第七話 蛇の指文字
ミオは最初の七日間、誰とも目を合わせなかった。
彼女は声を持たない。文字も習ってはいたが、人前でそれを使うのが怖かった。怖がりだった。だから黙って、ただ運ばれていった。
村では彼女が何かを伝えようとすると、みんな困った顔をした。困った顔をさせるくらいなら、黙っているほうがよかった。連れ去られる日も彼女は声を出さなかった。声を出せる者たちでさえ、あの広場では黙っていた。
蛇族の書庫長レスカンは最初の三日、彼女を観察するだけだった。
彼はほとんど瞬きをしない。動かない。ただそこに居る。ミオは、その静けさをなぜか怖いと思わなかった。
四日目、彼は紙とインクを彼女の前に置いた。
「あなたが書きたいことを書いてください」とだけ、書いてあった。
紙は上等だった。指先で撫でると、ざらりとした毛羽が立っていた。獣国の紙は人間の国のものより厚く、インクは黒より少し青い。
ミオは何も書かなかった。
五日目、彼女はようやく一文字書いた。
「こわい」
線がふるえていた。書き終えたあと、彼女は紙を裏返そうとした。
レスカンの手のほうが、早かった。
彼はその紙を受け取り、自分の懐に大切にしまった。
それから、新しい紙の下の段に自分の言葉を書いた。
「私もです」
「番を見つけた獣人は生まれて初めて、こわいものを得ます」
「失うかもしれない、というこわさです」
ミオはその言葉を何度も読み返した。
指が紙の縁を何度もなぞっていた。
こわい、と書いた紙をこの人は懐にしまった。
捨てられるものだと思っていた。困った顔をされるものだと思っていた。
村では、彼女の書いた紙はいつも誰かの手の中で丸められた。
七日目の夜、レスカンは野営の焚き火のそばで、ミオに獣国の指文字を教え始めた。
炎に照らされて、彼の指が動いた。長くて、しなやかで、骨の節がひとつ多い。ミオは目を伏せたまま、その指だけを見ていた。
彼の指は思っていたより優しく動いた。急がなかった。同じ形を、彼女ができるまで何度でも作ってみせた。
ミオは自分の指で、初めて「ありがとう」を作った。
親指と、人差し指と、掌の返し。たった三つの動作だった。
それだけのことに、彼女は八日かかった。
指が震えて、二度途中で崩れた。三度目に形になった。
レスカンはそれを見て、目を閉じた。
百年生きた蛇の獣人が、そのとき初めて泣いた。




