67.カクダイ製菓株式会社 『ラムネ菓子』
「はぁ……はぁ……」
手持ちライトが照らし出す約10m前方の円形の空間には、ひび割れたアスファルトと錆び付いたガードレール、ぼうぼうに生え散らかした雑草が、歩くたびに形を変えて視界に入り続ける。
そして、外灯なんてものがほとんど存在しないこの一帯において、そんな明かりの外の常闇では視覚が全く役に立たず、代わりとなる聴覚が自然と研ぎ澄まされていった。
風でざわめく木々の音、ライトに引き寄せられる虫の羽音、低くヴーッと呻くような山のシカの鳴き声が耳に届くたび、全身がざわつく。
夜の国道は人が居ないのにこんなにも騒がしく、ここがもはや俺たち人間のテリトリーでもなんでもない事実を、はっきりと突きつけてくる。
とにかく、“怖い”と思った。
車というアルミの壁を隔てていないだけで、こんなにも心細いものなのか。
――そして、グレーの上下ジャージに先日のスナックで着ていたジャケットを適当に羽織ったアユミは、そんなアウェーの世界であろうがお構いなしに、無言のままどんどんと先へと進んでいく。
「はぁ、はぁ……」
あ、歩くのが速い……。
自分から切り出しておいて情けない話だが、俺はこんな田舎の夜道を歩いた経験なんてほとんどない。
むしろ、24時間煌々と明かりを灯し続けるドライブインで育ってきたうえ、2年間を東京で過ごしたことで、本当の意味で明かりのない世界というものを知る機会がなかったから、どうしても足の運び方がおぼつかない。
一方、アユミはもともと隣の学区から、毎晩ドライブインまで歩いてやってきていたのだ。
もしかすると、今でもよく目が利いているのかもしれない。
そう思うほかないくらい、俺はアユミの背中を必死で追いかけていた。
そして、昔の彼女が置かれていた状況の恐ろしさを、本当の意味で理解した。
「た……タンマっ!」
「……」
まだ5~6㎞ほど歩いたところだろうか。
でも、こんなペースで歩いていたら21㎞なんてきっと持たない。
俺はたまらずストップをかけるが、アユミが止まる様子はない。
「ちょ、アユっ……はぁ、はぁ……そんな早よ行っても……すはぁっ」
「……」
「びょ……病院あいてないっ」
どうにか絞り出した叫びによって、アユミの足はついに止まった。
「……ぐすっ……」
ライトを足元に当てているから顔まわりはよく見えないが、振り返ったアユミも俺より小さいながら肩で息をしていて、それでいて何かを啜る声はハッキリと聞こえた。
「アユミ、ちょっと休憩しよ……お茶もスポドリも持ってきたで、な?」
「……来んなやアホ……帰りいや……」
アユミはキツイ言葉選びをしながらも、律儀に足を止めてくれていることに安堵する。
「悪いけど帰れへんで。こんな夜道、アユミをひとりにはできひん。……あとついでに俺も一人じゃ帰れへん……」
「……アホシュン……」
当たり前だけど、アユミが完全に落ち着きを取り戻せるようになるまで、まだまだ時間はかかるはずだ。
隣町の病院まで夜通し21kmの道のりを歩こうだなんて、我ながらアホな提案だとは思ったが、それは決して考えなしに口にしたことでもなかった。
こうして時々、アユミは潮が引いたように一時的に落ち着いたあと、時間が経って感情が再び不安定になる。
そんな様子をさっきから繰り返し見ていると、きっと家で寝かしつけてもまた起きて、何かしらの行動に移ろうとすることが容易に想像つく。
それならあえて目的を定めて、社長に与えられたものではない“徒歩”で一緒に行動すれば、アユミのトラウマに触れることなく、朝までに彼女に何かあってもすぐに対応できると思った。
もちろん、夜道を歩くことが安全とは言えないためベストな方法ではないだろうが、いつ飛び出すか分からない家にいるよりはベターな案のはずだ。
「あ、あのバス停でちょっと座ろ……」
「……ぐすっ……」
道路脇にライトを振ってたまたま見つけたのは、古い簡易なプレハブ小屋がもうけられた真っ暗なバス停で、青いベンチとスタンド看板が置かれている。
ベンチ座面と背もたれには劣化した塗料の白い粉が浮いていて、軽く払うと手のひらが真っ白になった。
「うえぇ……ウェッティー、ウェッティー……」
俺はベンチに腰掛け、明かりが無く見づらいリュックの中を手探りする。
そして、数本の飲料とお菓子、充電器とクマよけのホーン、そしていつぞやにアマゾンで800円で買った『防熊喷雾《熊スプレー》』をかき分け、底で潰れて液漏れしていたウェットティッシュを取り出した。
「ひっ、底がビショビショや……。ア、アユミもお手て拭いとき。お菓子は何が食べられそうや?」
「……」
アユミは無言のまま隣に腰掛け、ウエットティッシュを1枚だけ袋から引き抜いて、それを目元に当てた。
俺はなるべく音を絶やさないよう、ひとりでブツクサ喋りながらバッグのお菓子を漁った。
「うちの自販機で売ってたん適当に買ってきたからな。カレービーバーに源氏パイ、イカ姿フライ、なんか全般重いなぁ……あぁ、ほな胃と頭に良さそうなこれにしよ。ホレ」
そして小さなラムネが5個ずつ、青、ピンク、黄色の色付きフィルムでキャンディ状に個包装されたものを適当に手に取って、それもアユミに渡した。
彼女はチラチラとこちらを気にするそぶりを見せた後、ラムネの個包装をすべて取り払って手のひらの上にすべて開け、白い粒たちをいっぺんに口に頬張った。
あぁ、やっぱりお腹は空いてたんやなぁ。
「それええな。俺もやろっと……」
彼女を真似て、俺も数袋分のラムネを手の平に溜めてから口に放り込んだ。
心地の良い咀嚼音が、外の環境音よりも口の中で大きく反響して、妙な安心感を覚える。
それから少しの間、二人して沈黙しながら、口の中のラムネをひたすらぼりぼりと噛み続けた。
「……ぷはっ。あはは、久しぶりにやったわこの個包装全否定食い。アユミも同じことやっとったんやな」
たぶん、返事はこない……が、それでいい。
俺はなるべくアユミの気分を均一に保つため、他愛もない話題でもとにかく話しかけようと思った。
「……昔は家に、菓子だけはぎょうさんあった」
だから、失礼ながらアユミの返事には内心とても驚いていた。
もちろん、会話に参加してくれるのは嬉しいし、安心もする。
「へぇ、そんなんや……ん。家ってその、どっちの……?」
「……縁切った方」
しかし――それは同時に、思いがけない方向への話題の舵きりでもあった。




