60.スナック 『ユキちゃん』
あぁ……めっちゃフワフワする。
俺、ぜんぜんよってへんのにフワフワする。
「――ウチ、めっちゃよいにくいねん。ホンマにマジでさけつよいから、水みたいにのめるねん」
ジャケットを脱いだ白いノースリーブワンピース姿のアユミは、鼻息をフンスとならしてそう豪語したあと、水のはいったグラスをいっきにぐいとあおった。
スナックのあったかくてムーディーで、ぽわぽわで……あったかくてムーディーな光の影になってても分かるくらい、顔はまっかだった。
さすがアユミや。
あいもかわらずカッコええわ。
「すごいやろぉシュン、ほめてやー」
そして、なんでか知らんけどバックで爆笑してはるリョーコさんとママのやかましい声をよそに、アユミはソファのうえで四つん這いになって、こっちに雌ヒョウみたいなポーズのまま向かってきよった。
ぐいと鼻先に近づいたアユミの髪から、めっちゃええシャンプーとアルコールのにおいが混じった、ごっつええメスのかおりがする。
めっちゃクラクラきたけどなぁ、おれはよってへんからな。
人様のまえでへんなことはいえへんねん。
「はぃはぃ、アユミは日本イチすごくてすごい……日本イチや」
「に……日本イチじゃ、いーやーやぁ! ウチは世界のてっぺんとらな、玲ちゃんかリョーコちゃんにシュンがとられてまうねん。でもウチなぁ、ヤンキーみたいになってもうたから、関西によくおるただのヤンキーやねん。ムネもあらへんねん……」
ひとの膝枕にかおを埋めながら、なぁにを泣き言いうてんねんアユミはぁ。
そんなもん、おれのくちから言わせんでも、わかるやろがいっ。
「ファァァァーッ! ええどええど、アユミちゃんも日巡くんもよう出来上がっとんのぉ! ムネくらい、アタシがなんぼでも放ったらぁフェフェフェっ!」
「よく居んのよねぇ。スクリュードライバー、ジュースみたいで飲みやすいからって、すぐにグデングデンになる子さぁ」
外野がなにか言うてはるけど、おれはアユミとちがってよってへんからな。
だって、とけいはみじかいハリがてっぺんちょい右、ながいハリが左上やから、まだ10時すぎくらいやろ。
よるもまだふけてへんし、ようにはまだ早い。
よーし、沈着冷静にクールなこと言うぞぉ。
「ほな宇宙イチなんちゃうか。おれ、こないだ宇宙イチの銀河地元ローカル紙ジャーナリストになった夢みてん。せやからアユミも宇宙イチやろがい」
「わぁぁんっ、おおきになぁ、かんにんなぁ。ほかの女といっしょにご飯したくらいで冷たくしてかんにんなぁ」
顔をあげたアユミは、なんかめっちゃ涙ながしとった。
んで、しれっと行きしなに不機嫌やったワケ話しよるやん。
「ええんやで。こんどまた行こうなぁ」
「グス……約束、忘れんといてなぁ……デートもっとしてなぁ……」
外野からは「ヒューヒュー」だの、「よっ、宇宙イチィ!」だの、きいろい歓声がとびかっている。
おいおい、よしてくれよ。
おれの東京でつちかった、洗練されたたたずまいが、みんなを沸き立たせるんだろうか。
おれがずっと手にしていたデカイジョッキとお酒だとおもっていたものは、アイスペールと溶けた氷水だった。
なんてこった、お酒がないではないか。
何か、たのむことにしよう。
「フッ、ゆびきりげんまんや。マスター、なにか強いおさけをたのむ」
「誰がマスターやおんどれぇ! ママと呼べぇママとぉ」
「ブッヒヒヒヒッ、どっちでもええがなユキちゃあん」
店のカウンターでサバトがひらかれてるんやろか。
ふた方向から魔女みたいなこえきこえてくるやん、こっわ。
それからまもなく、マスターが氷と透明な液体の入ったグラスをはこんできた。
俺がこれみよがしにグラスをあおると、まるで水のようだった。
「ぷはぁ……フッ」
「うえぇ……ウチにものましてぇ、のましてぇ」
「しゃあないなぁ、涙もなんもかんも酒でながしてもうたらよろし」
「んぐんぐ……水みたいやぁ……グスッ」
アユミは「かんにんやぁ」「いつもかんにんやぁ」「おおきになぁ」としきりに呟きながら、俺の膝の上ですすり泣き続けていた。
俺はただ、そんな彼女をハードボイルドにぽんぽんしてやるほかなかった。
「なぁママ、あれも水ちゃうんか」
「オッチャン、いまオモロいところなんやから黙っとり」
「うひひっ、若いってええなぁ……」
◆
目が覚めると、光を透過した白いカーテンと、見慣れた自室の木張り天井が視界に入った。
リョーコさんが呼んでくれた運転代行で、どうやら無事に家に帰ることはできたらしい。
しかし畳で直に寝ていたためか、妙に背中が痛む。
アユミが昨日の上着を脱いだ格好のまま――しかしワンピースが崩れ、少しはだけた姿でボサついた髪を揺らし、目をこすりながら俺のすぐ隣で上体を起こしたのは、ほぼ同時のことだった。
アユミは自身の首から下の状況を見回してから、ひとこと零した。
「……うわ」
その声を聞いて、俺も思い出したかのように、自分の身体がどうなっているのかを確かめることにした。
「……おぅ……」
俺は静かに、はだけて赤い印のたくさんついた胸元をシャツで隠し、ずり下りていたズボンを上げた。
同じくワンピースを整えていたアユミの方を見直し、俺は尋ねた。
「な、なぁ……なんか覚えてる?」
アユミは目線を明後日の方向に逸らしながら、ぶっきらぼうに答えた。
「……あんまり」
「……そか」
「……でも、シュンが氷入れる金属のバケツ口にして、けったいな顔しとったところは覚えてる……」
「……い、いや。そんなことしてへん」
「しとったわ」
束の間の静寂。
やがてドライブインの外で、一台の車がロードノイズを残していった。
「……それを言ったら、アユミだって……酒豪自慢しながら、ほめてくれ言うてなんか四つん這いで迫ってきたやん」
「……ど、どう考えてもウチちゃうやろそいつ」
「いや、正真正銘アユミさんでしたわ」
「……意味はよう分からんけど、シュンはなんかウチのこと世界イチや言うてた」
「世界イチは言うてへん。宇宙イ……」
「……」
「……い、いや、それも言うた覚えないで」
「いや自分、絶対覚えとるやろ」
「しーりーまーせーんー。ヤンキーになってしもたって、オイオイ悲しんどる人はおったけどな」
「な……何を、ウチは生半可な覚悟でこのスタイルやっとらんて……」
「ヱェ? 俺、誰もアユミのことやなんて言っとらんで」
「ぐっ……キッショイ真似を……」
再び訪れた静寂。
一階でオトンがうどんの準備に取りかかっているのか、金属の調理器同士がカチャ、カチャンと重なる音が、床の下からしきりに響いている。
それを認識したとたん、自身の胸元のマークが付いていた辺りから、なぜかじんと温かくなるような感覚を覚えた。
「……アユミ」
「なんやねん」
「な……なんも覚えてへんのやな?」
「……お、覚えてへんわ……」
「……そうやな、俺らは……なんも覚えてへん」
「……うん」
それから俺は、わざとらしい咳払いを「ゴホン」と挟んでから、自然なトーンを精一杯演じながら話題を変えた。
「……昼飯、あの展望レストラン行くか?」
「……行く」
アユミは首を小さく声を縦に振ると、すくっと立ち上がってさらに続けた。
「でもその前に……シャワー浴びたい。めっちゃ酒くさい」
「たしかに。お先にどうぞ」
「……おおきに」
「もし『やまぶき』がもうスーパー銭湯になっとったら――いま絶対行ってたのにな」
「……うん」
アユミはわずかに弾むような返事を残して、部屋を後にした。




