49.富士電機 『飲料自動販売機 (チェリオ仕様)』
小学生時代、およそ30分ほどかけて徒歩通学していたこの道を、軽トラに乗って辿っていく。
学校を出て5分そこらで、農耕地から木々に覆われた山合の道にさしかかり、ほどなくして正面が足場に覆われかけている『ひよしドライブイン』が見えてきた。
ダッシュボードに四人のドラえもんが置かれた4tトラック、常連さんの黒いハイエース、そして見慣れない原付が並んだ駐車場に、軽トラを停める。
そしてドアを開けて地面に足を下ろすと、ちょうど今まさに、色褪せて劣化していたドライブインの看板に足場がかかろうとしていた。
「ファン、次のアンチ放れや!」
「アー、イキマス。セーノーッ」
「……ほい、取った! そしたら、もうじきに張るしシート下ろしといて!」
「ハァイ」
高所に登っていた長楽に指定された資材を上げ、目線を落としたファン君は、やがて俺に気づいて「コニチハ」と口にしながら片手を上げたので、俺も「こんにちは」と返した。
彼の足下に敷かれたシート上には、種類ごとに分けられた単管パイプや床材がいくつか置かれている。
そして、先刻床材を受け取った長楽は、ゴムハンマーでガンガンと叩いてそれを足場に取り付けていた。
俺は音が止んだタイミングを見計らい、大きな声で彼を呼んだ。
「おつかれさまでーす! さすが、早いですねー!」
「あ、どうもー! もうこのスパン組んだら後はシート貼って終わりですわ! 姐さんの言い付け通り、ちゃんと《《チェリオ前の庇》》は開けときますー!」
「そうですか、ありがとうございまーす! ドリンク、何がいいですかー!?」
「うわ、すんません! そしたら、なんか冷たい炭酸頂きますー!」
「はーい! そしたらファン君に渡しておきますね!」
「あざますー! そういえば、会場で親父に会わはりましたか!?」
「居はりましたー! よう頑張ってくれてはるて伝えてまーす!」
「そすか、あざますー!」
長楽に手を振りつつ、俺はスマホを取り出しながらドラブイン外に並ぶドリンク自販機に向かった。
この並びの中に一台だけ置かれた、件の赤白のチェリオ自販機。
庇で陰になったそれの、真上の壁面には――土や植物の茎を固めた、ツバメの巣が作られていた。
「……そっかー、タマゴ生んだかぁ」
巣の上では、一羽のツバメが身を埋めながらじっとしている。
そして、つがいと思わしきもう一羽のツバメが時おり、外から飛んで戻ってきては、巣のフチに足を引っかけつつ翼を使ってバランスを取りながら、口移しで抱卵中のパートナーに虫を食べさせてから、またどこかへエサ探しに飛んで行った。
「……なんか、ずっと見てられるわぁ」
そんな、重苦しい心にスッと効く光景を三往復ほどボーっと眺めたあと、俺は二人にドリンクを渡さないといけないことを思い出し、すぐ隣の別の自販機でサイダーを二本購入した。
◆
ドライブインに入り、ゲームコーナーを通り抜けようとした辺りで、多彩な電子音をつんざく金属椅子がガタンと倒れる音と、遅れて若い女の怒声が耳に飛び込んできた。
「オッサン、ええから立てやこらオイ!」
「ひ、ひぃ……!」
音がした方を振り向くと、そこにはゲーム筐体に座っていたと思わしき、シャツの胸ぐらを掴まれているうだつの上がらなさそうな小太りの男性。
この人は度々うちにやって来ている、常連のオジサンだ。
一方、オジサンの胸ぐらを掴みながら言葉汚く怒鳴り付ける、改造したセーラー服のスカートを大股に開いた茶髪ロングヘアーの、このアユミよりさらに若いヤンキー女子の方は、ドライブインで今まで見かけたことはない。
「ホンマにふざけんなよテメェ! この写真、バラしたろかマジで!?」
「ご、ごめんなさい……ゆるしてっ」
これは……もしかしてアレか、オヤジ狩りってやつか?
いま令和なんやけど……と思ったが、この町ではまぁザラにありそうなことか。
……い、いやいや落ち着けやシュン。
いつもそうして、何かを決めつけてかかるから、ややこしいことになるんや。
多分、今の時間のアユミは夜に備えて寝ているはずだ。
ここは俺が、穏便に話を聞こう。
情報収集、情報収集。
取材、取材と。
「すんません、ほんまにすんません!」
「あぁもう……なんかお前見てると、マジでムカついてきたわ! 一発――」
「やぁお嬢さん、いったい何を騒い――ブベッ!」
刹那、俺の鼻と頬に固いものが強烈にぶつかり、鼻の内側に鉄のような臭いがプンと充満した。
ヤンキー女子がオジサンを殴ろうと拳をにぎり、肘を思いっきり引き付けたタイミングで直撃してしまったらしい。
「あ……やべ」
ちょっぴり潤む視界のむこうで、ヤンキー女もオジサンも、ポカンと口を開けたままこちらを見ていた。
な、なんだか脳内がパニックだ。
どうにか平静を装わないと。
「ら、らいりょうふでふ」
息絶え絶えになりながら無事(?)を伝えると、ヤンキー女は一度だけ息をつき、そのあと再び強がった様子を見せながら、言葉を発しはじめた。
「……な、なんでそんなとこに突っ立ってんねん、アホ天パ!」
「ふぇ……」
「ったく、ボケッとしてるからこういうこと……に……」
しかし、彼女が俺の背後に視線を向けた瞬間、オジサンの胸ぐらから手が離れ、その声色はまたしても子犬のように弱々しくなっていく。
そして、間もなく寝起きと思わしき静かな、しかしあまりに低くて重い、しゃがれた声が――その視線の先から聞こえてきた。
「……他にコイツに言うことあるんちゃうんけ、サルガキ」
振り返ると、そこには下ろしたボサボサの髪を片手でかきむしりながら、胸元にコック姿のキティちゃんがプリントされた薄手の白いオーバーサイズロングTシャツと、グレーのドルフィンパンツを纏ったアユミの姿があった。
一見、彼女は落ち着いているように見えるが、その瞳には今にも眼前のヤンキー女子に飛び付きかねない、燃えるような灰色の澱みを泳がせていた。
あぁ……またしても、こうなるんか……。
「まっ、待ったってやアユミ……今のは事故で……」
「そ、そうや! それに誰がサルや、アタシは……!」
ヤンキー女子は何か言葉を続けようとしていたが、アユミの本格的にギラついた眼光を前にして、ついに声を失ってしまった。
「……ウチの男に血流さしといて、何言ったらええか分からんのやったら、分からんて言えやダボが」
アユミが発したあるワードを耳にして、俺の脳内には一瞬、行ったこともないオランダの爽やかな風を受けて回る風車と、陽の光を浴びて輝くチューリップ畑の光景が広がった。
「……って、血?」
しかし、鼻から滴る赤い液体が、白いシャツにポタポタと染みを作っているところが目に入った途端、脳内からオランダは消え去り、俺はふたたびパニックを起こした。
「ウワーッ、チッチッ! だれかっトトトイレットペーパーッ、じゃなくてティッティッ」
「あの、私のポケティどうぞっ」
「あ、あざますっ」
オジサンが差し出してくれた、携帯ショップのポケットティッシュを咄嗟に受け取る。
シワシワになった袋から少し黄色がかったティッシュを慌てて引き出して、俺は2秒ほど躊躇してから、ひと思いに鼻に当てた。
一方で、アユミにガンをつけられながら、怯えた様子でジリジリと後退していたヤンキー女子は、さっきまでオジサンが遊んでいたゲーム筐体の操作パネルに腰が当たって乗り上げてしまい、ついに逃げ場がなくなってしまった。
「ご……ごめんなさい」
そして、その口から震える声で謝罪が絞り出されたあと。
アユミは片腕を彼女の顔のすぐ横に伸ばして筐体を押さえつけながら、さらに自身の顔を近づけ、二人は壁ドンならぬ筐体ドンの体勢となった。
「ひっ」
そして、ヤンキー女子が涙目をギュッと瞑った瞬間――アユミはもう片方の手を、彼女の頭に優しくポンと置いた。
「……謝る相手はウチちゃうやろ。わざとやないんやったら、尚更ちゃんと本人に謝り」
意識外からかけられた、アユミの穏やかなハスキーボイスを耳にしたヤンキー女子は……頬を赤らめながら首を縦に振り、やがて俺の方に顔を向けてから再び口を開いた。
「……ごめんなさい」
しかし、彼女のその視線はずっと、アユミの手に釘付けになってしまっていた。
いや、なんやねんこれ。




