第二十話 病院の扉
# 第二十話 病院の扉
王立中央病院 ── ではなく、地方都市の、小さな病院だった。
アイリスは、三年前に、中央病院を、辞めていた。
獣国を逃れた後、彼女は、王都を避けた。
王都には、貴族にも王にも繋がる紐が、多すぎた。
彼女は、北の港町ベルナの、市営病院の、夜間救急外来に、勤めていた。
名は、変えていた。
「ロゼ・ファルマン医師」と、名乗っていた。
番解きの薬は、効いている。
獣国は、彼女を、追わない。
というより、追えない。
彼女の、匂いを、覚えている獣人は、もう、いない。
その夜、アイリスは、夜勤の当直だった。
担架で運ばれてきた患者の、脇腹を、診た。
深い、刺し傷。
血の量から、ぎりぎり、間に合う、と、判断した。
彼女は、手を、洗い、メスを、握った。
患者の顔を、見た。
知らない、男だった。
知らない、はずだった。
知らない男のはずなのに、彼女の指が、動かなかった。
心臓が、おかしな鼓動を、打った。
彼女は、二十七年、いや、三十年、生きてきて、初めて、メスを、落とした。
患者は、目を、開けた。
焦点の合わない、瞳で、彼女を、見上げた。
そして、震える声で、言った。
「あなたが、誰なのか、分からないのに ── ぼくは、あなたを、傷つけた、気が、する」
「ごめん、なさい」
そして、彼は、また、気を、失った。
アイリスは、メスを、拾った。
拾って、彼を、縫った。
縫いながら、ずっと、泣いていた。
看護師が、心配そうに、彼女を、見ていた。
彼女は、振り向いて、言った。
「大丈夫です。集中しています」
看護師は、信じた。
ロゼ・ファルマン医師は、いつも、最後まで、振り返らない、医師、として、知られていた。




