第十五話 ミオが、紙に書いた言葉
蛇族の書庫は世界一広いと、獣国の人々は言った。
ミオはその書庫の隅に、自分の机をもらった。
古い紙と、革と、防虫の香草の匂いがする場所だった。天井まで届く棚が縦横に立ち、その間を歩くと、自分の足音が壁に吸われて消えた。窓は高い位置に細く切ってあり、光は紙を焼かない角度で落ちてくる。ここでは、声のない者がいちばん困らない。
レスカンは彼女に、人間王国の本を集めてきた。
パンの作り方、菓子の作り方、絵本、童話、医学書、薬草書、彼女の出身の村の地誌。
彼は彼女が何を読みたいかを、いつも選ばせた。
ミオは書庫で、彼の隣で読み、書き、指で話した。
蛇族の指は、人間より一節多い。だから彼の指文字は、彼女のものより滑らかで、少し遅い。読み取れない形が出てくると、彼はもう一度ゆっくり作り直した。急かされたことは、一度もなかった。
ある日、彼女は紙に書いた。
『ここに来てよかった、と思います』
レスカンはその紙を長いこと見ていた。
『よかったと思わなくて、よいです』
彼は書き返した。
『あなたは、奪われた人間です。よかったと思う必要は、ありません』
『でも』とミオは書いた。
『村では、誰も私の指を見てくれませんでした』
『私の声がないことを、皆不便がりました』
『あなたは、不便を不便と言わなかった』
『それは、私には生まれて初めてのことでした』
レスカンは長いこと、彼女の手を見ていた。
インクで汚れた指。ペンだこの硬くなった中指。爪の際に、羊皮紙の粉が白く残っている。
それから、その手を自分の額に当てた。
蛇族の最高位の感謝の仕草だった。
彼の額は、思ったより冷たかった。彼女の掌のほうが、ずっと熱かった。
ミオは声を立てずに、笑った。
*
その日の夕方、レスカンは請求書の束を持って戻ってきた。
『火竜の塔から、書物の請求が来ています』
ミオは顔を上げた。
『薬草書。獣人の血の書。番の生理に関する文献。それから ── 』
レスカンは羽根ペンの先を少し噛んだ。
『竜族の禁書庫のものを、三点』
ミオは紙を引き寄せた。
『先生は、お医者さまです』
『ええ』とレスカンは書いた。
『医者です』
『医者は、治すための知識と、断つための知識を、同じ棚に並べて持っています』
書庫の窓の外で、鐘が鳴った。
『あの方は、いずれこの国を出ていかれます』
『止めますか』
ミオは首を横に振った。
レスカンは頷いた。
それから、請求書の束を暖炉の火にくべた。人間の女がこの国から何を借り出したのかを、記録に残さないために。
羊皮紙は燃えるとき、髪の焦げるような匂いがする。
紙が燃え尽きるまで、二人は黙ってそれを見ていた。灰は薄い層になって、しばらく形を保ち、それから崩れた。
書庫の窓からは、火竜の塔が見えた。
その灯りは、その夜も朝まで消えなかった。




