第十一話 加害を、見にいらしてください
「愛している」と彼はまた言った。
その言葉を、彼は一日に何度も使った。使い方を他に知らないからだ。
アイリスは薬研を挽く手を止めなかった。
「では、条件があります」
「言え」
「テオさんの足を見にいらしてください」
竜の手が、止まった。
「それから、マリエルさんの墓に行ってください」
「なぜ」
「あなたが私を愛しているとおっしゃるなら、あなたが私から何を奪ったのかを、あなたが自分の目で見てください」
彼女は、そこでようやく顔を上げた。
「見に行けないのなら、その言葉は二度と使わないでください」
*
三日後、彼は行った。
黒豹族の屋敷の中庭で、テオは椅子に座り、絹を縫っていた。
火竜の王子が入ってきても、彼は立ち上がらなかった。立ち上がるのに、手すりが要るからだ。
「殿下」テオは針を持ったまま頭を下げた。「お見苦しいところを」
ヴェルグリムは彼の足を見た。
踵の上に、縫い痕が二本。アイリスの縫い目だ。細かく、正確で、無駄がない。
「歩けるのか」
「歩けます」
「走れるか」
「いいえ」
テオは笑った。仕立屋の客あしらいの笑顔だった。
「殿下。ぼくはあなたを恨んでいません」
「なぜだ」
「恨むためには、走れたころのぼくを思い出さないといけないので」
竜は、その場に立ち尽くした。
罵られる覚悟ならしていた。斬りかかられる覚悟もしていた。
この男はそのどちらもしなかった。ただ、針を絹に戻した。
「もう行かれますか。ニッサ様の外套が、まだ途中なので」
*
墓は、王都の外れの丘にあった。
獣国に人間式の墓は一基しかない。
遠くから見ると、それは白く小さい歯のように、草の中に立っていた。
丘の下に、男がひとり跪いていた。
獅子族の将軍サラフだった。
彼は青い花を墓の前に置いていた。置いてから、しばらく動かなかった。
それから立ち上がり、墓の石をひとつ指で拭いた。埃をとってやるように。
ヴェルグリムは、丘を登らなかった。
登れば、あの男が振り向く。振り向かれたら、何と言えばいいのか分からなかった。
彼はそこに、日が傾くまで立っていた。
サラフは最後まで彼に気づかなかった。あるいは気づいて、無視したのかもしれない。
獅子の影が丘を降りきってから、ヴェルグリムはようやく草を踏んだ。
墓には、字が彫ってあった。
人間の文字だ。竜はそれを読めなかった。
読めないということが、その日彼が受けたいちばん深い傷だった。
*
帰りの道は、長かった。
塔の階段を上がりきったところで、彼は立ち止まった。
アイリスは、机に向かったまま、振り向かなかった。
「行ってきた」と彼は言った。
「そうですか」
「あの男の足は走れない」
「はい」
「あの女の墓には字が彫ってあった」
「はい」
長い沈黙があった。
竜は、両の拳を握ったり開いたりしていた。
砕くものを探している手ではなかった。何かを掴もうとして、掴めない手だった。
「アイリス」
「はい」
「私は」
彼はそこで止まった。
「私は何を詫びればいいのか、分からない」
アイリスは、書きかけの一行を途中で止めた。
振り向いた。
その夜、彼女は彼を憎むために準備していた言葉を、ひとつも使わなかった。
「それが答えです」
彼女は、それだけ言った。
竜は、その言葉の意味を理解できなかった。
理解できないまま、部屋を出ていった。
その夜、彼は壁を砕かなかった。




