41.ミヅシマ工業 『スモーキングスタンド』
「……アユミは一昨日の朝イチ、うちの社長の下へ直談判しに来よった。なんでこうもあっさり、瀬貝自工を畳む判断をしたんやってな」
熊さんは紫煙をくゆらせながら、淡々とした口調でそう話す。
「でも、社長の意思は変わらへんかった。せやからアユミが激昂して、社長に掴みかかろうとしたところを、娘に見られてっていう感じや……だいたい予想ついとると思うがな」
彼の言葉をしっかり聞きながらも、俺がしきりに振り返り、アユミがまだ戻ってきていないことを確認していると、その様子がおかしかったのか「ふっ」と鼻で笑うような音がした。
「その……アユミの行動について、熊さんや皆さんはどう思ってはるんですか?」
「……まぁ、少なくともオレは若気の至りやなぁ、アホやなぁ……て思った。若いゆうても、なんぼなんでもそれはアカンやろて。アホやであいつ」
アユミのやらかしに対しては、あくまで職場の先輩としてなのか、かなりドライな回答が返ってきた。
まぁ、その点は仕方のないことだと思う。
どんな理由があったって、人に掴みかかるのは確かに論外だし、それがいくら近しい存在であっても会社の上役なら尚更だ。
「大半の人間も、何らかの処分はしゃあないんちゃうかと考えてる。……まぁ、あいつの境遇考えたら、いち人間としてその理由だけは理解できるし、別に嫌いにはなったわけちゃうけどな。またそれとこれとは別の話や」
熊さんは遠い目をしながら、さっそく一本目のタバコを吸い終え、共用のスタンド灰皿にコツンと落とした。
そして、すかさず二本目のタバコを取り出して、手際よく火をつけた。
「その理由……なんですけど。会社を畳もうとしているのは、本当に社長自身の望んでいることなんですか」
「……娘の口添えがあったんかもしれんって、言いたいんやろ?」
「……そうです」
「まぁ、それも完全に間違いとは言えんやろな。とはいえ、社長も社長で……長いこと、いつか畳むことは考えはったみたいやで。本心ではもっと続けなあかん思ってたはずやけど、タイミングがそれを許さんかったってのが、実情やろうか」
“タイミング”という言葉を聞いて、俺はいくつかの意味を頭に浮かべた。
社長が大病を患ったこと、玲さんが帰ってきたこと、ホテルの誘致計画が浮上したこと。
そして、アユミが心の壁を作ったこと。
「続けようとしていた理由は、面倒を見てたアユミのことですか。それとも……また別に?」
「きっと両方やな。アユミをまだ一人にはさせれへんとも思ってはったやろうし、同時に町のために簡単には畳めへんとも思ってはった。あの町がこれまで、どこにも吸収されんと生き残って来られたんは……大げさでも何でもなく、あの人が町のモータリゼーションを維持しとったおかげや」
そんなスケールの大きな責任を理解していながら。
それでも、瀬貝自工を畳むことにしたということは、やはりよほど苦しい経営状況だったのだろうか。
「……では、玲さん個人の一存で会社を潰そうとしている訳ではない、ということですね」
「あぁ、それはいくらなんでも一方的な見方すぎるわな」
――熊さんの“一方的”という言葉を耳にして、俺は思わずはっとさせられた。
「インフラの整備なんて、ほんまは自治体がやらなアカンことを、田舎のいち企業に依存しとることがそもそも異常やねん。これは、ようやく重い腰をあげた議員が山陰のリゾート開発に乗っかって、今さらでも二の矢を作ろうとしてるってだけの話や」
自分で思う以上に、俺はアユミに肩入れしてしまっていたらしい。
ジャーナリズムの禁忌を、俺はさっそく犯してしまうところだった。
恣意的な情報選択は、やがて偏向につながってしまう。
それはアユミにとって、良い結果をもたらさない。
「す、すみませんっ。俺、今すごく焦ってて……その」
「まぁええんちゃうの。可愛い彼女のために必死なやつは嫌いちゃうで」
「ま、またそうやって……」
「うはは……まぁ、でも。実際のところアユミと娘の間によからぬ因縁があるんは間違いないんやろうが、その点は俺もよう分かってへん。なんせ、あの社長代理は俺らエンジニアとほとんど話そうとせえへんしな」
そういえば、俺が以前に玲さんと会ったときは、彼女は工場内にも関わらず、スーツ姿のまま社長に付き添っていた。
今思えば、あれはそのまま現場の人たちとの距離感そのものを表していたのかもしれない。
アユミが抱える問題を紐解くには、やはり彼女との接触は必要不可欠だろう。
「……あと一個だけ、聞かせてください。熊さんは瀬貝自工が潰れることについて、どう思っていますか」
「……もちろん、納得まではしてへん。元々ぺーぺーの頃に拾ってもらった会社やし、他ならへん生まれ故郷で働かせてくれた社長には、恩しか感じてへん」
「そうですか。だったら……」
「――せやけど、新しい仕事を他の街で探そう思うとる。なぜならな……」
熊さんが俺の背後に目線を向けながら、言葉を言いきろうとしたとき――彼の目が、少しだけ大きく見開いた。
「――おぉサンキュー、アユミ」
「ん……これでええか見てや」
俺はまったく気付いていなかったが、アユミがちょうど戻ってきていたようだ。
彼女は白い袋を開いて、吸っていたタバコを灰皿に捨てた熊さんに、その中身を見せ始めた。
「もみじ饅頭か、助かるわ。んで、なんやねんこの広島なんも関係ないドラゴンのキーホルダー。“あぶそりゅーと・しゅないだー……”? なんて書いてねんこれ……」
「熊さんの息子、まだ小学生にもなってへんやろ。こんなんの方が喜びよると思ってん」
「まぁ確かに、こんなよう分からんもん普段からせがみよるわ。おおきにアユミ」
「ん……今日はさっさと搬入終わらせて、家族さん喜ばしたりや」
あぁ、そうか。
これが――ほんまもんの家族を持つ責任ってやつなんだ。




