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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第113話:深夜の筆、あるいは慎一へのメッセージ

ササッ、スーッ……。


深夜の自室。


静まり返った部屋に、筆ペンが画用紙を擦る微かな音だけが響いている。

卓上ライトの明かりの下、俺は全神経を筆先に集中させ、墨の濃淡だけで二人の人物を浮かび上がらせていた。


描いているのは、少し照れくさそうに前を向く青年の横顔。

そして、その彼を愛おしそうに見つめる女性の姿。


モデルは田辺先輩と、典子先輩だ。


元にしたのは、典子先輩は塩浜さんにダメ出しされたデッサン。

田辺先輩は横丁スタッフの慰労パーティーで撮った写真、それから横丁で配られていた、俺を含めたキャスト紹介のチラシ。


そして二人の空気感はモデルに来てもらった日にスマホで撮った写真だ。


「……やっぱ、典子先輩、髪が綺麗だよなー」


筆の腹を使って、典子先輩の柔らかな髪の質感をぼかしながら表現していく。

同時に、俺の脳裏には、公民館でのデッサンの後、田辺先輩から呼び出された時の記憶が鮮明に蘇っていた。


あの日の夜。


公民館の片付けを終えた俺は、荷物を抱え、慎一先輩に指定された駅前のハンバーガーショップへと急いだ。

チェーン店特有の、フライドポテトの油とケチャップの匂いが充満する明るい店内。

学生や会社員で賑わう中、店の奥のテーブル席で、一人コーヒーを前に俯いている田辺先輩を見つけた。


「すみません、お待たせしました」


俺が向かいの席に腰を下ろすと、彼はゆっくりと顔を上げた。


いつもの切れ者の田辺先輩ではない。


そこには、思い詰めたような、ひどく疲労した一人の男子高校生の顔があった。


「誉田くん……今日はありがとう。

典子ちゃん、モデルの経験なんてないから緊張したって言ってたけど、すごく喜んでましたよ」


「こちらこそ……無理なお願いを聞いていただいて、助かりました」


俺がそう返すと、慎一先輩は力なく微笑み、紙コップの縁を指でなぞった。


「……さすがですね、誉田くんは」


「え?」


「ずっとそばにいるのに……

あんな典子ちゃん、今まで見たことがなかった」


彼の口からポツリとこぼれた言葉に、俺は息を呑んだ。

あのデッサンの最中、典子先輩が俺の首筋の「陽菜の印」に向けてきた、あの粘り気のある熱視線。

そして、運転席に見立てた椅子に座る慎一先輩に向けた、純粋で無防備な笑顔。


その両方を目の当たりにした彼は、自身の恋人の内面に「自分の知らない女の顔」が潜んでいることを、知ってしまった。


いや、俺のおかげで知らされた、というのが正しい。


「そ、そんなの、たまたまでしょう。

モデルなんて初めてじゃないですか。

きっと先輩も少しテンション上がってただけで……」


俺は必死でフォローしたが、言葉が上滑りしているのが自分でもわかる。

以前、田辺先輩が指摘したように、俺自身が、自分の持つ「特定の女の子をおかしくさせる何か」に気付き始めているのだから。


「……正直に言います」


俺の言葉をスルーして深呼吸した先輩は、真っ直ぐに俺の目を見据える。

その瞳は、いつもより曇って見えた。


ゴクリと喉が鳴る。


「僕には……誉田くんのような、人の心を強く揺さぶる……

そんな才能はありません」


先輩のカップのコーヒーが、心なしか揺れている。


「購買部で数字を作ったり、段取りを整えたりすることはできます。

でも、誰かの感情の奥底に触れるような魔法は持っていないんです」


先輩の視線がコーヒーに落ちる。


「……自分がよく、わかってます」

【担当:田辺慎一(小見山高校購買部/典子の彼氏)】

誉田くん、君には「魔法」が宿っている。

典子ちゃんの知らない顔を引き出してしまう、残酷な魔法が。

僕には、君のような突出した才能はない……。

揺れ動くコーヒーを見つめながら、僕は自分の無力さに打ちひしがれていた。

次回、第114話『魔法の手と誠実の指、あるいは慎一の吐露』

「今までの僕の積み重ねは、一体何だったんだろう……」


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