44.川崎製鉄 『搬出モーター(絶版)』
完全な夜を迎え、闇に包まれた倉庫の中。
白熱球と手持ちライトの明かりが浮かび上がらせるほんの僅かな空間で、会田さんとアユミによる自販機の点検は依然、続いていた。
「槽のバルブが固着して殆どやられとる。出汁の塩分やろなぁ、融雪用の塩カルにやられたナットと同じ状態や。おそらく晩年は定量注がれてへんかったんちゃうか」
「……婆ちゃんも、そう言ってはりました。お客さんから薄い言われるときがあったって」
「せやろな。そないな高齢の婆さん一人で、掃除しきれへんかったんやろが。ただ、これは薬で落ちるしかまへんわ。そんなんより、さっき言うとったモーターと軸はもう完全に取り換えんとアカンわ、カズヨさん」
「アユミです」
文系の俺はそんな彼らの戦力になることはできないので、ただこうして様子をスマホのカメラで動画撮影し、記録を残す他にできることがない。
「あぁ、あと送り出しのレールも溝が広がって潰れとる。マナーの悪いボケが知らん間にガワを蹴ったかなんかで、その負荷が巡りめぐってここに行き着いとるんやろ。これも交換や……むぅ、ヒーターも断線しとるがなアユミさん」
「アユミで……はい、そうですね」
そうこうしているうちに、そんな俺の脇をすり抜けて、熊さんとオトンまでもが自販機を囲いはじめた。
「……進行ランプ、飛び飛びで電球死んでますね。これも直さはりますか?」
「どうやろうなぁ、予算次第やな。今の自販機の進行表示はニキシー管の物珍しさで半々やけど、こいつやったら大概の客は、取り出し口の中しか見いひんかもしれへん。あぁでも、うちのニキシー管の方も潰れとったなそういえば……あぁくそぅ」
そんな皆の様子を見て、俺はますます蚊帳の外に置いていかれたような気がした。
役割が違うことは分かっていても、俺だって当事者なのに。
正確な記録と発信のためにも、彼らの言っていることは、なるべく噛み砕いてでも覚えておかなきゃ。
「……んぅ」
しばらくして、それまで猫背のまま内部に顔を突っ込んでいた会田さんが、喉を静かに唸らせながら背筋を伸ばした。
俺はたまらず、こんな質問を投げかけた。
「……な、直りそうですか」
それに対し、会田さんは汗を拭いながら言葉を返してきた。
「まぁ、直るやろ」
「ほ……ほんまですか!」
「ただ、イチから削り出しせなあかん部品が、一つや二つやあらへん。ざっと――7~80万はもらうことになるわな」
――えっ……えっ?
「し、しちは……っ!?」
予想よりも一桁ほど増えた暫定の見積もり額に、俺は言葉を失った。
困惑の末、オトンの方を振り返ると、彼は白熱球の熱で浮かべた額の汗を手で拭いながら、絞り出すような声で言葉を零した。
「やっぱり……そんだけ、しますか……」
「おぅ。うどんを提供できる最低限の修理で、運搬やらの付帯費は省いてもまぁかかるやろな……て金額や」
淡々と紡がれる会田さんの言葉を聞いて、オトンは再び沈黙してしまった。
やはり70~80万という数字は、既存の筐体の修理ではなく、今後苦しくなる見通しの経営下で筐体の新規導入を行うためのコストと考えると――おいそれと首を縦に振れない金額なのだと分かった。
「あ、あのっ……できたらもう少し……」
俺がたまらず言葉を発すると、会田さんは眉間にさらに皺を浮かべながら言葉を返してきた。
「あ? 安せえってかい」
「……そうです」
「……これから図面起こして、金属の塊を揃えて、そこから無いもんを削り出して、純正でないモーター改造して合うようにして――存在もなんかんも、ぜんぶ忘れ去られたもんの部品作る作業に……この金額は高いっちゅうことかい」
会田さんの凄みを増した言葉に、俺は再び言葉を失う。
そして、そんな俺を一瞥した彼は――大きなため息をついた。
「はぁ……えぇかパーマ坊主。自分で売るもんの値決めて、したことあるか?」
「えっ。いや、ありませんが……」
「……せやろな。おそらく真剣に値決めっちゅうもんをした人間は、この国にはそんなにおらんのやと思うわ」
会田さんの諦観めいた言葉を耳にして、俺はさっきのオカンへの蘊蓄話のように、てっきり耳を傾けるべきでない方向に話を逸らされそうになっているのかと勘繰った。
「思えば……昭和、平成は、色んな新しいもんを生み出して、技術革新を起こした“神さん”みたいな人間がぎょうさんおった時代やったな。せやけど連中は自分らと違て……客こそが“神さん”や言うてな。必要以上に自分らの技術をへり下りやがってよ」
「……会田さん、いったい何を……」
しかし、続く言葉を聞いて、それは誤りだったと気付かされた。
「――連中は、品質と誇りを天秤にかけた正しい値を客に教えるより……自分らの生み出したもんをどんだけ安く見積もって、沢山売れるかに注力しよった。そうしたら客も、安くて新しいもんがあればええちゅうて、ほんまは大事に残さなアカンような神さんの贈り物を……どんどん新しいもんに変えよる」
「そ、それは」
「いま言うた金額が高い思うんやったらな、それは誤解か……もしくは、自分らの生み出したもんを安く見積もった売り手か。それと、安なってくもんにしか飛び付かへん、失ったものを蔑ろにしてきた消費者のな……身から出た錆や思わなあかんわ」
彼の口から紡がれたものは、技術屋の矜持そのものだったと――俺はここにきて、ようやく理解できた。
「会田技研はもう儂一人しかおらへん。ここにもし一人でも、無くしてしもたもんをもう一度作り直そうて言うてくれる後進が残ってくれとったら……金額ももう少し、引き上げなアカンとこやった。会社やからそいつも食わさアカンしな……」
真剣な、そして遠い目をした会田さんを前にして、俺は今一度自分に何ができるのかを考えた直すことにした。
彼が真摯に決めた金額――今の俺たちに、いったいどうすれば払える?




