56.三和酒類 『本格麦焼酎いいちこ』
「――あぁ~っ! 来はった来はった、いらっしゃぁい! ママ、ごめんやけどボックス席行かしてもらうでぇ」
「あいよー、いらっしゃあい」
鴻巣GMは入口で固まっていた俺たちに気がつくと、ママにそう告げてから足組みをほどき、スツールを降りた。
立ち上がった姿をよく見ると、迷彩パーカーとジーンズのカジュアルすぎる見た目でありながら、40~50代には見えない美貌と、出るところの出た抜群のスタイルは、先日拝見したあのGMと同一人物で間違いないようだ。
刹那、背後から冷たくて重い空気を感じて振り向くと、アユミが『話がちゃうやんけ』と言わんばかりに濁った渋い瞳を俺に向けていた。
俺、今日生きて帰れるのかな。
「どうしてん、二人ともそんなシュッとした格好して~。結婚式の帰りかいな、ガハハ! ん、なんか顔についてる?」
「あ、いえ……なんかその、えらく明るくおなりに……」
「ん、あぁ~そういうことかいな! かんにんかんにん、アタシはこれが《《素》》やねん。オンオフの切り替えって大事でっしゃろぉ~、うしゃっしゃっしゃっ!」
――いや、それにしたって極端すぎるやろ!
「いぃやぁ、にしても何なん!? 自分の“ほっとけへん人”さぁ、め゛っっちゃベッピンさんやん! おめかしもバッチシでホンッマに可愛らしいわぁ……隅に置けへんなぁ、このぉこのぉ、うひひひひっ」
鴻巣GMの言葉を受けた瞬間、アユミのそれまで燃えるように揺らいでいた瞳の淀みがピタリと止まり、顔を少し俯かせながら、身体の前で所在無さげに手を組みはじめた。
アユミから視線を外し、改めて周囲を見回すと、店内には俺たちの他に中年の男性客が一人だけ、カウンター席の奥側で座っているようだった。
「まま、座りいや! どっこいしょおぉ」
気がつくと、GMが男前なかけ声とともにボックス席のソファの下座にどっしりと身を沈めようとしていたので、慌てて代わろうと声をかけようとしたが、彼女は顔の前で手を振ってそれを拒否した。
「し……失礼しますっ」
「……ます」
観念して俺たちもソファに着くと、GMはラミネートされた簡単なメニュー表をこちらに差し出してきた。
「さぁて、最初の一杯何にしたろかなぁ~? ひさぁしぶりの、おっ酒~♪」
――は?
「あの、GM……まだお飲みになってないんですか?」
「ん、シラフやで?」
「……えっ?」
「シラフやで」
「……えっ?」
「やっぱさぁ! 最初のカンパイぐらい、みぃんなでしたいやんかぁ~なぁ、ほっとけん彼女さん?」
アユミは脆くなったポーカーフェイスの奥で、歯を食い縛りながら『え、ウチ?』と言わんばかりに曲がり気味だった背筋をピンと伸ばした。
「ママァ、ここ麦って何置いてはんの!?」
「二階堂とぉ、いいちこ~!」
「おおきに~ほな、まだ君に恋しとる下町のナポレオンのボトルちょうだい! ほんで、あと緑茶!」
「いいちこねぇ、あいあい」
「あれ、GM……このお店初めてなんですか?」
「ファァァァ~ッ! なんや自分オモロイこと言うやん! アタシが店教えて言うたさかい、君が教えてくれたんやんかぁ」
そ、そうだった。
ママとバリバリ会話してるから、すっかり顔馴染みなんだと錯覚してしまっていたけど、この店を紹介したのはこっちだった。
あっ、ヤバい。
この人――正真正銘のバケモンやわ。
冬場は城崎で嫌というほど高級な蟹を見てきたであろう人が、初対面の人間と腐ったカニカマの話で、しかもシラフで爆笑できるとか、もう俺なんかが勝てるわけないやん。
「んで、自分らは何飲むんや?」
「……えと、そうですね……どうしようかなぁ」
真剣な会談を想定していた俺は今回、ガッツリ飲むつもりなんて毛頭なかった。
あまり酒の強くない俺が、無事に帰れる程度の傷で済ませたい。
そんな思いで酒選びを焦っていると、アユミがボソリと口を開きはじめた。
「う、ウチは……運転、あるんで……遠慮しときます」
そういえば、アユミは広島の佐藤邸でもお酒は拒否していた記憶がある。
さらに言えば、彼女が家でもお酒を飲んでいるところを見たことがない。
もしアユミが飲みたいと言えば、帰りは俺が運転するつもりだったが……やはりお酒は好きじゃないんだろうか。
「ナルホドそっかぁ~。まぁアタシは全然かまへんし、ホンマに飲みたい思ったらいつでも遠慮せんと言いやぁ! 帰りは代行呼んだげるし!」
カラカラと笑いながら発せられる声に、同調圧力や暗黙の了解のような毒気は一切感じられなかった。
アユミは落ち着いた様子で、コクリと頷いた。
「……じゃあ、俺はビールで」
「……ウチ、オレンジジュース」
ママが「はい~おおきに」と口にしながら伝票にペン先を走らせている途中、彼女はアユミの方を再び見直してから、やがて声を発した。
「あっ、自分よう見たらアユミちゃんやんか! 社長らと来た成人祝いの日以来やねぇ!」
ママの発言を聞いたカウンターの男性客も、同様に反応を見せた。
「あっ、ホンマや! 瀬貝さんとこのお嬢ちゃんかキミ!」
アユミはどうやら、ここに一度訪れたことがあるらしい。
まぁそれは当たり前のことで、スナックなんて一つも知らなかった俺にこの店を紹介してくれたのは、他ならぬアユミだった。
「はい……ご無沙汰してます」
「あのオッチャン、えらい病気しはったんやてなぁ。最近、元気そうにしてはるん? 玲ちゃんも長らく会うてへんし」
「……それは……」
ママの質問にアユミが言葉に詰まらせる中、今度は男性客からも声がかかる。
「お嬢ちゃん、前より目方増えたんとちゃうか? ええこっちゃ、オッチャンにどんどん、もっとエエもん食わしてもらいや!」
「……」
アユミは無言のまま口角にぐっと力を入れて、目線をテーブルに落とした。
ママも男性客も、彼女を取り巻く今の状況を知らないのかもしれない。
いずれにしても、今のアユミにとってはあまり良い話題の振られ方でないことは確かだった。
「あの、そんなこ……」
俺が無理やり話題を変えようとしたそのとき、眼前のGMが一瞬アユミの方を見てから立ち上がり――
「――ちょっとおっさぁん! 女子に体重の話すんなやぁ~、“せくしゅあるはらすめんと”でパクったんでぇ! 久美浜湾で牡蠣の栄養にされんぞぉ~、うひゃひゃひゃっ!」
男性客の方を指差しながら、笑顔で野次りはじめた。
「おっと、こりゃ失礼しましたぁ~シラフのお姉さん! うはははっ!」
「うひひひっ、あーオモロ。あ、ほんでさぁ、そんなことよりなぁ」
結果として、俺が何とかする前にGMがスナック内の空気を壊すことなく、会話の話題をまったく違うものにすげ替えようとしてくれていた。
「アタシ、いっこ謝っとかなアカンことがあって! 君からこないだの取材受けるまではなぁ――」
アユミの方を見ると再び顔を上げていて、それほど落ち込んではない様子で安心した。
この人、素はガサツに見えるけど、実はもしかしてものすごく良い人なのでは?
「――ぶっちゃけ、君とこのドライブインの商売食ったろうかと思っててん!」
なんてことを思った矢先――GMはカラッとした笑顔のまま、とんでもない爆弾を放り投げてきた。




