↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
番を棄てて逃げた医師ですが、すべてを失った元・火竜王子が病院に運ばれてきました  作者: 鷹居鈴野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/34

第六話 灰熊の手当て

エドリック卿は馬車を降りて歩くことを許されていた。彼は騎士で、逃げる素振りを見せなかったからだ。


街道は白く乾いている。歩けば埃が立ち、鎧の隙間に入り込んだ。彼はそれを払わなかった。妻を喪ってからの三年、彼は多くのことを払わなくなっていた。


灰熊族の薬師ヴォーラは彼の隣を歩いた。背は彼より頭一つ高く、肩幅が広い。彼女は喋らなかった。エドリックも喋らなかった。二人の沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。


彼女は歩きながら道端の草をときどき摘んだ。摘んで、匂いを嗅ぎ、腰の袋に入れる。使えないものはその場に捨てた。

何を摘んでいるのですか、と訊けばよかったのに、エドリックは訊かなかった。訊きたいと思う自分が、まだ生きていることが後ろめたかった。


七日目、エドリックは野営地で水を運ぶのを手伝おうとして、古傷の左肩を痛めた。妻を看取る前に戦で受けた傷だった。


ヴォーラが無言で彼の前に座った。

革袋から軟膏を取り出し、彼の肩にゆっくりと塗った。


獣脂と名も知らぬ草の匂いがした。灼けるように熱く、それからじわりと冷たくなった。

彼女の手は大きい。掌が厚く、爪は黒く、指の背に古い傷が幾筋も走っている。人を殺せる手だった。その手が彼の肩の上で、驚くほど静かに動いていた。


「私は、お前を抱かない」

彼女は前を向いたまま言った。

「お前は妻を亡くしている。匂いでわかる。哀しみの匂いだ」

「私の番でいてくれるなら、それでよい」

「私は薬を作る。お前は剣を振りたければ振ればよい。畑を耕したければ、耕せばよい」

「獣国にも畑はある」


エドリックはしばらく、何も言えなかった。

喉の奥が熱かった。軟膏のせいではなかった。


「貴方(あなた)は ── 」と彼はようやく口を開いた。「貴方は、私が貴方を愛さなくても、それでいいのですか」


ヴォーラはそこで彼のほうに目を向けた。

その目は、思っていたよりずっと小さくて、優しかった。


「番というものは、そういうものだ」

「私のほうが、お前を見つけてしまった。お前のほうの責任ではない」


彼女は軟膏の蓋を閉め、立ち上がり、火のほうへ戻っていった。

何ごともなかったように。


エドリックの左肩には、彼女の手の熱がまだ残っていた。

獣国にもこういう人間がいるのか。

彼は火のほうを見た。ヴォーラの背中がそこにあった。

その日初めて、彼は息を深く吸って、長く吐いた。

生きていても、いいのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。