51.SMT 『軽量防音シート』
サキさんと西口さんがドライブインを後にしたのは、ナガラ足場による足場組作業が完了したのと、ほとんど同時のことだった
俺たちはホテル組を見送った後、そのままエンジンを震わせ始めた4トントラックの前で、長楽と少しだけ立ち話をした。
「さっきの子、めっちゃヤンキーやったっすね。あんな改造セーラー服、もうとっくに絶滅しとったと思ってましたわ」
俺は、それが眼前のシルバーに髪を染めたぴちぴちデニムの、出会いが暴力沙汰だった男の口から飛び出したセリフであることに驚愕した。
しかし、俺はそんな感情をおくびにも出さないよう、平静を装った。
「ソ、ソースネー。アンナやんきー、オレモゼンゼンミタコトナイデスヨ」
「なんすかそれ、ファンの真似っすか?」
長楽はカラカラと笑いながら、言葉を返してきた。
そんな、過去のことなんてさらりと流してしまえる彼の図太さが、今は皮肉でなく本当に羨ましいと思った。
「そしたら、行きますわ。また2週間後にバラシに来ます。塗装屋はまた明日来るらしいっす」
「分かりました。今日は一日、ありがとうございました」
「こっちこそ、ジュースごちそうさんでした! ほな、失礼します」
ほどなくして、数の減った足場を乗せたトラックはこの場を離れ、俺も単管の支柱と足場、そして灰色の防音シートに覆われたドライブインを振り返った。
思えばこの劣化した外壁、そして文字の剥げかけた看板を補修するため、オトンを説得するのは中々に骨が折れた。
オトンは以前の退廃的な雰囲気にどこかノスタルジーを感じていたようで、またそういったマニアが世に一定数存在することは俺もよく知っていたので、その気持ちも分からなくはなかった。
しかし、それを差し引いてもファサードが「怖い」と感じられてしまっては、来てくれるはずだった新規のお客さんに敬遠される、致命的な原因となる。
そしてなにより、この『ドライブインはまだまだやれるぞ』というイメージを、外観の更新という実績でしっかりと打ち出していかなければならない。
俺はその点がどうしても譲れず、オトンも渋々ながら最終的には了承してくれた。
黄色いクッションに覆われた支柱を避けて、入口から中に入ろうとしたとき。
アユミが例のツバメの巣の前で佇み、それをじっと見上げているところが目に入った。
どうやらもう、部屋で寝直すつもりはないらしい。
「アユミ、かんにんな。夕方前に起こしてしまって」
「別に……ちょうど起きようとしとった時間や」
足場のシートは巣の前をしっかり避けるように張られていて、ご丁寧に1スパン分だけ梁の高さまで調整してくれていた。
シートの隙間から覗くオレンジがかった長方形の空を眺めていると、やがて細長い翼と尾のシルエットが悠々と空を滑るさまが、小さく目に映った。
そして、それはだんだんと近づいてきたかと思えば、あっという間に巣の上までやってきて、大きく口を開けたメスのツバメに餌となる虫を口移しした。
「……なぁアユミ。これタマゴ孵るまで、ずっとやってるんかな」
「今度はヒナが生まれてくるし……まだしばらくは、ずっと餌探し続けるやろな」
「せやんな……ツバメ、すげえなぁ」
あまりに途方のない、ツバメたちの命を繋ぐ営みに、月並み以上の言葉が見当たらない俺はふと、アユミの方に視線を落とした。
髪を下ろした彼女が、夕暮れの淡い色に包まれながらツバメたちを見守っている姿が――なんだかとても神聖なものに見えて、思わず息を呑んだ。
「……シュンのオトンが言うてたわ。ツバメの巣が店に作られるんは、商売の縁起がええんやて」
「俺もそれ聞いたことあるわ。落ちたフンとかの始末は大変そうやけど……」
「ん……やから自販機の上に段ボール敷いといたで」
「おぉ、ナイス」
「……ウチの身長やと、ちゃんとフン受けられてるか見えへんけど……」
「あははっ……まぁ俺もやけど……」
こんな他愛もない会話の最中でも、アユミが度々向けているこのツバメの営みに対する目が、ただの好奇心によるものでないことはそれとなく分かっていた。
去年の暮れ、アユミが正式に瀬貝自工を退社してからというもの、彼女は社長とも玲さんとも顔を合わせておらず、連絡も取り合っていない。
かくいう俺も、年末以降は彼らと面会を希望しても、多忙を理由に軒並み断られている始末だ。
大恩のある人、確執を残した人。
最後まで家族になれなかった二人との別れ方が、こんな袂を分かつような形でよかったのだろうか。
今こうして巣を見上げている彼女の目は、もしかすると――。
「……シュン」
思案の海に沈んでいた俺のぼやけた視界は、アユミのささやくような呼び掛けを耳にした途端、ふっと鮮明になった。
じっとまっすぐこちらを見つめるアユミにドギマギしながらも、ゆっくりと顔を近づけた。
そして、彼女が目を瞑ったとほぼ同時に、俺も目を閉じてから、唇同士が合わさる感触に身を委ねる。
触れあうことで感じた微かな震えは――次第に落ち着きを見せはじめていった。
◆
「アケミちゃん、まだあかんか」
居間の食卓に並んだ筍ご飯と鰹のタタキ、菜の花のお浸しを前にして、箸を手にしたままオトンは寂しそうに口を開いた。
「……オトン、アユミやアユミ」
「ん? ちゃんとアユミちゃんや言うたはずやけどな」
ここ最近、オトンが人の名前を間違える回数がさらに増えてきた気がする。
前まではわざとだと思っていたが、段々とそうでもないような気がしてきた。
アユミがここで本格的に働きはじめてから、オトンはあまり積極的に表に出ることはなくなっていた。
はじめの方こそ、俺にはできなさそうな自販機のメンテナンスなり、日勤のあれこれなり、しっかりアユミに引き継ぎのレクチャーをしていたのだが、最近になって彼女が仕事に慣れてくると、その出番すらもほとんどなくなっている。
俺が明らかにおかしいと思い始めたのは、だいたいそれぐらいからだった。
「……なぁ病院、行っといた方がええんちゃう?」
「アホなこと言うなシュウ。ま、父親がボケへんよう、せいぜいコキ使ったって」
憎まれ口を叩きながらも、オトンは自分よりあっちを心配せぇとばかりに、口に運び込んだ筍ご飯を咀嚼しながら、視線を店舗スペースがある方へと向けた。
俺はちいさく息をつきながら、彼に言葉をかけた。
「家族に加わるかどうか、決めるんはアユミの整理がついてからや。しばらくは、そっとしたりや」
「ぐむ……せやけど一緒に住んでんのに、なんか除け者にしとるみたいで……落ちつかんで」
「……あれがルーティンやねん。日中はよくても、きっと晩はアカンのや」
今ごろ、アユミはスナックコーナーのうどんを食べている頃だろうか、それともまだ彼女の夕飯には早いだろうか。
夕食に一人で自販機のうどんを食べるという習慣は、生活も環境もすべて一新した彼女にとって、以前と同じ自分の姿を残す数少ない手段だった。
いまアユミを夕飯の食卓に誘うことは、彼女から《《もしもの時》》の退路を奪うことになりかねない。
「まぁ、筍ご飯はおにぎりにして、後で夜食として持っていくわ」
「ん……そうしたり。母さん、他のおかずも余ったら朝にでも食べれるよう残しといたって」
アユミがうどん一杯程度で腹一杯になるとは思えへんけど、念のため『おにぎりあるし、腹空けときや』とだけメッセージは打っておこう。
そう思い、スマホの画面を開くと――
「……あ」
そこには、ある一件のメールの通知が届いていた。
送り主の欄には、『国際HOTELやまぶき ゼネラルマネージャー 鴻巣 涼子』と書かれていた。




