第六話 灰熊の手当て
エドリック卿は馬車を降りて歩くことを許されていた。彼は騎士で、逃げる素振りを見せなかったからだ。
街道は白く乾いている。歩けば埃が立ち、鎧の隙間に入り込んだ。彼はそれを払わなかった。妻を喪ってからの三年、彼は多くのことを払わなくなっていた。
灰熊族の薬師ヴォーラは彼の隣を歩いた。背は彼より頭一つ高く、肩幅が広い。彼女は喋らなかった。エドリックも喋らなかった。二人の沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。
彼女は歩きながら道端の草をときどき摘んだ。摘んで、匂いを嗅ぎ、腰の袋に入れる。使えないものはその場に捨てた。
何を摘んでいるのですか、と訊けばよかったのに、エドリックは訊かなかった。訊きたいと思う自分が、まだ生きていることが後ろめたかった。
七日目、エドリックは野営地で水を運ぶのを手伝おうとして、古傷の左肩を痛めた。妻を看取る前に戦で受けた傷だった。
ヴォーラが無言で彼の前に座った。
革袋から軟膏を取り出し、彼の肩にゆっくりと塗った。
獣脂と名も知らぬ草の匂いがした。灼けるように熱く、それからじわりと冷たくなった。
彼女の手は大きい。掌が厚く、爪は黒く、指の背に古い傷が幾筋も走っている。人を殺せる手だった。その手が彼の肩の上で、驚くほど静かに動いていた。
「私は、お前を抱かない」
彼女は前を向いたまま言った。
「お前は妻を亡くしている。匂いでわかる。哀しみの匂いだ」
「私の番でいてくれるなら、それでよい」
「私は薬を作る。お前は剣を振りたければ振ればよい。畑を耕したければ、耕せばよい」
「獣国にも畑はある」
エドリックはしばらく、何も言えなかった。
喉の奥が熱かった。軟膏のせいではなかった。
「貴方は ── 」と彼はようやく口を開いた。「貴方は、私が貴方を愛さなくても、それでいいのですか」
ヴォーラはそこで彼のほうに目を向けた。
その目は、思っていたよりずっと小さくて、優しかった。
「番というものは、そういうものだ」
「私のほうが、お前を見つけてしまった。お前のほうの責任ではない」
彼女は軟膏の蓋を閉め、立ち上がり、火のほうへ戻っていった。
何ごともなかったように。
エドリックの左肩には、彼女の手の熱がまだ残っていた。
獣国にもこういう人間がいるのか。
彼は火のほうを見た。ヴォーラの背中がそこにあった。
その日初めて、彼は息を深く吸って、長く吐いた。
生きていても、いいのかもしれない。




