79.スズメ目ツバメ科ツバメ属 『ツバメ』
時は流れ、川鉄製うどん自販機お披露目会――当日の朝。
先日足場が取れたばかりのドライブイン軒先の排気口から、いつもよりたくさんの白い湯気がゴーと音を立てて吹き出て、5月初頭の青空の下にかすんでは次々と消えていった。
「大変や大変や!」
――消えていったのは湯気だけではなかった。
直前までスピーチの原稿を手に、外の空気を吸っていた俺はそれに気づいた途端、血の気が引く思いで入口に飛び込み、スイングドアを蹴り開けて厨房で叫んだ。
その瞬間、コンロの寸胴鍋の前で菜箸を持ったランニング姿のオトンと、幅広な大鍋の前ですくい網を手にしたラフな普段着スタイルのアユミが、一斉に俺の方を振り返る。
そして、オトンが首にかけたタオルで額の汗をぬぐいながら吠えた。
「やかましいわアホっ。どないしてん」
「お、おらへんねん……ツバメの雛が、一羽もッ!!」
アユミは窓の外を一度だけ見上げて、またすぐに大鍋の方に視線を落とした。
「……おるやんけ」
「いや、そっから巣見えへんやろっ。巣に一羽も居やへんねん!」
「そら……もう巣立ちしとるんやから、巣におらへんのも普通やろ」
「へ、巣立ち?」
「……電線見てみ」
俺はアユミの隣から彼女に促されるまま、ひび割れたタイル壁についた窓から外を見上げた。
すると、国道沿いに架線された電線の上に、五羽のツバメが止まっている様子が見えた。
「いるな、ツバメが」
「……あれが全部ヒナや」
「えっ……でも、生まれて二十日くらいやで? あれ、全部もう成鳥みたいな見た目やんか」
「うん、そやで。どうせ最近は忙しすぎて、全然ヒナの成長を見てへんかったんやろ」
アユミにそう言われても、いまひとつ理解が追い付いていない俺を見て、オトンも腹の立つニヤケ顔で口を開いた。
「もしかしてお前……ツバメのヒナが飛べるようになるまで、人間の成人と同じくらいの年月かかると思うてたんとちゃうやろな?」
「ア、アホ! 20年もかかるわけないやろっ、せいぜい3年くらいや思ってただけで……!」
「……すまんなぁ、ウマミちゃん。ボケ始まっとる親父よりアホなせがれの面倒、いつも見てもうて」
「アユミです。たしかに、いま作ってるのは旨味ですけど……」
俺を放って、こちらに聞こえる声量でヒソヒソ話を行う二人を前に、俺は顔がカーっと熱くなった。
小さい頃から自然に囲まれて育ってきたが、常に早くこの田舎町を飛び出したいと思っていた俺は、同年代の子供たちと比べても特に自然のものに関心を持とうとしなかったことを覚えている。
しかしその一方で、感慨深い気持ちもじわじわと生まれ始めていた。
そうか、ちょっと前まであんなにシワシワのポヤポヤだったヒナたちが、もう一人……いや一羽で、こんなにも早く飛べるようになったなんて。
そうこうしていると、作業に戻ったオトンは菜箸を寸胴鍋でグルグルと回しながら再び口を開いた。
「まぁ、あのヒナはまだしばらく巣に戻って夜は寝よるし、餌も親に取って来てもらいよる……どっかの誰かさんと一緒やな」
「……ダ、ダレノコトカナァ……」
「……自然の生き物がそれでええ言うてるんや。そないに気にせんでええ」
オトンの一言を耳にして、それまで妙な昂ぶりを見せていた思考がすぅっと落ち着いていく。
でも、やっぱり顔はアチアチなままだった。
「……シュンはスピーチの練習しいや。ただでさえアガリやすいんやから」
「くそっ、なんも言い返せへん……」
俺は渋々、原稿を手に厨房のスイングドアを開けた。
身体が出る前に、俺はもう一度厨房を無言で振り返った。
アユミがこの厨房に立つのは、もう最後かもしれない。
きっと、そう思ったからだ。
◆
お披露目会まで、あと1時間前。
スピーチの練習がひと段落ついた俺は、会場となるドライブインの中を一度見て回ることにした。
すでに来ているクラファンのお客さんがいれば、先に挨拶を済ませておこうと思ったからだ。
ゲームコーナーではさっきからずっと、サキさんとカイトくんがバーチャロンの筐体の前で並んで遊んでいた。
カイトくんの隣にいる見覚えのない少年は、カイトくんの言っていたコースケくんだろうか。
「キッッッショ! 動きブルブルしててめっちゃキショイねん、その紫のやつ! やめーや、攻撃当たらへんねんッ!」
「ダッッッサ! テムジン使って負けんのダッサ! アユミおねえちゃんにふさわしいのはオレ!」
「カイくん、やったれ! ボムジンはブリキ缶だぜ!」
「やかましい、まだ負けてへんわ! 麗しのアユミさんが『爆弾投げとったら強いで』言うてたんや、意地でも〇したるッ!」
「当たらなければどうということはないんですぅー! はいファンネルーっ!」
「ピーピーピーボボボボ」
「あ゛ぁぁぁぁッ!」
サキさんの慟哭が、ドライブインに響き渡る。
じつに長閑で優雅な時間だ。
リョーコさんはゴールデンウィークの書き入れ時、伊澤議員は田島氏が新市長に当選したことで公務が増えてるためか、今日は子供たちだけで来ているようだ。
「少年、また成長したな……見事な漕ぎや……!」
その後ろでは、私服姿の中橋巡査部長が腕を組みながら何やらブツクサ呟いている。
……この人、非番なんだよな?
まさか公務中とちゃうよな?
「アー、ナガラサン、たぐ紐上向イテル……コレ、引ッ掛カラナイ」
「引っ掛かるてなんやねん……クレーンゲームのアームは掴むためにあるんとちゃうんかいゴラァ!」
「ナガラサン、うぶ。くれーん、掴マナイ。モチョイ、右」
一方、クレーンゲームコーナーではファンくんの教えを受けて、長楽がアーム操作に四苦八苦している様子が伺えた。
はじめは東リベの大きなキャラぬいぐるみを取ろうとしていたようだが、今は諦めてすみっコぐらしのマスコットに目標を落としたらしい。
かつて筐体のケース内に山積みになっていたĐôrêmonぬいぐるみを、いつしか根こそぎ獲得していたファンくん。
ニューカプリチオの癖という癖を知り尽くした、当ドライブインの隠れた伝説と化していることを、彼は知らない。
「……なんてね」
俺がそうして、虚しく一人突っ込みをボヤいた瞬間――
ドライブインの外から、中の喧騒に負けない程けたたましい複数のエキゾーストとスキール音が、ブオォン、ガリガリと、一斉に飛び込んできた。
「な、なんやなんや……」
慌てて外に出ると、S14シルビアやランエボ、旧NSXにパンダトレノ――とにかく、無駄に広い駐車場が埋まりそうになるほどの沢山のスポーツカーが、それぞれの駐車スペースに入りはじめていた。
“旧車愛好団 SOGA RACING”と書かれた紅白のステッカーが、よく見るとどの車にも貼られている。
そして、一番手前に停まった見覚えのあるセリカGT-FOURから、ある人物が下りてきた。
「――おーっ、ひよっさんの坊。久しぶりやな。外壁の足場も、ばっちりバラされとるやん」
「く、熊さんたちやったんですか! あーっ、びっくりした」
「なんでびっくりすんねん」
「いや、てっきり族かなんかかと……」
「うはは、失礼なこと言うなや! こっちゃ高速近くのトヨタディーラーで、真っ当に整備士やっとるちゅうねん」
熊さんはカラカラと笑いながら、後部座席のドアを開けた。
座席に取り付けられたチャイルドシートに乗っていた、息子さんとおぼしき小さな男の子を、熊さんはひょいと持ち上げて外に出す。
「だっこ、いらへんわ」
「あはは、もう反抗期かいな。ほーらよっこいしょ」
熊さんが抱えていたお子さんを地面に下ろすと、彼はプリプリと、ドライブインの入り口へ一直線に駆けていった。
「あー、一人でいくなって……すまん、鈴鹿帰りで機嫌悪いねん。また後でゆっくり! 元瀬貝自工のみんなもボチボチ入らしてもらうで!」
「はい、ゆっくりしていってください」
熊さんはお子さんを追いかけ、駆け足気味にドライブインの入口へと向かっていった。
ドライブインの外観は、看板と外壁がきれいに塗り直されたことで青い空によく映え、新築同然とは言わずとも、新鮮な雰囲気をしっかりと演出している。
俺は、首にかけていた一眼を取り出し、やや広角で建物全体と空が一緒に入るようファインダーに収めた。
「……今日は、気にしとる場合とちゃう」
そう、今日はドライブイン再起の日だ。
皆に楽しんでもらわなきゃ。
そう思い、俺は指で半押しにしていたシャッターボタンを押し込んで、春空の下でメカシャッターの音を響かせた。




