第102話:公園の和解、あるいは不死鳥の独占欲
田辺先輩は少し身を乗り出すように話し出した。
「僕たちが付き合い始めたのは、いくつかの偶然が重なった結果です。
でも、交際期間が長くなると……」
眼鏡の奥の瞳が強く光り出したように見える。
大切にしまっていた言葉を取り出しているかのようだ。
「……隣に典子さんがいることが、まるで最初から決まっていた『当たり前』のことのように感じてしまう瞬間があるんです」
噛みしめるように話す先輩の言葉は、静かだが強い熱を帯びていく。
「でも、実はそうじゃないんです。
彼女だって機械じゃない。
気持ちを持っている、一人の女の子です」
誰にも伝えることなく、大切に磨き続けていた想い。
「ふとしたきっかけで、彼女の気持ちが僕から離れてしまうこともありますよね。
でも、それは僕がどんなに頑張ってもどうしようもできない……」
真剣に語るひとつひとつの言葉に、先輩が典子先輩に向ける気持ちがズシンと乗っていく。
「だから、毎日の典子ちゃんを新しく感じて……
隣にいる時間、典子ちゃんが僕の隣にいて良かった、幸せだと思えるように、尽くし続けることだと思いますよ」
先輩から視線を外さず、黙ってうなずく俺。
こんなこと、考えたこともなかった。
いくら陽菜が彼女とはいえ、もともと幼なじみなだけに、そばにいることが当たり前すぎていた。
でも、それは当たり前、ではない。
その誠実さと、典子先輩に対する深く静かな愛情に、俺は圧倒されていた。
俺の様子を見て、我に返った先輩は、少し照れくさそうに、顔を赤らめた。
「ち、ちょっと、真面目に語りすぎましたね……///」
赤い顔のまま、慌てて席を立つ先輩。
耳まで真っ赤なのが見えてしまった。
「で、では……連絡待っててくださいね」
足早にお店を出て行く先輩を見送ると、腕組みしてお店の天井を見上げた。
くるん、くるん、とファンがのんびりと回っている。
「隣にいて良かった、と思えるように尽くす……か」
俺は陽菜に対して、そんな風に思えていただろうか。
彼女が俺の隣で笑ってくれることを、どこかで「当たり前」だと錯覚していないか。
天井のファンみたいに、恋人になってからの陽菜の記憶がくるくると巡るのだった。
「……ねえ、ともくん!」
「ん?ふぁ?え?」
陽菜の少し怒ったような声で、俺はハッと我に返った。
「なんにも聞いてなかったよね?」
目の前には、まだ納得のいかない顔をした恋人が立っている。
「ごめん……ちょっと……考え事をしていて」
「もぉぉぉっ!」
むくれていきり立つ恋人。
八つ当たり気味に、俺の肩をバシバシたたく。
いつもこういう時は、はにかみながらポカポカとたたくのだが、今日はイラつきも手伝って、力がこもって若干痛い。
ばしん、ばしん。
ぎゅむっ。
「……っ!……ともくん?」
タイミングを合わせて、俺をたたいていた陽菜の手首をつかんだ。
鼻白む幼なじみから視線を外さず、俺はブランコの鎖から手を離し、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「なぁ、陽菜。聞いてくれ」
俺の真剣なトーンに、ハッとして陽菜も口をつぐむ。
「今回描くのは、瑞恵さんだ。わかるよね?
だから、ベースは塩浜さんが持っている瑞恵さんの写真だ。
当然、全体的な造形や顔のパーツはご本人の写真を元にする」
掴んだ手首から力が抜けていく。
潤んだ恋人の瞳を見据えて、言葉をつなぐ。
「……塩浜さんが評価してくれた俺の絵の特徴……
質感だけど、それは写真だけじゃ絶対につかめないんだ。
それは、陽菜が一番わかってるはずだろ?」
ガサササ……
公園の木が風で揺れる。
「塩浜さんは『瑞恵さんがまとっていた空気』や『質感』を作品に込めてほしいと願っている。
そのためには、生身の人間のモデルで補う必要があるんだ」
陽菜がうつむいた。
挙げた腕の力がぬけて、ゆっくりと下がった。
【担当:神栖陽菜(アスリート/幼なじみ)】
「これは、仕事なんだ」。
ともくんの声が、私の心の震えを包み込む。
分かってるよ。ともくんが戦おうとしてるのは、私よりずっと大きな想いだってこと。
でも……他の女の人の「匂い」が混ざるの、やっぱり嫌だよ……。
次回、第103話『覚悟のサンプリング、あるいは公民館の密室』
陽菜、信じてほしい。俺が描くのは、瑞恵さんの「魂」なんだ。




