63.レクサス 『LS500h エグゼクティブ』
「――こちらの2021年式のレクサスLSは事故修復歴無し、走行距離は約1万kmでありながら車両本体の価格は¥10,860,000と、大変お値打ちになっております。先代のオーナー様は社長と知己の仲にあるお方で、当車両が大切に乗車、保管されていた経歴は弊社が保証いたしますよ」
あぁ……すごく、すごく大変なことになってしまった。
軽い気持ちで“中古車”なんて言葉を口走ったばっかりに――
俺はいま玲さんに連れられて、工場の裏に並べられ露天展示された車を、マンツーマンで懇切丁寧に案内されている。
「……すみません、も、もっと経済的な車は……」
「そうですか。それでは、こちらはいかがでしょうか? このBMW Z4は走行距離が5万kmを切ってなお、本体価格は¥8,920,000に抑えております。そこに法定費用が乗って、ざっくり――」
「あの……」
「はい、なんでしょう?」
「なんか、その……さっきから明らかに“ええ車”ばっかりオススメされているような気がするんですが……」
「はい。最近レストランで会うたとき、ええ背広も着てはったし……選ばはる車も、キチンとしたもん紹介せなアカンかなと思いまして」
玲さんは顔に影を作ったままの笑顔も、すらりと伸ばした背筋も崩すことなく、さも当たり前のようにそう言った。
「高潔なジャーナリストを目指してはったお客様が、まさか情報欲しさに冷やかしで来はったとも思えへんし……社長と親交のあったお方の息子さんとあれば、私どもも中古車とはいえ、妥協のないお車をご紹介したいと考えるのは当然のことです」
「うぅ……」
いっせんはちじゅうろくまんえん。
はっぴゃくきゅうじゅうにまんえん。
川鉄製うどん自販機の修理費のざっと10倍いじょうで、ここに法定費用やら保険料やら維持費やらが乗っかって、ひーふーみー……。
あっ、あっ。
「もしくは、こちらはいかがでしょうか? 凍結の多い山陰地方のドライブにぴったり、レンジローバーのディフェンダーは2022年式で、先月車検が済んだばかりの――」
俺は、藁をも掴む思いで周囲を見回す。
奥の方には極めて経済的なはずの軽自動車が辛うじて見えるが、その手前に陳列する――これから紹介されるであろう強敵《高級車》たちの圧が強すぎて、蜃気楼のように消えていくような錯覚に陥った。
今さら、購入意思はほとんどなかったとは言い辛い。
「――あら?」
こ、これもアユミのため……。
ローンが組めればなんとかなるか?
いや、たぶん頭金が払えんやろ。
そう思えば思うほど、そんな錯覚はやがて周囲の高級車にもおよびはじめた。
上質な艶を帯びていた黒やら白やらシルバーの車たちはぐにゃりとひしゃげ、まるで一つに溶け合うように視界の中で液状化した。
そして、瞼を開け閉じする回数が露骨に増えたあたりで――玲さんが「ぷっ」と笑みをこぼす声が聞こえた。
「そんな泣きそうになるまで、見栄なんかはらへんかったらよろしいのに」
「な、泣きそうになんて……」
「あははっ、少々いけずが過ぎましたね。普通に考えて、ドライブインのバイトの収入しかあらへん人に、ええ車の営業なんてかけるわけないやないですか」
「え……」
あぁ、やっぱり見透かされていたんだ……こんな慣れないこと、するんじゃなかった。
情けない気持ちと、張り詰めていた緊張が解けた安堵と、これ以上の情報収集が困難となってしまった挫折感に打ちのめされ――
「今度からは、従業員の迷惑になるような冷やかしはせんといてくださいね」
「……ごめんなさぁい……」
――結果、思わず自分でもビックリするぐらい大粒の涙が流れ出てしまった。
俺はこのラスボスを前にして、一体何をやっているんだ……。
「……私にもこんな弟がいればなぁ」
そんなダサさの極みに達した俺の傍らから、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く玲さんの一言が、辛うじて耳に入った。
◆
それからしばらくして、彼女はため息をつきながら再び口を開いた。
「どうですか。もう落ち着きましたか?」
「はい……本当、すみませんでした……」
「まったく……人に隠れてコソコソ情報集めなんてしようとしはるから、こんなことになるんですよ」
「はい……滅相もございません……」
「ちゃんとご連絡いただければ……お話くらいはお受けしますから」
「はい、本当に……えっ!?」
それは、あまりに思いがけない一言だった。
だって、これまで彼女は俺からの取材アポを一切受け付けてくれなかったじゃないか。
「な、なんで……だって」
「……さぁ、なんででしょうねぇ」
玲さんは、はぐらかすような口調でそう返した後、近くにあった適当なレクサスの助手席側ドアを開け、手招きをしてきた。
俺はおそるおそる運転席のドアを開けて、皮張りのいかにもお高そうなシートに慎重に腰をかける。
「さて……どんなお話してくれはるんでしょう?」
ドアを閉めると外に響いていた雑音がピタッと止み、玲さんのはんなりとした口調が直に耳へ入り込んでくる。
俺たちの間に流れる空気が、ふたたびピンと張りつめた。
「では……率直に伺います。あなたが瀬貝自工を畳む理由はなんですか?」




