47.パートナー 『木立アユミ』
アユミがうどんを食べ始めた様子を見届けてから、ほどなくして。
俺は一階で両親とともに夕飯を済ませた後、そのまま二階にある自室に一人で入った。
「――ぷはぁ~っ!」
途端、俺の中でグルグルと循環を続けていた生暖かい空気が、ついに口からどっと吹き出した。
思い返せば、この二日間はアユミをはじめ、常に誰かが隣にいる状況だった。
厳密には昨夜の例の風呂など、一人の時間もあるにはあったが――それも、その後に控えていた嵐(?)の前の静けさにしか過ぎず、やはり完全に心休まる時間とは言い難かった。
「ホンマにこれで、よかったんやろか……」
自分でもつくづく思う。
今回の広島の旅を通して、俺はあまりにもアユミに気を遣い過ぎていたかもしれない。
とにかく彼女の負担にならないよう、特にどうしても言葉を選ばなければならない場面が多々あった。
目と耳になると言った手前、やましい隠し事はしていないにせよ、それでもこういった情報の最善な伝え方の選択は、どうしても続けざるを得なかった。
しかし、そこは鋭いアユミのこと。
俺にそれとなく気を遣われていたことも、もしかすると全部見抜いていたのではないだろうか。
「はぁ……もっと自然体な恋人になりたいなぁ」
思わず本音が口から漏れてしまった。
でも、そう思うのはきっとおかしいことじゃない。
過度な気遣いは、こうやって自分自身を消耗させる。
そして、今度は自分が消耗したせいで、気を遣われた相手が傷いてしまうかもしれない。
そんな関係性なんて、どう考えたって健全とは言えないはずだ。
「……いかんいかん。今はそんなこと言ってる場合ちゃうやろ」
今、俺たちの眼前まで迫ってきているのは、リゾート開発の波だ。
これをなんとかしないと、町から何もかも無くなってしまうかもしれない。
自分の願望をどうこう考えている場合じゃない。
オートパーラーサトウと熊さんから学んだ、モータリゼーションの変遷とドライブイン、そして町との関わり。
そして会田さんが話していた、一度失われたものを取り戻すことの難しさ。
この二日間だけでも、得られたものが既にこんなにある。
これらをいち早くまとめ、“このドライブインをなぜ残す必要があるのか”という理由に紐付け、多くの人の共感を得なくちゃいけない。
そうだ、この文字起こしのために、早速購入するパソコンを選ぼう。
最近はどんなモデルがあるんだろう、スマホで一度調べて……ってあれ?
ポケットに入ってへんやんけ。
「スマホ、スマホ……どこやスマホ……」
「……これ、下に置いてあったけど」
「あぁ、それそれ。置き忘れてたみたいやわ、おおきにな」
入口にいたアユミからスマホを受け取り、早速スマホを起動した俺は――
――もう一度、入口を振り返った。
「ウワアァーッ!」
「うわっ」
「い、いちゅ、いちからいたんでち、ですかァ!?」
「……」
「……さ、ささ叫んだりせぇへんから、言ってみいてっ」
「……ぷはぁーって……言っとったときから」
「ウワアァーッ! 最初っからやんけぇッ!」
俺がとにかく頭を真っ白にしながら狼狽していると、一階からオカンの「やかましいわ、ドアホッ!!」という怒声が響いた。
おかげで、俺はどうにか我に帰ることができた。
外の国道を通過する車のヘッドライトの光が窓から飛び込むたび、ぎゅっと口を閉じたアユミの綺麗な顔をひとときだけ照らし出した。
そして、彼女は目線を合わせることなく、少しずつ口を開き始めた。
「……かんにんや、勝手に上がってしもて。ウチ、ホンマに話聞くつもりは無くて……」
「……い、いや、その……スマホ届けてくれておおきにな……」
いや、なんやねんその返しは。
今までアユミが一階の居間や、監視モニターのある二階の物置にまで上がってきたことは何回かあったが、こうして俺の部屋にまで来ることは未だかつて無かった。
そう、だからかもしれない。
このとうとう物理、精神ともに逃げ場のなくなった状況は、俺にこれ以上の取り繕いは一切無駄だと悟らせた。
「……アユミ」
「……ん」
「さっき言った独り言……あれは本心や」
「……知ってる」
まぁ、あっさりと言ってくれよる。
そして本当なら、この続きに『でも、今は無視してくれてかまへん』といった旨の定型文が来る予定だった。
「で――」
「――ウチも、シュンと対等な恋人同士になりたい」
しかし、少しだけ食いぎみなアユミの抑揚の乱れた声が、俺の口を咄嗟に塞いだ。
そして、彼女の発した言葉に一番驚いた様子を見せていたのは――他ならない、彼女自身だった。
「ウ、ウチ。シビックに乗ってへんから……昨日みたいに身体で伝えるしか、できひんと思ってた……」
「……大丈夫や。しっかり伝わってる」
俺がそう言葉を返すと、アユミの泳いでいた視線がとうとうこちらとパチッと合い、彼女の震える目の輪郭を一本の線で繋ぎ止めた。
「……シュンやったら、言葉にしても……大丈夫なんや」
「そう……らしいな」
「……好き」
続けざまに挟み込まれた静かな、しかしあまりに綺麗に紡がれた言葉に、俺は急に顔が熱くなって、咄嗟に乾いた笑いを浮かべた。
「あはは……アユミ、ちょっと俺も流石に恥ずか――」
「ん、これでようやく伝え方が分かったわ」
「はは……へ?」
「これ以上、シュンがウチを傷つけてしもたかどうかで迷わへんようにな。これまでシュンがしてくれたことに対して、ウチが今どう思ってるか……分かってもらえるまで、はっきりと言葉で答える」
「そ、それはどういう」
「……おおきに。シュンがウチにしてくれたこと、全部嬉しかったよ」
さっきまでの瞳の震えは消え、アユミの表情はいつもの真っ直ぐさを取り戻していた。
「アユミ……」
「……おおきに。シュンが――」
「……アユミ?」
「ウチにしてくれたこと、全部――」
「あ、あの」
「嬉しかったよ。おおきに――」
否。
いまのアユミの顔は、悪戯をこれからしようとする子供にも似た、実に楽しそうなニヤケ顔だった。
「わ……分かった、降参や! 分かった、分かったから……」
「いや、その答え方はなんか……心が籠ってへんからアカン」
「いや、なんやねんそれ! そしたら俺どうしたら……」
「ききっ、くくっ……シュンがウチにしてくれたこと――」
「おぉーいっ!」
結局、このやりとりは――俺がアユミにはっきりと「好き」と伝えられるまで続いた。




