第八話 竜の城、檻の部屋
獣国の王都に着いた日、アイリスはヴェルグリムの居城に運ばれた。
火竜の城は岩山をそのまま削り出した塔だった。螺旋の階段を二百段以上、上がらされた。壁は温かかった。掌を当てると、内側から熱を持っているのが分かった。この山はまだ死んでいない。
最上階に、彼の私室があった。
そこに、檻があった。
金細工と魔石で飾られた、しかし紛れもない檻だった。
中には絹の寝台、書架、書き物机、医療器具一式。アイリスがこの城に来る前から、すべて用意されていた。
寝台には、人間の国では見たこともない厚さの絹が幾重にも敷かれていた。枕元の卓には、拳ほどの紅玉が無造作に三つ転がしてある。値段の見当もつかない。誰かが「これを積めば喜ぶだろう」と考えて、置いた。そういう置き方だった。
窓には格子が嵌まっていた。指四本ぶんの隙間。顔は出せるが、体は通らない。
その隙間から、下の王都の音が上がってきた。鍛冶の槌。市の呼び声。獣人の子供が笑う声。人間の街とほとんど同じ音だった。同じであることが、いちばんたえがたかった。
「お前はここに住む」
ヴェルグリムは扉を開けながら、言った。
「外に出るときは、私が連れて出る」
「他の男に、お前の匂いを嗅がせない」
「お前を見る目に、別の男の目が混じることを、私は許せない」
アイリスは、檻の中の医療器具を確認していた。
脈をとる聴診の魔具。薬研。蒸留器。乳鉢。秤。彼女は何も言わずに、それらを丁寧に整理し始めた。
秤の分銅がひとつ足りなかった。彼女はそれを頭の中に書きつけた。
「聞いているのか」
ヴェルグリムは苛立っていた。
「聞いています」アイリスは振り向きもしなかった。「ひとつ聞かせてください。私の匂いは、他の獣人には届かないんですよね。そう言ったのはあなたです。なら『他の男に嗅がせない』なんて、意味がない。彼らにとって私はただの人間です」
「意味はある」
「どんな」
「理屈ではない」
「なら、話し合う意味がありません」アイリスは分銅を一つずつ並べ直した。「私が嫌だと言っても、あなたは扉を閉めるんでしょう」
「閉める」
「では、閉めてください。早く。私は仕事をしたい」
ヴェルグリムは扉を閉めた。
鍵の音が、思いのほか小さかった。金属が、こつん、と鳴っただけだった。
その夜、彼は塔の下で火を吐いた。
熱風が窓の格子を通り抜けて、書架の紙をめくった。アイリスは羽根ペンを止めなかった。
*
翌日から、食事を運んでくるのは女の獣人だけになった。
水も、薪も、洗濯物も、すべて女が運んだ。この塔から、男の従者が消えた。誰も理由を説明しなかったが、説明の必要もなかった。
そして、毎晩。
日が落ちてしばらくすると、螺旋階段を上がってくる足音がした。重い。爪が石を掻く音が混じる。
足音は檻の扉の前で止まった。
そして、そのまま、動かなかった。
叩かない。呼ばない。入ってこない。
扉一枚を隔てて、彼の呼吸の音だけが聞こえた。ときどき、深く、長く。獣が匂いを探すときの吸い方だった。
アイリスは羽根ペンを止めずに、それを聞いていた。
一刻。二刻。三刻。
朝、扉を開けると、そこには誰もいない。石の床に、爪の痕だけが五本、深く残っていた。
無視される、ということを竜は知らなかった。
それは彼にとって、世界のすべての敵に囲まれるよりも苦しいことだった。




