶対に田辺先輩の隣なのだ。
それを、言葉ではなく、「絵」で証明しなければならない。
俺が引き起こしてしまった波紋は、俺の絵で決着をつける。
それが、横丁で「質感の嘘」を学んだ俺なりの、ケジメだ。
「よし……できた」
最後のハイライトを入れ終え、俺は筆を置いた。
描かれた二人の姿。
どこにでもいる恋人同士のようでいて、他の誰にも入り込めない強固な絆に守られている。
これなら、きっと伝わるはずだ。
【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】
田辺先輩の誠実な愛情を、俺が壊したままにするわけにはいかない。
二人の間にある「指定席」は、他の誰にも奪えないものなんだ。
筆ペンが画用紙を擦る。
これなら、きっと伝わるはずだ。二人の積み上げてきた時間の重みが。
次回、第115話『涙の許し、あるいは日曜日の柊珈琲店』
先輩。俺の撒き散らした火の粉は、俺の絵で消してみせます。




