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番を棄てて逃げた医師ですが、すべてを失った元・火竜王子が病院に運ばれてきました  作者: 鷹居鈴野


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第五話 銀狼の沈黙

リアナは馬車の中でずっと泣いていた。


車輪が石を噛むたび、体が跳ねた。革張りの座席は硬く、獣脂と鉄と、雪のような匂いがした。花嫁衣裳の裾は、三日目にはもう泥で黒い。彼女はそれを直そうともしなかった。


向かいに座る銀狼の隊長コンラートは、五日間ほぼ何も話さなかった。彼はただリアナが泣くたびに、自分のマントを彼女の膝に掛け直した。寒くないか、と一度だけ訊いた。リアナは答えなかった。


マントは重かった。獣の毛の匂いがした。

彼女はそれを払いのけたかった。払いのける気力が、なかった。


彼は彼女の顔を見なかった。

窓の外か、自分の膝か、そのどちらかを見ていた。彼が彼女を見るのは、彼女が眠ったときだけだ。そのことに、彼女は気づいていなかった。


五日目の夜、宿場に泊まった。リアナは眠れずに、扉の隙間から廊下を覗いた。

コンラートが扉の外の床に座っていた。壁に背をあずけ、剣を膝に立てて、目を閉じている。彼のための寝台は、階下にあるはずだった。彼はそれを使っていなかった。


翌朝、彼はそのことを一言も言わなかった。


六日目、リアナはついに口を開いた。


「あなたは、私をどうするつもりですか」


コンラートは少し考えてから、答えた。


「妻に、と思っている。獣国の儀礼に従うなら」

「いやです」

「うむ」

「いやだと言ったら ── どうしますか」

「待つ」

「いつまで」

「お前が、いやでないと言うまで」


「私には婚約者がいました」リアナは言った。声が震えた。「三年待ってくれた人です。式はあの日でした」


コンラートはそれにも「うむ」と答えた。

否定も、謝罪もしなかった。彼はただその事実を聞いた。


リアナは目を上げた。コンラートは窓の外を見ていた。横顔がきれいだった、と彼女は気づいた自分に動揺した。気づきたくなかった。


「もし私が一生いやだ、と言い続けたら」

「では一生、待つ」


リアナは膝のマントを、初めて自分の手で引き上げた。寒かったからだ。

それだけの理由だ、と自分に言い聞かせた。


「狼の一生は、どのくらいですか」

「二百年ほどだ」

「……私は、六十年も生きません」

「知っている」


彼はそれきり、また黙った。


リアナはまた泣いた。

今度の涙は、最初の涙とは、少し違っていた。

そのことに、コンラートは ── 銀狼の鋭い嗅覚で ── 気づいていたが、何も言わなかった。

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