43.日置電機 『絶縁抵抗計 IR4051-10』
「なぁシュン……誰やこの爺さん……」
俺がシビックを降りるなり、オトンが掛けてきた第一声は労いの言葉ではなく、心の底からひり出した疑問符つきの声だった。
奥では、例のピンク爺さんが原付に跨がりながら、エプロン姿のオカンに向かって蘊蓄話を一方的に垂れ流している様子が視界に入った。
「――そもそもな、蘇我入温泉は時の行氣聖人が掘らせたもんで、大正時代になってから、あっこが盆地の大池がよう望める風光明媚な場所やいうて、山陽側の鉄道会社が鉄道の延伸計画と一緒に、城址跡使うて温泉のそばに蘇我遊園ちゅうのこさえたんやがな」
「へー」
「せやのに戦争前にマラリアのもとになるっちゅうんで、池埋めてしもた上に園地の資材鉄をごっそり持ってかれてやな。戦後は鉄道ももう伸ばす気あらへんし、もう見る影もあらへん。客足も無うなって、アカンであんなん。なぁ、そうやろ?」
「ほー」
「ほー、やあらへんがな。それでな――」
いや、誰や知らんけど濃すぎるわ……。
あかん、脇で聞いててもほんまに何言ってんのかよう分からへん。
彼から辛うじて逃げおおせたのか、オトンはひどくゲッソリ(しかしでっぷり)とした衰弱ぶりを見せており、オカンも適当に相槌を打ちながらチラチラとこちらに目線を配り、話を切るタイミングを見計らっている様子がありありと伝わってきた。
「……すまん、オトン。俺も知らん人や……」
「そうか……あぁ、遅くなったけど、遠征ご苦労さんやったな……」
「かまへんけど……あんた、オカンを犠牲に捧げたんか……」
「あれは必要な犠牲やった」
まったく、後でどうなっても知らんで。
そんなことを内心で一人ごちていると、遅れて車から降りてきたアユミがやってきて、オトンにペコリと頭を下げた。
「お父さん、戻りました……」
「おぉ、アヤミちゃんもご苦労さんやったな」
「アユミです」
「あっはっは。いや、はじめはお母さんと2人で出迎えようと思ってたんやけどな。もうすぐいうときに、あの君らの知り合いやいう爺さんがやって来はってな……」
相変わらず、俺より明らかに良い愛想をアユミに振り撒くオトン。
しかし、当のアユミはというと――
「あ……」
オトンのひとことでピンク爺さんの存在に気がついた途端、小走りでそちらに向かって駆け寄っていった。
同時に熊さんも爺さんの存在に気が付いたのか、同様にトラックを下りてそちらに向かいだした。
「あ……会田さん。お久しぶりです、アユミです。早速来てくれはったんですね」
「すんません会田さん。この子がどうしてもこの自販機直したい言うて……まさか、昨日の今日で来てくれはるとは」
うちの両親とは打って変わって、アユミと熊さんはどちらかと言えば、まるでこの不審人物に畏怖の念でも抱いているかのような、まさにそんな様子で爺さんに話しかけている。
会田と呼ばれた爺さんが二人に振り向くと、オカンは早口で「アッ、ゴハンタカナアカンワ」と詠唱しながらその場をそそくさと離脱し、オトンのケツを一発だけ叩いてからドライブインの奥へと消えていった。
そもそもなんやっけ、会田さんって。
会田さん、会田さん……。
「あぁ、カズヨ!? どなたさんや!?」
「アユミです」
あぁ、そうや。
この人、自販機の部品作ってくれる神様やったわ。
◆
ドライブインの外にある薄暗いトタン張りの倉庫に、一先ず搬入した黄色とシルバーの川崎製鉄製のうどん自販機は、天井から吊り下がる白熱球の光によってオレンジがかって見えた。
ここ2日間はずっと目にしていた筐体だが、いざこうして見知った環境に置かれると、普段生活を共にしている富士電機製うどん自販機との明らかな違いというか、異物感にも近いオーラを改めて感じ取ってしまう。
「これは感動もんやな……まさか、こんなレアもんをウチで拝む日がくるとはな」
オトンはどこか、恍惚とした言葉を零しながら絶縁抵抗計なる機械を手に、自販機にショートや漏電の危険性がないことを確認した。
そして、ゆっくりとコンセントを差し込み、倉庫内は緊張の瞬間を迎える。
「――よし」
やがて、か細い呼吸のように小さな駆動音がヴン……と響いた途端、自然と息が「ふっ」と漏れた。
これで、通電自体は問題なくできていることが分かった。
オートパーラーサトウの閉業間際に故障した筐体のためだろうか、何にしても第一の壁はこれでクリアである。
しかし、アユミは依然として真剣な表情のまま、サヱさんから引き継いだボロボロの説明書を手に、自販機の蓋を開ける。
そして、照度の高い手持ちライトで中を照らしながら、会田さんに内部の確認を促した。
「……どうです、分かります?」
「……んなもん、パッと見て分かるわけあらへんがな。車以外のもん触ったことあらへんのによ」
――えっ?
会田さんの口からわずか1秒で飛び出した、その不愛想で適当な反応に、思わず俺は声を上げるほかなかった。
「ち、ちょっと待ってください! アンタ、うどん自販機触ったこともあらへんのに、なんでこんなとこ来――」
しかし、爺さんに対し声を荒げそうになった瞬間――アユミが表情を崩すことなく、俺の方を真っすぐ見た。
白熱球の光を反射したその目を見て、俺は不思議とそれ以上の言葉を発することができなくなった。
「落ち着かんかいや、もじゃもじゃのパーマ坊主。こっちは時間くれ言うとんねん阿呆。車も自販機も――ガワ外してしもうたら、ぜんぶ心臓と血管《部品》と神経《電装系》の組み合わせでしかあらへんわ」
そして、会田さんはブツブツと、しかしどこか諭すような口調でそう言った。
「カズヨさん、この取り出し口の奥のフラップはなんのために付いとんのや」
「……アユミです。麺類の自販機はたいてい湯切りするんですけど、これは広く普及してた回転式の機構と違うて、丼ごとこう斜めに傾けて湯を落とすらしいんです。フラップはその押えらしいんですけど、この軸の部品がどうも――」
このとき、なんだか二人に置いて行かれたような気がした俺は。
「……あんたも、もじゃもじゃやんか……」
ただ、誰にも聞こえないよう悪態をつくほかなかった。




