81.アユミ謹製 『合わせダシきつねたぬきうどん』
夜の帳が下りたドライブインのスナックコーナーは、ほんの一時間前までの賑わいが嘘だったかのように閑散としていた。
いま聞こえるのは、様々な筐体たちの電子音に駆動音。
そして、それらを上書きする掃除機の甲高い音だ。
皆、食べた器やゴミはそれなりに綺麗にして帰ってはくれたが、やはりどう頑張っても多少は散らかってしまう。
とくに、小ねぎやハンバーガーのパンくず、お菓子のカスなんかはよく床に落ちる。
あとは倉庫からテーブル、椅子を追加で出したり、ちょっとした飾りつけなんかもあったので、全体通してそれなりに大がかりな片付けとなってしまった。
でも、今の俺は――不思議と満ち足りた気分だった。
「……シュン、もう終わりそうか?」
掃除機のスイッチをいったん切り、次のエリアに移動している途中、アユミが厨房のスイングドアから顔を出しながら声をかけてきた。
彼女もさっきまで片付けに参加していたため、髪を後ろに上げてまとめ、最近見かけなかったツナギ姿に着替えている。
「んー、あと五分くらい!」
「五分……な、分かった」
アユミは頷いて、再び厨房に引っ込んでいった。
今の質問にどういった意図があったのかは分からないが、俺は特に気にすることなく掃除を再開した。
今頃は佐藤一家をはじめ、遠方から来た皆さんは“やまぶき”でひとっ風呂浴びている頃だろうか。
よそで宿泊予約が取れていなかったお客さんにもホテルの紹介はしたんだ、リョーコさんには感謝してもらいたいものだ。
もっとも、ゴールデンウィークでもそれだけ空室が発生しているのだから、やっぱり“やまぶき”の経営も相当に大変なんだろうなと思った。
あぁ、スタートラインに立つって……こういうことなんだな。
◆
「んーっ、おわたぁ!」
掃除が終わり、白いプラスチックチェアに腰掛けた俺は、思いっきり伸びをした。
ずっと張りつめていた全身の筋肉が気持ちよくほぐれるとともに、それまで抑圧されていた空腹感が一気に押し寄せた。
オトンとオカンは、お披露目会のお客さんたちが帰るよりも早く居間に引っ込んでいる。
最近は体力の衰えを感じているらしく、きっと自分たちでご飯を作る気力も、残されていないかもしれない。
「……なんか作ったるかぁ。お披露目会やる言うたんは俺やし……」
そう思い立ち、疲れた身体のまま席を外そうとした――そのとき。
視線の先の厨房スイングドアが再び開いて、その向こう側から非常に食欲をそそる“ダシ”の香りが漂ってきた。
「……お待たせ」
そこから出てきたアユミの手には、お盆に乗ったふたつのプラスチック――ではなく、陶器製の丼があった。
「お待たせて……晩飯作ってくれたんか?」
「うん……そうやけど。シュンのオトンとオカンは先に食べ始めてるし、ウチらもそこで食べようや」
アユミは当然のようにそう口にしたが、俺は心底驚いていた。
彼女がこのドライブインに住み込むようになってからというもの、こうしてルーティンから外れた――つまり夕食の誘いを受けたのは、今回が初めてだったからだ。
もしかしたら、こうして一緒に食事をする機会もとうぶん無いのかもしれない。
きっと彼女もそう思って、俺を誘ってくれたのだろう。
「う、うん。おおきに、食べる!」
俺がややおかしなテンションでそう答えると、アユミは「ん」と言葉を零しながら視線を逸らした。
なんか……ただ飯を食うって割に、彼女の表情はえらく強張っているような気がする。
二人で白いプラスチックテーブルに着くと、アユミはお盆の上の丼をひとつ、こちらに差し出してきた。
今日の材料が余っていたのだろうか。
丼の中身はうどんで、いつもの天ぷらに加えて揚げが乗ったスペシャル仕様だった。
このトッピングの組み合わせを見ていると、なんだか二人で食べたいつかの夜食を思い出す。
「うまそーっ。いま俺、めっちゃ腹減っててん!」
「そか……それはよかった」
「んじゃ、さっそく頂きまーす」
「……いただきます」
俺はテーブルの箸立てに入った割りばしを取り出し、綺麗に割って握った。
まずはトッピングを避けて、箸で麺をつまんで持ち上げる。
そして食欲の赴くままに、それを勢いよく口でズルズルっと啜った。
「んぐんぐ、ふまい……んっ。あれ、これ広島風のいりこだしやんな?」
「ん……そや」
「俺も今朝、いっぺん味見はしたけど……これはなんか、もっと複雑というか。でもなんかこれはこれで優しくて、むしろ……こっちのが好きかも」
「……そか。そうやと……思った」
俺の零した感想を聞いて、アユミの強張っていた表情が少し緩んだ気がした。
「いりこと、何かブレンドしたん?」
「……当たり。シュンのオカンから、シュンは昆布だしで育ってるって聞いたから……両方の良いとこ取りができるように、色々試してみた」
俺の知らない間に、まさかアユミがそんなことをしてくれていたとは。
厨房で試行錯誤を繰り返す彼女の姿を想像して、なんだかこそばゆい気持ちが全身にジンと染み渡った。
「うん……これ、ホンマに美味いわ。正直、昆布だけやともう飽き飽きしとったんやけど、これはなんか……ずっと飽きずに食い続けられそうな感じする」
「そ、そうやっ! そうやねんっ!」
「うおっ、どうしたんや!?」
突如として、アユミはテーブルに身を乗り出しながら、彼女らしからぬ高いテンションの波を俺にぶつけてきた。
「……つ、つまり……その」
かと思えば、今度はしどろもどろに言葉を詰まらせながら、ほんのりと赤くなった顔のまま、おずおずと椅子に座り直した。
な、なんやねん一体……。
「ウチは……ま、毎日食べても飽きひん味を……目指してん……」
「そうなんや! いやぁ~、ホンマ美味いわ……よう頑張ったなぁ!」
「……そ、そうやねん……がんばってん……」
俺はおもむろに丼を口につけ、今度はダシだけを味わってみることにした。
うん……いりこのコクと甘み、昆布の塩味とまろやかさが丁度よく合わさって、今まで味わったことのないうどんダシに仕上がってる。
こうして俺が全力でうどんを味わい、食べ進めていると、アユミの目はなんだか少しじっとりとしはじめた。
なんだか釈然としない様子だ……俺、失礼なこと何か言ったかな。
そして、彼女は一度立ち上がってスイングドアの向こうに消えたかと思えば、あるものを手に持って、すぐに戻ってきた。
手にしていたのは、さっきまでドライブイン内に展示していた、昔のドライブイン――そして若い頃のオトンの姿が映った古い写真だった。
「ん、アユミ? なんでそんなもんを?」
「……見てみ、シュンのオトン。若い頃は今のシュンとそっくりやってんな」
「え、うん……まぁ言われてみれば、そうなんかなぁ」
「ウチはけっこう、その……ゴホン、こ、好みやで。シュンのオカンが、結婚したなった気持ちも……まぁ分かるわ」
「えぇ~? あはは、オトンに気いつかっても何もええことあらへんで?」
「……ン」
「……ん?」
――おかしい。
なんか、妙に嚙み合わんなぁ。
「あの……アユミさん?」
「……なにゃねん」
アユミは、明らかに不機嫌な様子だ……何故か言葉を噛んでるけど。
――ま、まさか。
そうか、アレが不機嫌の原因か!
「……す、すまん! アユミが言ってほしいこと、ようやく分かったかもしれん!」
「……えっ……う、うん」
俺が謝罪を口にした途端、アユミは背筋を伸ばして肩をすぼめ、顔を真っ赤に紅潮させた。
やはり図星のようだ。
「アユミ……」
「うん……」
「この味やったら、レイちゃんさんも喜んで毎日食べてくれ……」
「アホシュンッ!!」
アユミはテーブルをバンと叩きながら、驚くほどの怒声を上げた。
「えぇっ、ち、違うの!?」
「ちゃうわ、アホっ! ここまで言われて、なんで気付けへんねん!」
――えっ、やっぱり《《そっち》》の意味だったのか!?
アユミは怒っている割には、顔の紅潮も何やらピークを迎えている。
さすがの俺も、もしかしたらと思っていたし……もしそうだったら嬉しいなとは思っていた。
でも……そんなはずはない、だってアユミは――
「だって、アユミはレイちゃんさんを支えるために、一緒にあの休憩所で暮らすんやろ?」
「……はっ?」
「えっ?」
ふたりの間に揺蕩う空間は、少しの間だけ様々な筐体の音と、外を走る車のロードノイズが支配した。
そして、アユミは深くため息を吐き、脱力して椅子にもたれかかりながら、呆れたような口調で言葉を続けた。
「いや……たしかにウチ、レイちゃんの自工を支える決心はした。整備士としてな、それは……合っとる」
「う、うん」
「せやけど……住む場所はこれまで通り。家賃を払って、このドライブインに……居させてもらうつもりやで」
「……え、そうなん?」
「だって、別にシビックで工場まで通えるし……あの狭い部屋見たやろ? あそこに大の女ふたりで住みたいか……普通?」
「……分からへんかったわ……俺、男やし……」
アユミはしばらく口をパク、パクと開閉させたあと、顔をプイとそっぽ向けながら「アホ」と小さく吐き捨てた。
とにかく、アユミはここを出ていかないつもりらしい。
いつか申し訳なさそうに醸し出していたあの雰囲気は、もしかしてドライブインの仕事そのものを手伝えないことに対する、単にそれだけのものだったのか?
えっ、じゃあ――俺が言いたくても我慢してたこと、言ってもええんかな。
「……よかった」
「えっ?」
どうやら、アユミはまだ愛想を尽かしてはいないようで、俺のアクションに素直に反応を返してくれた。
俺は、眼前の丼に残ったダシを一気に飲み干し、「ぷはっ」と息を吐いてから、さらに続けた。
「やっぱり俺、毎日……このダシのうどんが食べたい」
「……シュン」
奥ゆかしい恥じらいを感じつつも、少しずつこちらに向けられるアユミの瞳から、俺は目が離せなくなっていた。
「……もう、俺は待ちません」
「ん……」
それまで視界の隅に入っていた見慣れた自販機も、バチバチと輝くゲームコーナーの筐体も――みんな真っ白になった。
いっしょにけたたましく響いていた、たくさんの環境音も――魔法のように消えた。
いま俺は――光を宿したグレーの瞳に、すべてを向ける。
「アユミ、俺と――家族になってください」




