第100話:柊珈琲店の会談、あるいは慎一の真意
数日前のことだ。
モールの柊珈琲店。
俺は小見山高校の田辺先輩とテーブルを挟んで向かい合っていた。
横丁の慰労パーティーで連絡先交換をして以来、初めて連絡して呼び出したのである。
「……なるほど。おおよその事情はわかりました……
面白い相談ですね」
カチャリと静かにカップを置くと、田辺先輩が小さく笑って俺を見据えた。
「すみません……突然連絡して呼び出しておいて、ヘンな頼みごとを……」
典子先輩にモデルを依頼するのが目的だが、典子先輩に警戒されて断られたくないので、彼氏である田辺先輩に話を通そうと呼び出した。
もっとも、慰労パーティーで連絡先を交換したのは田辺先輩だけ、という事情もある。
「まあ、知り合いの方の肖像画を描くから、とモデルを頼まれる……
僕も典子ちゃんも人生初ですねぇ」
塩浜さんの依頼とか詳しい事情までは話していない。
ただ「仲睦まじいカップルに流れる自然な空気感」を切り取りたい、というのが、モデル依頼の口実だった。
「お願いします。仲が良くて、お付き合いも長い人たちって、田辺先輩と風間先輩しか思い浮かばなくて……」
下げた顔にテーブルが迫る。
この二人に断られたら他のカップルが思い浮かばない。
最悪はドライブデートのデッサンを没にすることもありうる。
しばらくの沈黙のあと、カチャ、とカップの鳴る音だけが響いた。
「……誉田くん」
静かな声に顔を上げると、慎一先輩が眼鏡の奥の、笑みの消えた鋭い瞳で俺をじっと観察していた。
「正直言って、デッサンのモデルなら、僕らである必要はないですよね。
でも、わざわざ僕たちに頼んできた……」
田辺先輩の指摘はもっともだ。
ただのカップルを描くだけなら、クラスの誰かに頼んで、付き合いが長いという設定の即席カップルを作って描けばいい。
女の子役なら陽菜でも、なんなら鈴江ちゃんだって今の俺が頼めば引き受けてくれそうな気もする。
ただ、描くだけなら、だ。
「はい……」
「……それなら、それなりの理由があると思うのが自然ですよね?
僕は横丁の仕事で誉田くんの活躍を見てたつもりです」
先輩の言葉を聞いて「ああ、この人に相談して良かったかもしれない」と俺は直感した。
この人も、銀さんや俺のような「本気で取り組む」という姿勢を持っている。
「だから僕は、誉田くんがいい加減な気持ちで頼むとは思えない。
……その上であえて聞きます。
……君は今、どれくらい『本気』でその絵を描こうとしているんですか?」
探るような、いや、俺の腹の底にある覚悟を値踏みするような視線。
誤魔化しは通用しない。
「先輩……俺、プロでも何でもないけど……
これは俺にとって大切な挑戦なんです」
先輩の視線から目を離さずに言葉を続ける。
「作品がどうなるか、描いてみないとわからないけど……
俺が描かなきゃいけないのは、綺麗な絵じゃないんです」
先輩も、見てないようで、横丁での俺の仕事を見ていてくれていた。
だからこそ、と、拳を握りしめて先輩に訴える。
「俺が描くべきは、二人の間にだけ流れる『時間』や『信頼』の質感なんです。
それは、先輩たちにしか出せない空気だから……
どうか、その空気を俺に描かせてください!」
もう一度、頭を下げた。
こうなったら何度だって下げてみせる。
俺はもう、一人じゃない。
俺を信じてくれる人がいる。
俺の絵が大好きだ、と言い切る人がいる。
俺に想いを託してくれた人がいる。
ここで、引き下がるワケにはいかないんだ。
そう思うと、身体の奥底がカッとなった。
陽菜がまとう「不死鳥の気迫」とはこういうものなのだろうか。
【担当:田辺慎一(購買部エース/典子の彼氏)】
誉田くん。君の目は、横丁の時と同じ「本気」の光を宿しているね。
僕と典子ちゃんをモデルにしたいなんて、面白い相談だ。
でも、君に僕たちの空気が描けるのかな?
僕が大切に磨き続けてきた、この静かな熱を。
次回、第101話『隣にいる奇跡、あるいは積み上げた時間』
典子ちゃんが僕の隣にいるのは……決して「当たり前」じゃないんだよ。




