幕間.瀬貝カズオの回顧
――あかんわ、全身が疼いてしゃあない。
この痛みは、多少身体を捩ったり布団に擦りつけたところで、どないしようもあらへん。
昔見た映画で、『鉄板に乗せられた冷凍ステーキの気分』やなんてことを、どこぞの誰かが言うとったな。
あれは……ほんまに的を射とる。
目がなんも見えんようなると、ずっと真っ暗な中におるんか思っとったのに、全然そんなことあらへん。
今までに目に焼き付けてきたもんを、なんべんもなんべんも、常に意識の世界に映し出して気を紛らわさな、疼く痛みで気が狂いそうになる。
真っ暗な中で休めることなんて、そうそうあらへんのやな。
◆
『――あぁ、かんにんです。なんや急に、車が動かへんようになってしまいまして……』
あぁ、もう何回目や。
スズナと出会ったときのことを思い出すのは。
あれはちょうど、EG6から発売間もないEK9に乗り換えて、まさに慣らし運転しとる日のことやった。
『……よし、でけたで姉ちゃん。このまま一時間ほどアイドリングしとったらええわ』
レストランそがの駐車場で、当時のスズナが乗っとったマーチのバッテリーが上がって、難儀しとったところに声かけたのが始まりやった。
『おおきに、親切なおにいさん。京都やとウチ、そないに運転せえへんから……』
『へぇ、はるばる京都から来はったんや。城崎ですか?』
『えぇ……ようやく成人したんで、はじめての一人旅行のつもりでした』
『……ん? なんで俺の顔見てはるんです?』
……パッと見ただけで、いかにも京都の箱入り娘さんて感じの雰囲気を醸し出しとったなぁ。
『……あの、もしよろしければ――』
あのとき、もしスズナからの食事の誘いを断ってれば――
彼女はその後、もっとシャンとした男と出会えたんやろうか。
◆
『――きゃははっ、わたしお父さんより運転上手やろ?』
眼前に流れる映像が、突然変わった。
これは……玲が小学校に入学して最初に迎えた夏休み、スズナとこの町に遊びにきたときの記憶か。
たしか、山と川以外に遊ぶとこあらへんから、ひよっさんのドライブインに連れていったったんや。
『うわぁー俺の負けかー。しゃあないなぁ玲、約束や。なんか欲しいもん言うてみ』
『うーん、どうしよっかなぁ~』
トヨタのセリカとランチアのデルタを、ラリーで競わせるレースゲーム……わざと負けたるんは大変やったのも覚えてる。
この子はスズナの運転下手を、そっくり遺伝しとるんやと思ったわ。
『うはははっ、鬼の瀬貝も愛娘には敵わへんのかいな』
『ひよっさん……笑てられんのも今のうちや。あんたも子供持てば分かる……』
『子供なぁ……まぁたしかに、うちもそろそろ考えんとアカンなぁ。俺ももうええ年やし、上手くいくかは分からへんけどな』
あの天然パーマのオッサン、いちいちからかって来よるさかい、恥かいてしゃあなかったわ。
『子供……そうや、お父さん! 私も――妹か、弟がほしい!』
あのとき、景品の猫の人形で誤魔化したりせんと、あの子のお願いをちゃんと叶えとったら――
あの子はスズナが亡くなった後も、寂しい想いをせんで済んだんやろか。
◆
『――なぁおっちゃん……なんかあったんか』
今度は……まだ12の頃のアユミか。
工場の休憩室で、弁当食っとるときや。
『……なんもあらへんわ。それより箸、またグーで持っとんで。お前は人よりまず自分の食い方を心配しときや』
あいつ、絶対ハンバーグ入りのお子様弁当選びよると思っとったのに、俺のDXのり弁の方が量が多くてええ言いよるから、参ったでほんま。
出会ったときから思っとったけど、玲とはひとっつも似とるところあらへん……まあええこっちゃが。
『……ヘンなの、ぶっ刺した方がさっさと食えるやん』
『世知辛いけど、世間から見てヘンなんはその食い方や。ったく……ええから言うこと聞いて食え食え』
量が足りひんようなったおかげで、夕方前には腹が減ってしゃあなかったなぁ。
今となってはもう胃瘻生活やさかい、お子様弁当ですら贅沢やけどな。
『……まぁ、なんもないんやったらええわ。なんか、やたら目シバシバしとったし』
あのとき、アユミにも京都の家族のことを話しておけば――
あの子を、後々苦しませんで済んだんやろか。
◆
『アユミ……玲から聞いたわ。昨日、またシビックで好き勝手走りまわって、お巡りの世話なったらしいな』
長い沈黙の末、開かれた工場のシャワー室のドア。
俺の手に握られた杖。
そして、ついさっきまで黒かった髪が――金色に染まってしまったアユミの姿。
これは、あまりに記憶に新しい光景やった。
『……それがどうしてん』
『なんでそ……な、なぁ。その髪どうしたんや……今、自分で染めたんか?』
『……ええやろ、自己責任や』
『……ピアスも。自分で穴、開けたんか』
光のない瞳で、苦悶の表情に顔を歪ませても尚、あいつは毒を吐くのはやめへんかった。
『ふん……自分の娘との見分け、つき易なったやんか。よかったなぁ、社長』
あぁ、そうか。
ほんまの娘がおることをずっと黙っとったから。
俺は目を瞑らな話ができひんのや。
『い……痛ないか、耳。痛いんやったら、よう冷やせ』
『……は?』
『……シビックも気いつけて乗れよ。お前が事故ってしもたら元も子も……』
『あぁもう、うっさいわボケッ! 話しかけんなクズッ!』
あのとき、ちゃんとアユミを叱っていれば――
もっと早く親子になれたんやろうか。
『お父さん……アユミさんの問題行動の数々、見て見いひんフリしはるつもりですか?』
『玲……ちゃう、俺は……』
『……もっとも、この衰退の止まらへん田舎町での商売から、身を引こう考えてはるんやったら――そんなことは些事なんかもしれへんけどなぁ』
そして、俺はこの町のことを諦めようなんて――考えることもあらへんかったんやろうか。
◆
「――お父さん」
これはいつの記憶やろうか。
情景も、悔いも思い出せん。
もう、やめてくれぇ。
「……お父さん、大丈夫ですか。ちょっと呼吸、荒かったですよ」
……ちゃう、これは今や。
真っ暗になった中で、シリンジポンプの音がする。
はっきりと、玲の声が聞こえる。
「……どないも、せえへんわ……」
「ふふ、まぁた強がって」
玲は俺をからかうような口調で、クスクスと笑った。
いったい、何がおかしいっちゅうねん。
「だって、さっきから私の手……ずっとぎゅうと握ってはりましたよ」
そう言われて意識を手に向けると、たしかに柔らかな感触が、じんわりと伝わってきよる。
「……かんにん……な……」
「なんで謝んのですか。親子なんやし……いいやないですか」
その優しげな声が一瞬、玲のものなのか、それともスズナのものなのか――分からなくなった。
「……それよりお父さん。今日はアユミちゃんとシュンさんが、挨拶に来てくれはるんですよ」
「……そうか……今日も……あ?」
今、俺が聞き間違えたんやろうか。
それとも、玲の言い間違いか?
「挨拶……? なに……言うてんねん……面会やろ……」
「いいえ、挨拶やって言うてはったよ」
「あぁ……? よう分からん……ことを……」
「ふふっ、それやったら黙って待っとき。きっと、体力は温存しとかはった方がええよ」
俺は釈然とせえへんかったが、ここは素直に玲に従っとくことにした。
そして、それから間もなく――窓ガラスの外の遥か遠くから、俺の耳に聞きなれた音が飛び込んできた。
「……来た」
「え……お父さん、何を言うてはるん?」
「よう……耳澄ましてみ……。相も変わらず……やかましい音や……」
そのエキゾーストノートはだんだんと大きくなって、おそらく誰の耳にも届きそうな音になった。
「へっ……まだまだ……下手くそやなぁ……。病院近くや……もっと遠くから……静かに走らんかい……」
「お父さん……」
あぁ……今日は二人とも、どんな話を聞かしてくれるんやろうか。
楽しみでしゃあないわ。




