第十三話 テオの檻と、ニッサの涙
黒豹族の屋敷では、テオは「絹の部屋」に住んでいた。
北向きの、日の差さない部屋だった。ニッサがそう選んだ。絹は日に焼けると色が褪せる、とテオが一度だけ言ったのを、彼女が覚えていたからだ。壁には反物が立てかけてあり、床には裁ち屑が散り、部屋じゅうが乾いた蚕の匂いをさせていた。
彼は歩けるようになった。だが、走れない。階段は手すりが必要だった。仕立ての仕事は、椅子に座っていればできた。だから彼はニッサの屋敷で、仕立てを続けていた。
獣国の絹は、人間王国のものより太く、扱いが難しかった。糸に節があり、針を通すたびに指の腹が引っかかる。三日で人差し指の皮が硬くなり、七日目には、そこに小さな穴が開いた。彼はその穴に蜜蝋を塗って、また縫った。
テオはその絹で、ニッサの服を縫っていた。
黒豹族の女の体は、人間の型紙では包めない。肩が広く、背骨に沿って筋が盛り上がり、腰から尾の付け根までが人間より一寸ほど長い。彼はニッサの背に紐を当てて寸法を測り、数字を口の中で唱えて覚えた。座ったままでは肩に手が届かないので、彼女のほうが屈んだ。屈むたび、彼女の首から乾いた獣の匂いがした。
測っているあいだ、ニッサは決して彼の足を見なかった。
顔を見た。手を見た。壁を見た。天井の梁の節を数えていることもあった。
テオはそれに気づいていた。気づいていて、何も言わなかった。
夜、屋敷は静かだった。
黒豹族の廊下には絨毯が厚く敷いてあり、獣人たちは足音を立てずに歩く。誰かが通ったことは、扉の下を過ぎる灯りの影でしか分からない。テオは毎晩、その影を数えていた。
「あなたは、ぼくを許しますか」とある夜、テオは尋ねた。
針を持ったまま、顔を上げずに。
「ぼくが、あなたを愛さないことを」
ニッサは長いこと答えなかった。
暖炉の薪が崩れた。
「私は」と彼女はようやく言った。
「私は、あなたの足を切った」
「うん」
「私は許される側ではない」
「でも、ぼくは訊いています」
「ぼくが、あなたを愛さなくて、いいですか」
ニッサはテオの足元に跪いた。
黒豹族の狩人が、人間の男の足元に頭を垂れた。
そして、そこでようやく彼の足を見た。踵の上に走る、白く盛り上がった二本の傷。彼女が断ち、この男が縫われた場所だった。
「愛さなくていい」と彼女は言った。
「ただ、私の側で生きてくれ」
「私はお前の足を切った代わりに、お前の人生を、私の生のすべてで引き受ける」
「お前は私を罵ってよい。憎んでよい。それでも、お前は私の番だ」
「私はお前を、最後まで看取る。それが、私の罰だ」
テオはニッサの黒い髪に、そっと手を置いた。
髪は思っていたより硬かった。獣の毛だ。掌に彼女の頭の熱が伝わってきた。生きているものの熱だった。
その熱が、彼の指をしばらく動かせなくした。
許したわけでは、ない。
許せないわけでも、ない。
彼はその夜、加害者の頭を撫でた。
それは、愛ではなかった。
だが、なにか別のものだった。
名前のない感情は、しばしば愛より長く続く。
翌朝、彼は縫いかけの服を膝に広げた。
布には、昨夜のまま針が刺さっていた。
テオはそれを抜いて、続きを縫った。この屋敷での彼の答えは、それだけだった。
*
同じころ塔の最上階では、獣人の血が三度黒く濁って死んだ。
魂震草の煎じ汁を一滴落とすだけで、赤は色を失い、それきり動かなくなる。
硝子の匙が瓶の縁に当たって、小さな音を立てた。窓の外は、もう雪だった。
アイリスは失敗した検体に番号を振り、瓶を棚に戻した。
十九。
まだ、十九だ。




