57.和田助製作所 『18-8B渕アイスペール』
「やっだぁ~お二人さん、なんでそんな怖い顔してんの~?」
ボックス席までやって来たママは、俺とアユミの前にコースターをそっと置きながらそう言った。
グラスに注がれた生ビールのきめ細かい泡がプス、ポツと小さく音を立てながらしぼんでいく中、オレンジジュースが隣のアユミの前に置かれた。
そして、テーブルを挟んだ真向かいに足を組んで座る鴻巣GMは、今まさにママの手を離れようとしている焼酎のボトルに目を輝かせていた。
「氷と緑茶ちょっと待ってなぁリョーコちゃん。最近、腱鞘炎ぎみでしゃあないねん」
「無理せんでええでユキちゃ~ん、アタシが取りに行ったろか?」
アユミの方に目を配ると、ついさっきまでしおらしくなっていた瞳に再び澱みを宿し、強張った顔のまま膝に置いた手をわずかに震わせている。
今の俺の姿も、彼女からはきっと同じように見えているはずだ。
「かまへんてぇ、ええから待っとりやぁ」
「うぃーおおきにぃ! 10時間くらい待っとくわぁ~」
「10時間て、京都の和束まで茶ぁ摘んでこ~いってか!」
「ブゴッ……ウシュシュ……! そうそう頼んだでぇ~!」
そんな俺たちの様子なんて眼中に入ってもいないかのように、GMはテンションを落とすことなくママと会話をしていた。
「あぁ~、ここのママほんまオモロいわぁ……日巡くん、ええ隠れ名店教えてくれておおきになぁ! まだなんも飲んでへんけ……」
「――GM。うちを食うってどういうことですか」
言葉を飾る余裕なんてなかった。
つい先ほど、眼前の女性が零した発言の真意をいの一番に確かめたくて――いま俺が、どんな声色で言葉を投げかけたのかも自分で分かっていない。
そんな俺の顔に、GMはあくまで落ち着いた様子で舐めるような視線を送り続けている。
ほどなくして、テーブルに2Lペットボトル入りの緑茶とマドラー入りのグラス、そしてロック氷が敷き詰められたステンレス製のアイスペールが置かれると、GMはママに「おおきに」と伝えてから、今度は俺に向かって言葉をかけてきた。
「――“リョーコちゃん”」
「……は?」
「別に“ちゃん”でも“さん”でもかまへんけど、そう呼んでもろてええかな。もちろん、彼女さんの方もねぇ」
「今はふざけている場合じゃ」
「ふざけてへん」
「……っ」
GMはここにきて、多彩な色を宿した瞳をパッチリと見開いて、俺に向けた視線を真っすぐと突き刺してきた。
そして、息を呑んで喉を鳴らした瞬間、彼女は先日ホテルのクラブラウンジで見せたあの“悪い顔”を再び見せた。
「人の話はよぉく聞きや、日巡くん。アタシはさっき『こないだの取材受けるまでは』って言うたはずやでぇ。今すぐ取って食う気やったら、わざわざこんなこと面と向かって言わへんて」
「……そうかもしれませんが、でも」
「……まぁ、信用してもらえへんのはしゃあないわ。そう思って“飲み会”をセッティングしてもらったんやしな」
「は、はい?」
GMは口角をニッと上げながら、アイスペールの氷を小さなトングでグラスにいくつか落とし、焼酎のボトルをキリキリと開ける。
気が付けば俺は、眼前の相手のお酒を注ぐこともできないまま、焼酎と少々の緑茶がカランカランと混ざりゆく様を見つめながら、彼女の言葉の続きを待っていた。
「……でぇ~きたっ。お待たせぇ、ほな乾杯しよっかぁ~! カンパーイ!」
「……か、カンパイ」
テーブルの上で、各々が手にしたグラスがバラバラのタイミングでカチンと当たった。
それからGMは、真夏の麦茶のように焼酎の緑茶割をゴクゴクと飲み始めた。
一方、アユミは無言で、しかし先ほどから彼女に対して向けている黒い視線はそのままに、オレンジジュースにちょこんと口をつけている。
俺もGMに視線を戻し、彼女を注視しながら手に持ったグラスを口もとで傾けた。
たまにオトンと一緒に缶から注いで飲むビールと比べて、角の取れた口当たりを感じる。
しかし、肝心の味はほとんどしなかった。
「はぁ……美味しっ」
GMは恍惚とした表情で目を閉じ、満足げな吐息を零したのち――再び目を開いてから、艶やかな唇を動かし始めた。
「そしたら、始めてもらおっかなぁ――“恋バナ”」
“恋バナ”という言葉が飛び出した瞬間、俺が首をかしげるよりも先に、隣のアユミがダッと立ち上がる音がした。
「せやから、なにを言うとんねんてオバハン! なんべんも、なんべんもよぉ、ふざけんのもホンマたいがいにせぇよ! シュンのこと馬鹿にしとんちゃうぞコラ、あぁ!?」
そして、衝動的に口汚い言葉を吐き出したアユミは、訪れた静寂の中でこちらを見ながらピタと動きを止めたママ、常連客の様子を見回してから、思わず口を手で押さえる。
俺もアユミが言ったことについては完全に同意だったし、俺のために怒ってくれたことも分かる。
しかし、それでもこの空気には肝が冷えるような感覚を覚えてしまった。
しかし、向かいのGMはあくまで穏やかな表情は崩さず、クククと喉を震わせながら楽しそうにしていた。
「あ゛らやだアンタぁ! プリプリしてブリブリなとこもサキそっくりで、ホンッマにかわえぇやんかぁ~!」
「……サキて、こないだうち来たオバハンの娘か? なんも似てへんっちゅうねんや、わけわからんこと抜かすなっ、クソババァ!」
「ちょっとぉ~、せやからアタシのことはリョーコちゃんて呼んでよぉ~!」
珍しく熱くなって言葉を返すアユミに動じることなく、GMことリョーコさんはマイペースを保ち続けている。
俺は一体何を見せられているんだと思ったその時、リョーコさんの目が今度はこちらを向いたので、背筋が自然にビクッと伸びた。
「なぁ~日巡くんさぁ、アタシもよう分かるわぁ! こんな自分想いのカワエエ子の居場所守るためやったら、そらどんなにダサい姿晒してでも必死になるわなぁ~」
「ダ、ださっ!?」
「アタシさぁ、常々思ってんねん……。どこまで形は変わってもさぁ……最後の最後に人間を助けてくれるのは、連綿と紡がれ続けたマジモンの“愛”なんやってさぁ……」
澱みのない輝く目に、トロンとした声。
酸いも甘いも経験してきたであろう眼前の大人の女性が、恥ずかしげもなくマジなトーンで放った“愛”という言葉を耳にして、俺の顔は急激に熱を帯び始めた。
アユミの方も、席を立ったまま顔を真っ赤っかにして、肩で息をしながら口をパクパクとさせている。
これほどまでに狼狽した彼女の姿を見たのは、相当久しぶりだ。
アユミはアユミで、似たような言葉責めをいつぞや俺に向かって浴びせてきていた気がするが……。
自分がするのとされるのでは、やはり違うのだろうか。
そんなことを考えながら悶々とした気持ちを紛らわせていると、リョーコさんはさらに言葉を続けた。
「ん、なぁんか勘違いしてるみたいやけどな……この“愛”ってやつはさぁ、経営にも地域振興にも必要不可欠な原理原則なんやで。いや精神論とかそういうんじゃなくて、ホンマにさぁ」
「原理原則……ですか」
「そそっ、それも――」
リョーコさんはグラスに残った酒を一気に煽り、「ぷはぁ」と豪快に息を吐いた。
「――外資系リゾートにこの町が呑まれへんように立ち回るため、アタシらが足並み揃えるためには絶対必要不可欠なもんなんや」




