59.指定自動車整備工場 『瀬貝自工』
ひとり「うひひひひっ」と愉快に笑うリョーコさんの言葉には、今や俺だけでなく、店のカウンターにいたママと常連のオジサンまでもが静かに耳を傾けていた。
「そもそもさぁ~、元々アタシって経営より地域振興の畑の人間なんよねぇ。そりゃ小じんまりとした旅館の一つは持っとったけど、こんな時代遅れなデカい箱の維持なんてまぁまぁ畑違いやっちゅうねん! うちの身内に真っ先に突っ込んでやりたいんはそこやわ、ホンマ」
身内を野次りながらも、楽しそうにグラスを傾ける手を止めないリョーコさん。
一方の俺は、少しの間思案に耽っていた。
町全体を“中継点”に見立てる。
この発想の意図を理解しようとしたとき。
俺は真っ先に、彼女がいわゆる“コバンザメ戦略”と呼ばれる道を選んだのかと思った。
外資系リゾートの建設、海外観光客の流入をあえて受け入れ、周辺商店や観光地がそのお零れを受けることで、収入を得る。
これは、他所のインバウンドを受け入れた自治体の多くが実施しているごくありふれた戦略のため、意図はすんなりと理解できる。
しかし、これでは――
「――瀬貝自工を潰して、外人のためのホテルにしてまうことはもう、しゃあないってことなんやな」
俺より先に、アユミが落ち着きながらも、ハッキリと聞こえる声でそう言った。
そうだ、アユミはまだ――瀬貝自工への愛着を捨てきれてはいない。
あそこは未だ彼女の居場所の一つであり、同時に収益の半分以上を地元客に支えられている『ひよしドライブイン』、そして町の住民にとっての心臓部だ。
この方法では、町として形の上では生き残ることができても、リゾートの恩恵を受ける前にアユミや既存の住人の一部がこの地に居られなくなってしまう。
「いんや、それはそれで困んねんなぁ……」
「えっ……」
しかし、そんなアユミの発言に対するリョーコさんの返事は、意外なものだった。
親しみやすい雰囲気を作り出すリョーコさんだが、その中に時おり冷徹なビジネスウーマンとしての側面が垣間見えているせいか、俺もアユミも、てっきり瀬貝自工は切り捨ての対象にされているのかと自然に思っていたからだ。
「実は、アタシもそこが一番の懸念点なんやわ。なんせ、アタシが考えてる構想に“車”っちゅう足は必要不可欠。それになんかあった時、親身になって直せるプロが町におらへんのは、どうも格好つかへん」
リョーコさんが手にしていたグラスが、テーブルにコトリと置かれた。
彼女が言っていることは、どうやらアユミに対するポーズでもなんでもないらしい。
俺はここにきて、伊澤議員に対して先日行った取材のことを思い出して、咄嗟に口を開いた。
「もしかして用地のアテが、他にあるんですか」
演説会の帰り際、あのとき伊澤議員に確認したことは、主に“用地”のことについてだった。
『もし瀬貝自工の敷地以外に、更に条件の良い用地があれば、建設予定地の変更はありえますか』
その答えは――YES。
そして今、俺がリョーコさんに尋ねた質問の答えもまた――YESだった。
「……ある。ただ、同時に問題もある。そこでや……」
リョーコさんは大きく息をついたかと思えば、彼女は突然席を立ち上がり――俺たちに向かって頭を下げだした。
「――瀬貝自工の説得を、二人にお願いできひんやろか」
いきなりのことで、俺もアユミも深く困惑しながらも、おぼつかない足取りで一緒に立ち上がった。
「あ、頭あげてください……一体、それはどういうことなんです?」
「……アタシが考えとる代わりの用地ってのは、今まさに蘇我入温泉が抱えとる複数の廃墟を撤去して、そこに作る予定の跡地のことなんや」
リョーコさんは静かにソファに座り直しながら、さらに続けた。
「あそこにある廃墟のほとんどはな、とっくに経営者が夜逃げしたり、債権をあっちこっちに転売されまくったりして、撤去の責任がある所有者が文字通り不在になってしまっとる状況や。そのせいで、今まで片しとうても誰も手が出せん状態やった」
「たしかに……あの潰れた旅館やお土産屋のほとんどって、俺が生まれた時からずっと残ってますね」
「そう。せやからあの一帯の建物にも、いよいよ倒壊の危険が迫っとる。こうなると、行政代執行を国に依頼してでも片さなアカンわけやけど、その費用も自治体が立て替えなあかんねん」
「そ、それじゃあ……」
「幸い、どこぞの鬼怒川温泉みたいにけったいな崖とかに作ってるわけやあらへんし、派手な鉄筋コンクリート造の建物の数も少ないから、費用は比較的現実的な数字に収まる。でも、その用地を売りに出すとなると、この自治体が受け持った撤去費用分も上乗せした額にはどうしてもなってまうから、瀬貝自工が供出しようとしとる条件には及ばへんねんな……」
リョーコさんがトーンダウンした言葉とともに、視線をチラリと俺の隣に向けたため、俺も同じく隣に目を配った。
手を握りしめ、静かに佇むアユミの瞳は――スナックの暖色の光を反射して、まるで黄金色に輝いているようだった。
「……そんじゃ任したでぇ、おふたりさん♪」
「まだ、なんも言ってへん」
アユミがぶっきらぼうに言葉を返したが、それは特に意味をなさなかった。
「さてと、や。それが成功すると――この町がどうなるかまで共有しとこか」
「……お願いします」
「まずは日巡くん、この町全体の見どころについて……何か思うところあらへん?」
「……時々思うことはあります。見どころやったり、良いお店やったりは意外とあるのに、そういう所は悉くエリアがばらけてしまってるなって……」
いつだったか、アユミと展望台から眺めた、町の光景がまさしくそうだった。
ポイントのひとつひとつに良さはあるのに、望遠鏡を通すと、ただポツンとそこに存在するだけに見えてしまう。
でも、これが肉眼を通した全景となったとき、不思議とすばらしいパノラマの一つとして、それぞれが混ざり合っていった。
「……あっ!」
「ひひっ、気付いたみたいやねぇ。そう、見所は町全体にあえて分散させたままにして密集地を作らないことで、寄り道しやすい“中継点”としての魅力を打ち出していく。そうすれば、車で町全体を回遊する仕組みが自然と生まれて、今後の商売の土壌にもなる」
俺があの光景を見て、ドライブインのレイアウトを変えようと思いついたことと同じ発想を、リョーコさんは町全体に見出そうとしている。
「もちろん、今のままやとまだ一つ一つの見所が弱いままや。そこは、それぞれの店や地元の人間が“当事者意識”を持って、バージョンアップに足並みを揃えていかなアカンし、それができん場合は……ふふっ」
「……っ」
「せやけど……この町をガッツリ観光地にせえへん塩梅で魅力を高めていければ、有名な周辺観光地に向けて移動する国内旅行者や、運送やビジネスに携わる人間もターゲットにできる。インバウンドで町が潤うだけでなく、日巡くんのドライブインも、彼女ちゃんの瀬貝自工も儲かる。三方よしとは、まさにこのことやねぇ」
これは、まさしく地域振興を生業としたリョーコさんならではの視点といえた。
――しかしこれは、俺たちにとってあまりにも出来すぎている。
「それ……リョーコさんのホテル側にはどういうメリットがあるんですか?」
「……気になる?」
「そりゃ……そうです。宿泊客をメインターゲットにしない……それってむしろ、デメリットしかあらへん気がします。まだ何か、俺らに隠してないですか!?」
俺は、とにかく怖かった。
ここまで、そうなればいいなと思うような希望をまざまざと見せつけられた。
もしそれが、ただの眼前に吊るされたニンジンでしかなかったとしたら?
何かそこに彼女の別の思惑があって、結局破滅してしまう終わりに行き着いてしまうとすれば?
そうなれば――俺もアユミも、きっと立ち直れなくなる。
「ちょっとぉ人聞き悪いで、日巡くん。ちゃんと話そうと思っとったところやがなぁ~。もちろん、アタシらにもちゃんとメリットはある」
そんな俺の心中を見透かしたように、リョーコさんは穏やかな顔のまま続けた。
「そもそもアタシは、今回の外資リゾート誘致をハナからアタシ自身のために利用しようと考えとる」
「えっ……」
「具体的にはまず、『やまぶき』の上層部内で未だに燻っとる“かつての栄光”の鼻っ柱を――外資の圧倒的な力でへし折ってもらう」
雄弁に語るリョーコさんの姿は、まるで先刻話した身内への複雑な心境を振り払うようでもあった。
「……そして、『やまぶき』をホテルの箱を活かした、観光客も、そして地元の人らも気軽に利用しやすい“宿泊可能な大衆温浴施設”として生まれ変わらせるつもりや!」
「大衆温浴施設って……スーパー銭湯とか、そういう類のものですか?」
「そそ、そーいうの。さらに欲を言うたら、アタシはドライブ客のための休憩設備を充実させて、道の駅に近い役割も持たせたかった。さっき君らのドライブインを食うって言うたのは、そういう意図やったんやけど……それは今回、ポイントの分散ということにして、堪忍しといたげるわ」
リョーコさんが腕を組み、オーバーに大きく頷く様子に、俺は素直に安堵した。
「ほんまはホテルを潰して縮小することもできた……けど、それはできんかったわ。そうすれば、うちのアホな身内に長年飼い殺しにされて、もうどこも雇ってくれんような従業員128名の、今後の仕事が立ち行かんようになってしまうしな」
「リョーコさん……」
「アタシはここに来てまだ日は浅いけど、経営者に就任したからには――彼らの今後の人生にだけは、絶対に責任を持って教育し直さなアカン。この尻拭いこそが、アタシのケツに火をつける“当事者意識”や」
「言いたいことは言った」と言わんばかりに、彼女の手には、いつしかグラスが握られていた。
――参った。
気がつけば、俺はもうこの泥を鉄でコーティンされた船を、下りることはできなくなっていた。
俺の決意が固まったその瞬間、アユミの控えめな声が耳に届いた。
「――ママ、ウチにも……なんか甘い酒、作って……ください」
「ちょ、アユミ……」
俺は咄嗟に止めようとしたが、すぐにリョーコさんが制止した。
「運転代行くらい奢ったるって。それに、アタシも喋りすぎた。もうほとんどシラフに戻ってしもうたし、ここらでカンパイのし直しといこうやん?」
「え、もうシラフって、嘘でしょ……」
「それと、彼女ちゃん……やなくて、アユミちゃんやったな」
アユミはとうとう、観念した様子で静かに頷いた。
「……このアタシの話したプランは、瀬貝自工が町のモータリゼーションを守り続けてくれたからこそ、思い付いた考えや。アタシは、キミの社長さんの“当事者意識”……いや、“愛”に助けられたっちゅうことやな」
リョーコさんの告白を耳にしたアユミが、どんな顔をしていたのかは分からない。
グラスがかち合う音の後、アユミは顔を伏せたまま――静かに、オレンジ色の冷たいスクリュードライバーを口にしていた。




