第十五話 番解(ほど)きの薬
完成の夜、アイリスは、初めて、自分の手が、震えているのに、気づいた。
これを、ヴェルグリムに、飲ませる。
飲ませた瞬間、彼の中の、彼女への執着は、消える。
彼は ── 彼女を、忘れる。
医師として、それは、勝利だった。
ひとりの女として、それは ── 何だろう。
アイリスは、二十七年生きてきて、初めて、自分の感情を、分析できなかった。
「私は、彼を、愛していない」
彼女は、声に出して、確認した。
「彼が、私を、愛していると、信じている、それは、彼の本能だ。本能は、愛では、ない」
「だから、私は、これを、飲ませる」
「これは、私の、勝利だ」
それでも、手は、震えていた。
その夜、ヴェルグリムが、塔に、上がってきた。
彼は、彼女のために、人間王国から取り寄せた、紅茶の葉を、抱えていた。
紅茶を淹れさせるためだけに、彼はわざわざ、人間の女中を一人、連れてきていた。
アイリスは、自分の手で、紅茶を、淹れた。
ヴェルグリムは、嬉しそうな顔を、していた。
紅茶を淹れることが、二人の間の、習慣になりつつあったからだ。
それは、彼にとっては、世界で、たったひとつの、彼女と「夫婦らしい」時間だった。
アイリスは、彼の紅茶に、「番解きの薬」を、落とした。
無味無色。
彼は、気づかなかった。
「どうした、アイリス」
彼は、紅茶を、ひと口、飲んでから、彼女の顔を、見た。
「お前、泣いているのか」
アイリスは、初めて、自分の頬が、濡れているのに、気づいた。
「いいえ」と、彼女は答えた。
「これは、医師としての、汗です」
ヴェルグリムは、それを、信じた。
彼は、彼女の言うことを、いつも、信じてきた。
彼は、彼女の言うことを、信じる、という選択しか、できない男だった。
それが、彼の不器用な、愛の、すべてだった。




