58.ロードサイド休憩所 『ひよしドライブイン』
リョーコさんは俺たちから視線を外して、再びボトルに手をつけようとしている。
――俺は咄嗟にテーブルに身を乗り出し、彼女が触れるより先にボトルのネックをガッチリと手で掴んだ。
「い、今……足並みを揃えるって、おっしゃいましたかっ!?」
ペースに呑まれるな、冷静であろう。
そう努めていた自意識は発声とともに完全に、それもあっさりと霧散してしまった。
肩で息をしながら、笑ってしまいそうなくらい必死な自身の姿をふと俯瞰して、ボトルを握る手が一瞬緩んだ。
しかし、そんな俺を見上げるリョーコさんの瞳に嗤いの色はなく、でも口元はにっと笑いを浮かべている。
俺は手に再び力を籠め、言葉を続けた。
「……俺たちにとってもそれは、願ってもないことなんです。でも、もっとハッキリ、具体的な条件を教えてください! だって……その」
「だって?」
「……あ、あ、“愛”って……そんなフワフワしたもんだけが大事やって言われて、それで一緒にがんばりましょうって……俺には正直、なんも意味が分かりませんっ」
「……ぷっ。ファァ~ッ、青いなぁ青いなぁ~ええなぁええなぁ。青いキミらの姿見て胸いっぱいやし、今回は特別に掘り下げたげよぉ~かな」
リョーコさんはカラカラと笑いながら、自身の空になったグラスを手にして、こちらに向けてすっと傾けた。
俺はひと思いに息を呑みこんでから、ボトルの蓋をキリキリと開けて、彼女のグラスにおそるおそる焼酎を注いだ。
「おっほほ、おおきに~日巡くん。緑茶はちょびっとでええわぁ」
彼女の声に従い、焼酎のボトルをテーブルに置いてから、緑茶のペットボトルを見やる。
そのときにふと、いつのまにか着席して――おぼつかなく揺れる瞳で俺を見る、困惑したアユミの姿が視界に入った。
しかし、ほどなくしてリョーコさんの声が耳に入ると、俺はペットボトルを手にしてすぐにそちらを向き直した。
「そしたら……そやな、リアリストな若造諸君のために、“愛”って言葉はいったん“当事者意識”って言葉に置き換えてもらおかなぁ。その方がまだしっくりくるんちゃう?」
「当事者意識、ですか」
グラスの中で透明な焼酎と、注がれたばかりの薄い黄緑色の緑茶がゆらゆらと回転し、漂いながら、着実に混ざり合っていく。
「アタシはこの言い方、あんまし好きちゃうねんけどな……まぁでも『これを失ったら終わりや』、『自分が絶対になんとか守らな』て考えに至るロジックそのものは一緒やろ?」
リョーコさんは俺が作った緑茶割をチビチビと口にしながら、チラリとアユミに視線を移す。
アユミはそれに気付いて、オレンジジュースを飲むそぶりを見せながら顔をプイと逸らした。
「……まぁつまり、アタシはこの“当事者意識”を持っとらへん経営者から全てを食って奪うことに、何の抵抗はあらへんってこと。そして、逆もまた然りっちゅうことや」
リョーコさんはそんなアユミの様子に満足げな表情を浮かべながら、さらに言葉を続けた。
「ところでさぁ、アタシって元々……城崎温泉の観光協会の人間やったって話は覚えてるやんな」
「はい、覚えてます。当然、旅館の経営もされてたでしょうし、先代にはそのノウハウを買われたんやと思ってます……」
「……まぁ実際、昔のホテルの栄光を忘れられへんかった親父と弟も、自分らでは経営がニッチもサッチもいかんようになって……パチンコにでも負け続けた人間みたいに、そんなすがる気持ちでアタシを招集したんやろうねぇ」
リョーコさんは言葉を零すと、わずかな沈黙とともに俯き気味になり、やがて大きなため息を吐いた。
ここにきて、リョーコさんが初めて見せた弱みに驚きつつも、彼女のだんだんと真剣味を帯びていくトーンに耳を傾け続けた。
「せやけど、何もかもが見当違いやっちゅうねん。アタシは別に泥舟をタンカーに変えられるような魔法使いとちゃう。それやのにアタシもサキも、愛着ある地元から離されてしもてやな……。これこそ、親類が本来持つべき身内に対する“愛”、そして経営者としての“当事者意識”の欠如ってヤツなんやわ、日巡くん」
「……もう少し、詳しく教えてください」
「……前にキミが来たとき、他所と比べて蘇我入温泉のアクセスが悪いって話したやろ。あれ、正確には有利不利の話をしてるんやなくて、単に条件が違うってことを言いたかったんやわ」
「条件……ということは、蘇我入温泉が成功する方法もあったってことですか?」
「そやで。たしかに知名度によるパイの違いで、町に落ちてくる金額に差は付くやろうけど、それでも観光で町を維持できるだけの収支を得ることは本来できたはずなんや。そして、そんな隠れた成功条件に目を付けとるからこそ、外資のリゾートグループなんて一見畑違いな連中がこうして出しゃばって来とんねん」
吐き捨てるようにそう答えたリョーコさんは、手にしていたグラスをまたしても一気に煽った。
それを見てすかさず次のお酒を作る傍ら、同時に俺はある記憶をたどっていた。
「――奥座敷、ってやつですか」
「ピンポーン、大正解っ。ホンマやったらこの地は、昭和らしい右に倣えで作られたハコモノ歓楽街みたいな温泉地にするんやなくてな。平地にはない景観と人の往来の少なさを生かした、もっと静謐で落ち着きのある、単価の高い別荘地のような“目的地”としての売り出し方をするべきやったんや」
彼女が口にした歓楽街という言葉を聞いて、俺は真っ先に――いつか車窓越しに眺めた、ホテル周辺の廃墟化した旅館や商店、壊れたネオン看板の数々がフラッシュバックした。
「昔は団体旅行全盛の時代やったから、温泉とデカい箱と女さえあれば、たしかに何もせんでも人は来た。でも、そのせいでこの地ならではの魅力や特色を打ち出していくことを、みんなサボってしもたってわけや。そんなんやから、バブルが崩壊しても来てくれるようなリピーターなんて、当然獲得できへんかった」
「……たしかに俺。生まれてからずっと、この寂れた蘇我入温泉の魅力なんて……考えたこともありませんでした」
「せやろ。観光で成功したいんやったら、ホンマは地元の人に一番魅力が伝わってなあかんかったんや。それやのに、個人旅行の時代が訪れた今になってもよ。旅館組合員のほとんどはあのバカでかい箱に、いつか外の団体客が戻ってきてくれるやろってなんとなく指をくわえて待っとる。地獄やでほんま」
俺も一瞬、彼女が胃を痛めるさまに同情をしかけたが、すぐにその権利がないことを理解した。
なぜなら、俺も地元民としての“当事者意識”を、以前まで持ち合わせていなかったからだ。
「インバウンドの時代や言うて久しいけど……日本に来る外国人かて、なにも一枚岩とちゃう。いまや海外観光客が一番うっとおしがってんのが、大挙して押し寄せてる他の海外観光客やいう話もある。悔しいけど、うちの身内より連中の方が目の付け所が良かったってことやな……」
リョーコさんは手にしたグラスの動きを止め、ふぅと息を吐きながら、どこか遠くを見つめはじめた。
ふと、アユミの方を見る。
さっきまで激昂していた彼女も、今となってはしっかり話を聞いていたようで、お互いに目が合うと、首を縦に振り合った。
「……リョーコさん、単刀直入に聞きます。俺たちに、外資系ホテルの建設を阻止することはできるんでしょうか?」
「無理や、絶対に」
間髪入れずに返って来た返事に、俺は足もとが急速に冷えていくような感覚を覚えた。
「そんな……」
「自分もよう知ってるやろ、次期市長候補の田島氏と伊澤議員の誘致にかける熱意はホンモノやった。町のこれからを担う世代の支持層も厚いし、これを敵に回すと後が怖い。旅館組合と連中の資本力の差も歴然ときた」
外資系リゾートがこのまま建設されるということは、やはりこの町は――
「――せやから、アタシらはこの町全体を温泉リゾートという“目的地”としてではなく、点と点を繋ぐ“中継点”として生き残らせる道を選ぶことにした!」




