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絶滅危惧種の深夜ドライブイン。夢破れた出戻りの俺と、VTECを奏でる幼馴染と。  作者: とむ
2026年

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74.無題



「玲……か」



 社長は病室の入口を振り向くこともなく、一度浮かせた腕をベッドに落とし、落ち着き払った様子で口を開いた。


 一方のアユミは、彼のパジャマをその手でしっかりと掴んだまま、強く見開いた目で視線を入口に送った。



「……かんにんなぁ、最初からぜえんぶ廊下で聞いとったんよ。えらい、いつもより元気そうに話してはるやないですか」



 淡い春色のセーターとフレアパンツに身を包み、アイボリーのステンカラーコートを腕に抱えた玲さんは、いつもよりフランクな口調で社長に声をかける。

 それを受けた社長は、バツが悪そうにふーっと息を吐いて、そのまま押し黙ってしまった。



「少なくとも……私は困ります。余所《よそ》もんの女の人を、家族に迎える迎えへんなんて話を……コソコソ勝手にしてはるなんて」



 靴のかかとが床に当たるたび、病室内にカツ、カツと音が響く。


 アユミの見開いた目は次第に細まっていき、それはやがて社長の足下まで近づいた玲さんに向けられる、ギラギラとした灰色の眼光と化した。


 しかし、玲さんはそれに構うことなく、さらにこう続けた。



「――なんでいつも大事なこと、娘に相談せえへんの」



 刹那、アユミの目から鋭さが失せ、瞼がパチパチと瞬いた。



「私かて……たった一回、『こいつの成人祝いや』なんて言われて、スナックで少し話しただけの子と家族なるか言われても……そら嫌やわ」



 社長は表情を崩すことなく、静かに耳を傾けている。



「でも……それやったら、お父さんがもっとしっかり話の場を設けはって、キチンと紹介と相談をせな……ほんまはアカンのと違《ちゃ》いますの」

「……玲」


「自分一人でぜぇんぶ決めて、上手くいくような器やないなんて――自身でもとうに分かってはるはず」



 そして、玲さんは身をベッドにグイと乗り出し、社長と間近の距離で顔を突き合わせた。



「――なんで、もっと娘を頼らんの」



 凛と響き渡った叱咤の直後、病室から音が消えたように錯覚した。

 首を硬直させたまま、開いて閉じてを繰り返す社長の瞼を、玲さんは真っすぐな目で見つめている。


 そんな二人の姿を、俺も、手の力が緩んだアユミも、今はただ見守ることしかできなかった。



「……工場のことだってそう。ホンマは残したいんやったら……『残したい』の一言くらい、言うだけ言うてみはったらええやないですか」

「……お前が、言うたんやないか……『引き際……弁えろ』て……」


「えぇ、言いました。再建はもはや、お父さんには荷の重い仕事や思うてます」

「……それに、お前は……俺も、この町のこともなんもかんも……ホンマに恨んどったやろ……」


「えぇ……それもホンマのことです」



 社長の息は粗く、すでにアユミとの会話で体力を消耗していたのか、段々と流れる脂汗の量……そして全身の震えの強さが、目に見えて増していた。

 今日はもう……あまり長く話すことはできないのかもしれない。



「せやろが……そないな状況で……」



「――せやけど、後から“好き”に変わるかもしれへん」



 しかし、そんな彼の震えが――その瞬間、ぴたりと止んだように見えた。

 


「……売却案と並行しながら、実はどうやったら工場を生き残らせられるか……私なりにぎょうさん案を考えてはいました。せやけど、もっと早ように相談してくれてはったら……もっと建設的な方法があったはず」

「……玲……」



 俺は、玲さんの『ぎょうさん考えて』という言葉を聞いて、いつかのビューレストランそがで目にした、疲労困憊な彼女の姿を思い出した。

 彼女が言っていることは、決してポーズでも嘘でもない。



「……あの亭主関白が、なんでそんな怖がりになってしもたん。反抗期の娘た(・)ち(・)に“頼る”ことが、そんなに怖いん?」



 言葉の直後、アユミが小さく「たち……?」と零した。

 それを耳にした玲さんはギョッと肩を跳ね上げ、意味深な咳ばらいをゴホンと挟んでから――社長のやせ細った右腕をやや強引に掴み、言葉を続けた。



「と……とにかく。まだもう少し、お父さんには生きてもらわなねぇ」

「……何すんねん、玲」



 社長は腕を掴まれたことに困惑しているようで、瞼を閉じたまま首を所在なさげに右往左往させている。



 「あなたがぎょうさん黙って溜め込んではった仕事を……これから一緒に、一個ずつ整理していかなあきません。そのためにもまず……」



 そして、玲さんの手によって社長の右手は――





「あっ……」



 ――アユミの頭に優しくそっと置かれた。



「ちゃっちゃと、どうしはんのか決めてもらえますか?」



 そして、玲さんは続けて社長の左手を持ち上げ、今度は自身の頬に彼の手を添わせるように重ねて、目を瞑った。


 アユミはしばらくの間、驚きを隠せない様子でがちがちに硬直していた。

 しかし、社長の大きな右手が次第にゆっくりとした動きを伴い始め、染めた髪を指に絡めるように頭を撫で、さらに彼女の輪郭を確かめるように頬を包み込みはじめたことで――とうとうアユミの瞳から、抑え続けていた涙が止めどなく溢れ始めた。


 大きな左手に包まれていた玲さんも、それまでツンと尖らせていた口を段々と緩めはじめ、やがて「ふぅ」と息を小さく吐きながら、安堵しきった表情で受け入れていた。


 窓際の白いカーテンを透過した光に包まれ、ただ静かに身を寄せ合う三人の姿は、いま肌を合わせていない俺にすら鼓動が伝播してきそうだった。





「……がんばって、よかったなぁ」



 俺は天井を仰ぎながら、誰に言うでもなく自然と漏れた言葉を、そのまま口にした。




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