領主の屋敷
街を抜けると、木柵に囲まれた大きな屋敷が見えてきた
芝生や低木にはうっすらと雪が乗り、輪郭が薄く霞んで見える
正門の前まで来ると、紋章の入った鉄門の両脇に、門番が二人立っていた
一人が槍を斜めに構え直し、静かに前へ出る
「止まれ。用向きを聞こう」
「ツムギ村の村長代理として参りました。こちらが証となる書状です」
魔術師は手紙を取り出し、両手で丁寧に差し出した
門番は手紙を受け取ると、印を確かめ、もう一人へ小さく頷いた
控えていた門番が帳面を開き、記された名を確かめる
「確かに、ツムギ村からの来訪予定があります」
手紙を受け取った門番が静かに一礼した
「こちらが聖獣様でございましょうか」
「そうですが、あまり騒ぎにはしないでいただけると助かります」
魔術師はかなの頭を撫でながら穏やかに答える
かなはゆっくりとしっぽを振りながら門番をじっと見つめていた
「承知しました。中までご案内致します」
門番はもう一人へ、何かを短く伝える
「こちらへどうぞ」
鉄門がゆっくりと内側へと開かれた
「ありがとうございます」
魔術師は一礼し、かなを連れて門をくぐった
屋敷の屋根が白く霞んで見える
正面には玄関まで続く広い石畳
木柵の内側に広がる庭には、冬でも整えられた低木が並んでいた
人の手で綺麗に刈り込まれた庭を、かなは不思議そうに見渡していた
玄関先で、控えていたメイドが一礼した
「ようこそいらっしゃいました。中へどうぞ」
門番から話を聞いたメイドは静かに頷き、屋敷の中へと二人を促した
玄関を入ると、メイドが外套を預かろうと手を差し出した
「外套をお預かりします」
魔術師は外套を脱いで渡すと、メイドの視線がかなへと向いた
暖かな屋敷の中に入ったことで、かなの毛に付いていた雪が溶け、雫になった水滴が輝いていた
「聖獣様。よろしければお体を拭かせていただいてもよろしいでしょうか」
かなは戸惑うように魔術師を見上げた
「かな、大丈夫だよ」
魔術師は屈むとかなと視線を合わせた
「ここまで歩いてきたから体も濡れているし、足も汚れているだろうから拭いてもらおうか」
「わかった。あるじがそう言うならいいよ」
「ありがとう、かな」
魔術師はかなの頭を優しく撫でた
「お願いします」
「かしこまりました。床が冷えておりますので聖獣様、こちらにどうぞ」
魔術師が立ち上がりメイドに声を掛けると、メイドは厚手の敷物を床に敷いた
かなが敷物の上にゴロリと横になるとメイドが床に膝をつき、布で丁寧にかなの体を拭いていく
足を拭いてもらうとくすぐったいのか、かなは小さく身を捩らせていた
かなが身を起こすとメイドが立ち上がる
「お待たせいたしました。応接室へご案内いたします」
二人はメイドの後に続いた
案内された応接室は、暖炉の火が静かに燃え、暖かさで満ちていた
柔らかな長椅子に腰を下ろすと、メイドが茶器を運んでくる
湯気の立つお茶と、見慣れない焼き菓子と干した果物が皿に並べられた
「どうぞ、お召し上がりください。領主様がお見えになるまで、今しばらくお待ちください」
メイドは一礼して部屋を出ていった
かなは長椅子の上でそわそわと落ち着かず、机の上の焼き菓子を覗き込んでいた
「あるじ、これ食べていいの?」
「いいよ。はい」
魔術師はかなの食べやすいサイズに切ると口元に運んだ
かなは耳をぴんと立て、目を丸くする
「あるじ!これ、おいしい」
「良かったね」
かなの様子に、キュッと鳴いてポシェットからあおが顔を出した
「あおも食べるかい?」
魔術師は皿から干した果物を取り、小さくちぎるとあおに差し出した
あおはポシェットから出てくると、小さな手で受け取りモグモグと食べ始めた
「あるじ、こっちも食べたい」
かなはまだまだ食べ足りないといった様子で焼き菓子を見ている
「はい、どうぞ」
かなは魔術師が差し出す焼き菓子を嬉しそうに食べていた
暖炉の薪が静かに爆ぜる音だけが、応接室に響いていた
あおはかなの上で満足そうに目を細め、くしくしと毛繕いを始めていた
かなも一通りお菓子をもらい、落ち着いた様子だ
コンコンコンとノックが響く
メイドが扉の外から声をかけた
「失礼します。まもなく領主様がお見えになります」
「わかりました」
魔術師は静かに背筋を伸ばすと、領主を迎えるために立ち上がった
応接室の扉が開き、領主が姿を現した
「お待たせしました。ツムギ村からの使いの方ですね」
「はい。この度は村長に代わり、参上いたしました」
魔術師は丁寧に一礼する
「おかけください」
領主は向かいの椅子に腰を下ろすと懐から一通の書状を取り出し、机の上に広げた
「村長からの手紙の件ですが、今年ツムギ村は豊作だったと聞いています。年貢の量については本日お持ちいただいた村長からの返事と、領全体の収穫量を確認し、追って正式な使者を村へ送ります」
「承知しました。村長へその旨お伝えいたします」
魔術師は姿勢を正し、書状に目を通しながら答えた
「それと、もうひとつ」
領主はそこで一度言葉を切ると、かなへ視線を向けた
「こちらが聖獣様でいらっしゃいますね」
「かなだよ」
ゆらりとしっぽを上げ、かなは答えた
「私は、ホーク・ノルトヴァイトと申します。聖獣様の噂についてお話させてください」
ホークはかなへ一礼すると、言葉を続けた
「村の子供が森で迷子になった際、聖獣様が救い出してくださったのですね」
「はい、かなが力を貸してくれました」
「そうですか。ありがとうございました」
ホークはかなへと頭を下げた
「聖獣様のお力添えがあると知れれば、他領からも興味を持つものが出てくるでしょう。良い意味でも、そうでない意味でも」
ホークはかなの姿を改めて見る
「──なるほど。そのお姿で来られたのも、そのためですか」
「はい。街ではこの姿でとお願いしております」
魔術師が答えるとホークは小さく頷いた
「賢明なご判断かと存じます。この街も、皆が皆、分別がある者ばかりとは限りませんので」
ホークはそう言うと、笑みをおさめ、真っ直ぐに魔術師を見た
魔術師はその視線の意味を汲み取り、頷いた
「それにしても……思ったよりも、ずいぶんと大きいのですね」
ホークはかなを見つめ、そう言った
「私や村人を乗せたいという、かなの願いがこの大きさなのだと思います」
魔術師はかなの頭を撫でながら、優しく見つめた
「お母さんも乗せてあげるって、約束したんだよ」
「村にかなをとても大事に思う女性がいまして、かながとても懐いているんです」
かなの言葉に魔術師が説明を足した
「そうですか。聖獣様は村人から愛されていますね」
ホークはかなに微笑んだ
「──申し遅れました。私、ソレル・フォン・ルーンハルトと申します」
魔術師が居住まいを正して名乗った
「ルーンハルト……公爵家の?」
魔術師は穏やかに頷くと続けた
「かなが村長代理のはるきとその家族が困っていることを知り、はるきに同行することを望みました。そのため、私がはるきに代わり村長代理として参りました」
「お母さんが困ってたんだよ」
かなも言った
「次に同じようなことがある場合は、時期を見てお声がけいただけると助かります」
魔術師とかなの言葉にホークは詫びた
「承知しました。申し訳ありませんでした」
「ご理解いただき、感謝いたします」
魔術師は再び、静かに一礼した
領主としての要件が終わり、張り詰めていた空気をふっと緩めるように、ホークは表情を和らげた
「よろしければ、本日はこのまま我が屋敷にお泊まりになってはいかがですかな?」
「かな、どうかな?」
魔術師はかなの頭を撫でながら、かなの顔を覗き込んだ。旅の疲れよりも知らぬ者たちに囲まれ、あおへの気遣いもあったため、かなは疲れたのだろう。甘えたそうな顔をしていた
「ここでもいいよ」
「では、お言葉に甘えます。ただかなも長旅で疲れておりますので、早めに休ませていただければ幸いです」
魔術師はホークへ向き直り、そう告げた
「承知しました。準備いたしますので、このまましばらくお待ちください」
ホークはそう言うと自ら席を立ち、扉の外に控えている者たちへ声をかけに行った
しばらくしてホークがメイドと共に戻ってきた
「お待たせいたしました。この者がお部屋にご案内いたします。今夜はどうぞ、ゆっくりお休みください」
控えていたメイドが先導すると魔術師が立ち上がり礼を言う
「ありがとうございます」
かなも起き上がるとホークに言った
「ホーク。おやすみ」
ホークは一礼すると二人を見送った
廊下に出ると、かなも落ち着いてきたようで、物珍しそうに天井の彫刻や壁に掛かった絵画などへ目をやりながら歩いていた
不意に廊下の奥でぱたぱたと軽い足音が聞こえた
「あ!」と言う声と共に、その足音が速くなる
幼い少女が駆け出していた
「お嬢様!」
「お待ちください、お嬢様!」
メイドと執事らしき男の、慌てる声が響いた
少女は脇目も振らずにかなへ向かって駆けてくる
かなはその勢いに驚くこともなく体の向きを変え、少女を受け止めようと姿勢を低くし体の力を抜いた
少女が抱きつく瞬間には僅かに体を傾け、勢いを殺し優しく少女を迎える
少女はポスンとかなに受け止められ、かなの毛皮に顔を埋めた
ぱっと顔をあげると、笑顔で少女はかなの顔を見た
「おっきいねこしゃん!こんにちは!」
「こんにちは、かなだよ」
「かなしゃん!」
少女は目を輝かせ、かなの顎の下に自分の頬を擦り寄せた
騒ぎに気付いたホークが応接室から駆けつけ、少女を引き離そうと手を伸ばす
「大丈夫だよ」
かなが笑いながらそう言ったので、それ以上は何もせずその場で見守った
「娘のラティーファです。人見知りをしないもので、大変失礼いたしました」
「構いません。かなは小さな子に好かれますから」
魔術師はそう答えるとかなの頭を撫でた
「あの、お嬢様。そろそろお部屋へお戻りください」
「やーん。かなしゃんともっといたい」
「ですが、お客様もお疲れでしょうから、おやすみいただきましょう」
メイドがそっと促すと、ラティーファは名残惜しそうにかなから離れた
「かなしゃん、また会える?」
「うん、また会えるよ」
「やくそくね!」
かなはラティーファの頭に前足をぽんと乗せる
「うん、やくそく」
かなが答えるとラティーファは満面の笑みを浮かべた
「かなしゃんまたねー」
ラティーファはメイドに手を引かれ、執事と共に廊下の奥へと戻っていった
その後ろ姿が見えなくなるまで、かなはゆらゆらとしっぽを揺らしながらじっとそちらを見つめていた
「娘が大変失礼いたしました」
ホークが改めて頭を下げた
「大丈夫だよ、ラティーファはいい子だね」
「かなもこう言ってますので、お気になさらずに」
魔術師はそう答える
ホークを見つめるかなの目は、ラティーファを思ってか、どこか優しげだった
「お部屋にご案内いたします」
控えていたメイドが声をかける
「お疲れのところ、ありがとうございました。部屋に食事を届けますのでゆっくりお過ごしください」
ホークに見送られ、魔術師たちはその場を後にした
メイドに案内された部屋は暖炉に火が入れられ、既に暖められていた
大きなベッドも整えられ、かなとあおと一緒にゆったりと眠れる広さがある
「失礼いたします」
メイドがワゴンに乗せて夕食を運んで来ると、案内をしたメイドと共にテーブルへと並べていく
料理はどれも彩りよく盛り付けられ、二人分の豪華な食事とあおが食べられる果物が添えられていた
かなのものは食べやすいようにだろう、小さくカットされ整えられている
「明日の朝は、こちらからお声がけいたしません。どうぞごゆっくりおやすみくださいませ。朝食は、お声がけいただけましたら、お部屋へお運びします」
「ありがとう」
魔術師が礼を述べると、メイドたちは一礼して下がって行った
「あるじ!美味しそうだよ」
「そうだね、食べようか」
魔術師は、かなに答えると席に着き、あおのポシェットもテーブルに乗せた




