6.タイトー 『NEW CAPRICCIO』
「お、同じちゃうよ」
俺は無意識に手にしていた、和菓子の半端に破いた袋をテーブルに置いて、アユミの言葉を必死に否定した。
アユミが唐突におかしなことを口にするなんて、昔からよくあることだった。
『ハンバーガーにチーズだけ足して金額倍にしたらクソ儲かるやん』とか、『なんでクレーンゲームの景品にエロ本が置いてあんの』とか。
そんなしょうもないことは、人前でも平気で口にした。
「なんでや。行きたかったら、行ったらええ」
でも、こういう背中の押し方をする人ではなかった。
昨日かけてくれた言葉もそうだけど、この二年間でいったいアユミに何があったんだろう。
「いやアユミが自分で言うてたやん、ここは“そういう場所”なんやって。流石にこれ以上のことは過干渉で――」
「――ん、そういう場所や。“言いたない人間”にとってはな」
アユミはそれ以上話すことはないと言わんばかりに、表情ひとつ崩すことなく残りのうどんをすすりはじめた。
なんやそれ……そんなんズルいやろ。
つまりはなんや。
あの時、アユミも――
「……すぐ戻る」
「ん」
俺が椅子から立ち上がると、彼女は箸を持った手を軽くヒラヒラと振った。
「……あっ、いた!」
店内を見回りはじめてから、ファン君はすぐに見つかった。
彼は何故か、一台の古めかしいクレーンゲームにもたれかかるようにして、項垂れていた。
その目には――確かに涙が流れている。
「だ、大丈夫ですか?」
俺が心配していた以上に、ファン君は辛い想いを抱いていたらしい。
さっきまでアユミ並みに無表情だった彼が、今はこうして顔をくしゃくしゃにして嗚咽を漏らしている。
これは思っていた以上にとんでもない事態だぞ。
「あの人になんかひどいこと言われたんですか!? 俺でよかったら、聞かしてくださ……」
「ド、Đôrêmon……」
「……は?」
◆
「あッ? なんすか兄さんッ?」
ジャグラーに興じる彼にこうやって話しかけるのは、奇しくもこれで二度目となる。
流石に前回とは違い、いきなり激しい怒声と暴力を浴びせられることはなかったが、怒声に限りなく近いその返事は決して快いものではなかった。
「いや、その……長楽さんにはいっぺん、お連れのファン君の様子を見たげてほしくてですね……」
「いや、それはおかしいでしょ! 前のことはたしかに俺が悪かったっすけど……今回はなんで、アンタの都合で俺がファンの様子見に行かなあかんのやゴラ……」
一瞬、激昂しそうになる長楽だったが、俺のはるか後方で睨みを効かせる(効かせてない)アユミの姿が目に入ったのか、しゅんと大人しくなった。
「……なんでファンの様子見にいかなあかんのですか」
「いや、なんでと言われるとアレですが……だってこのままじゃ、長楽さんもファン君もお家に帰れないですよ?」
「……ハァ?」
これも至極まっとうな反応である。
しかし、もはや説明をするより状況を見てもらった方が早いと思い、俺はそのままファン君のところに向かいはじめる。
やがて、後ろから深くため息をつく声が聞こえ、続けてスツールを下りた音がした。
「Đôrêmon、アァー……」
「お、おい、ファン! なにしてんねん!」
相も変わらずクレーンゲーム筐体の前で項垂れているファン君に、長楽が詰め寄った。
筐体のガラスの中には、いつから入っていたのかも分からない色褪せた小さなドラえもんのぬいぐるみ達が、まったく同じポーズで、まったく同じ笑顔を並べてゴロゴロと積み上がっている。
「ナガラサーン、Đôrêmon、トリターイ」
「いやいや、なんで大の大人がドラえもん取れへんでメソメソしとんねん……」
額を手で押さえ、心底呆れた声を上げる長楽に、俺はファン君から聞いたこととスマホで知り得た情報を織り混ぜ、こう伝えた。
「長楽さん、それがですね……ベトナムの方にとってのドラえもんて、俺たちが思とる以上に……その。ベトナム国民の誰もが知るレベルの象徴的なアニメになっとるみたいで……」
「あぁッ!? ドラえもんは日本のもんでしょうが!?」
「そんな角の立つこと言わんといて……とにかく、彼はどうやら兄弟たちとテレビの前で過ごした時間を思い出して……なんかこう、溢れてもうたみたいです。郷愁が……」
「あぁもう、なんでもいいっすわ……おいファン! 何がなんでもはよ取れ!」
「クレーン、スティック違ウ。ボタン、ムズカシイ」
「言い訳すんな! ったく……」
彼はおそらく、この筐体がポピュラーなジョイスティック式ではなく、『→』『↑』のボタンで操作する形式だから難しいと言いたいのだろう。
「兄さん、あれできひんの? あの景品取りやすいとこに置くやつ!」
「それが……見ての通りの小さいぬいぐるみなので、もうすでに取りやすい形になってまして……」
そうこうしている間にも、彼が操作するクレーンはドラえもんの頭の先を一度は掴みそうになるも、文字通り掴みどころのない真ん丸な表面に沿ってアームはするりと滑り、やがて空を切った。
この機種は失敗するたび、スピーカーから笑い声が発される。
鬱陶しいことこの上ない。
オマケにアームには“777”が揃うと1プレイ追加となるルーレットが付いているが、見ている限り一度も揃っていない。
「あぁクソ、なんでドラえもんの頭丸いねんボケェ! ……ファン、ちょっと待っとけ!」
訳の分からない怨嗟を吐き出しつつ、突然奥に向かって駆け出した長楽。
彼はしばらくしてから、10円キャッチャーの景品である三本の棒状の袋を持って戻ってきた。
「おぉい、これやるわ! ホラここに描いとるの、どっからどう見てもドラえもんや!」
「ナガラサン、Đôrêmonチャウ。ウマイボー」
「だあぁもおぉぉ! どれも似たようなもんやろうがぁ!」
『いやちゃうやろ』と心の中でツッコミつつも、俺はその派手に染めた金とも銀とも取れない髪に手をつっこみ、ガシガシとかきむしって精神崩壊寸前をさ迷う長楽に対し、不思議と同情の気持ちが生まれはじめていた。
「も、もうええから帰るぞ! ホラッ」
「イヤデース!」
もはや懇願にも似た声を発しながら、長楽はファン君の肩に手を置いた。
しかし、彼はそれを頑として弾く。
「おいッ! いいから言うこと聞――」
「――Đôrêmon、“家族”サエ居レバ、私ハ最後マデ、ナガラサンノ下、頑張レマース!」
「かぞ……」
そして、ファン君の突然の決意表明に、長楽はたちまち静かになった。
ファン君は再びガラスの方を睨みつけ、今まで以上に真剣な眼差しをガラスの中に注ぎ、ボタンを押す。
陽気なBGMの中、アームは不安定な揺れを伴いながら、敵地塹壕に向かって突撃していく。
「――アッ」
「え」
「お……」
――ついに奇跡が起きた。
ファン君が自国ならフルコースディナーが食べられたかもしれない程の金額をつぎ込んだそのクレーンのアームは、ドラえもんの大きな丸い頭と撫で肩の胴体を華麗に躱し、ついに首根っこを押さえた。
「ファンっ、お、落とすなよォ、いてもうたれッ!」
「い、いけっ、いけっ!」
長楽の声が情けなく裏返り、かくいう俺も思わず興奮を押さえられなかった。
そんな俺たちの想いを受けたファン君が操作するアームが、約80センチ四方の硝子の大空で白鳥のように舞った。
「「行けぇーッ!」」
――俺たちは今、確かにひとつとなっていた。
一方、アユミは奥でお菓子を食べながら、こちらを気だるげに見ていた。
「やっ……」
そして、ドラえもんはアームを離れ――手前の大きな通り抜けフープのような穴へ飛び込み、まもなくファン君の足下にある取り出し口の薄汚れたアクリル蓋に、ガチャンと音を立てて衝突した。
「やったあぁぁ!」
「ウオーッ、ファァァンッ!」
ファン君が誇らしげな表情でこちらに振り向くと同時に、長楽はマウンドで勝ち投手を囲うチームメイトのように、彼の身体に飛び付いて黒い髪をワシャワシャと荒っぽく撫でた。
「お前、やればできるやんけぇ……うぅっ」
いつしか、長楽の目には涙が。
いやアカン……俺もちょっと目頭にきた。
「よかったなぁファン……もうこれで……」
「ハァイ、コレハ……“ドゥック”、デェス」
「……ドゥック?」
「四番目、弟デース」
その言葉を聞いて、俺も長楽も一瞬思案した。
「アトハ……“ナム”、“タイン”、“ラン”……アハーハ、頑張リマース」
ファン君は身体にしがみついたまま硬直した長楽をさっと下ろし、朗らかに笑いながらそう口にして――
再びクレーン筐体に目線を戻した。
「嘘やろ……」
より大きく反芻したのは、果たしてどちらが漏らした声だったのか。
今となっては定かではない。




