40.日本たばこ産業 『メビウス・ボックス』
「なんや自分、そんなんで足りるんか?」
サービスエリアのレストランにある、狭い四人掛けのテーブルで向かい合って座る熊さんは、俺の眼前に置かれたざるそばを見て、明らかに気を遣った様子でそう言った。
「あはは。実は昨日、ちょっと食いすぎまして……」
「自分くらいの歳の坊やったら、ちょっとくらいよけ目に食っても太ったりせんやろ。アユミを見てみや……自分とおんなじもん食っとるはずやのに、多分ここで一番カロリー取れるセット的確に選んどるで」
彼の言葉を耳にして隣に目をやると、つやつやの味玉にシャキシャキ野菜が乗った茶色いラーメンと、シンプルなドーム型のチャーハンが並ぶ背徳セットを前にして、アユミは小刻みに弾みながら、無表情の奥に隠しきれない前のめりなオーラを醸し出していた。
一方の熊さんはというと、こっちはこっちで茶色いタレがたっぷりと絡んだホルモン焼うどんに、茶碗に入った一膳分のほかほかご飯が並んでいる。
「アカン、このままじゃアユミに食われかねん勢いやな。食お食お」
熊さんの一言を皮切りに各々、手を合わせて「いただきます」と口にしながら、それぞれの料理に手を付け始めた。
――まっ、俺は本当に食われたんやけどな!
そんな言葉を思い浮かべながら、アユミ側に置いた紙コップに手を伸ばそうとすると、彼女の肘が丼を激しく持ち上げた勢いで、俺の手の甲を強く打った。
「ヴッ!」
「ズルズルズルっ……おふ、ふはん」
あぁ、神様はちゃんと見とるんやな……あまり余計なことは考えんとこか。
俺は気を取り直し、水で喉を潤してから優しい風味のダシに漬けたひとつまみのそばを、ズルズルと啜りはじめた。
アユミは箸とレンゲをせわしなく持ち替え、ラーメンとチャーハンを交互にがっつき、いつもの“痩せの大食い”ぶりを遺憾なく発揮している(ラブホの無料トーストも一人でしっかり平らげている)。
対する熊さんも、いかにも甘辛そうな焼うどんをご飯に乗せた、見事な炭水化物ロミジュリコンボをガツガツと豪快にかっ込んでいる。
なんだか、瀬貝自工のエンジニアたちが過ごす普段のお昼休憩の様子が、自然と目に浮かぶようだった。
「……ずるずるっ、ぷは」
「んぐんぐっ、ぶはっ」
……それにしても。
一心不乱に食事に向き合う二人は、いわば問題を起こした職場の先輩と、今まさに謹慎中の後輩という関係のはずだ。
それでも、今のところお互いが気まずそうにしている様子は特にない。
まぁそもそも、こんな状況にも関わらず、アユミが今回の搬出で真っ先にコンタクトを取ったのがこの人なのだから、やはり熊さんは彼女の味方だと考えていいだろうか。
「んっ……ごちそうさん」
俺のざるそばがまだ半分近く残っているタイミングで、熊さんは空になった器を前に手を合わせた。
そして、彼の早食いっぷりに驚いている間に、今度は千円札と500円硬貨がどんと俺の前に置かれた。
さっきの食券購入の際に、熊さんの分を俺が全て支払ったのだが、どうやらそのお返しらしい。
「えぇっ、受け取れませんよ。こっちが無理言って来てもらってるのに……。しかもなんならこれ、ちょっと多いですよ」
「別にかまへんて。こっちも仕事でトラック転がしてるだけや」
「そんなぁ……そ、それやったらせめて、この後コーヒーだけでもご馳走さしてください。この差額分だけでもっ」
「……はいはい、しゃーないな」
熊さんが『そんなんええのにな』と言いたげな顔で水を飲み始めるとともに、隣のアユミの「ごちそうさま」という声が耳に入ってきた。
やっば、俺だけ食い終わってないやん!
そう思い、慌ててそばを啜ったせいで、食道手前の変な場所に蕎麦つゆが入ってしまい、俺はたまらずむせた。
「げほっ、おうぇっ、ケホッケホッ」
「えぇ……何してんねん、シュン……」
「うはは、よう噛んで食いやぁ」
涙目で視界が歪むなか、この二人の食の太さに付いていけない自分の胃の弱さが、ちょっぴり悔しいと感じた。
◆
「な、なぁ……アユミ。今回はトイレ行かへんのか?」
レストランを出て自販機コーナーに向かう最中、俺はまさに虎視眈々と機会を伺っていた。
「え……行かへんで」
「えっ……いや、でも………やっぱりトイレ行っといた方がええんちゃう? つ、次のパーキングも遠いんやで」
「そうかもしれんけど……別に今は行く予定ないで」
「えっ、な、なんでっ」
「いや、なんでも何も……出えへんし……」
「そ……そんなぁ」
だが、俺は焦っていた。
その機会を得るには、アユミをこの場から遠ざける必要があるのだ。
いつもなら、訪れた場所毎にだいたい一回は『便所』って言ってくるのに……まさか、こんなときに限って。
アユミはアユミで、俺の行動に何かを感じたのか、じっとりとした視線を送ってきている。
背中を嫌な汗が伝うなか――いきなり視界の外から、アユミの手元に向かって黒い革財布が山なりに飛んできたかと思えば、やがて熊さんの声が聞こえた。
「すまんアユミ、うちの家族に広島土産買うてくるん忘れてたわ。ここ岡山やけど……たぶん広島のも売ってるから、土産コーナーで適当に見繕ってきてくれ。自分らの分もひとつ何か買うてええし」
「……わかった」
アユミはいまいち煮え切らないものの、渋々といった様子で建屋の方に戻っていった。
そして、俺たち二人が自販機コーナーに到着したタイミングで、熊さんはため息をつきながら、ふたたび口を開いた。
「……なぁ、あんまし女にトイレトイレ言わん方がええで。彼女相手やったら尚更な」
「かのっ!? きゃ、きゃのじゃっ、なぃす、そんな、かのっ」
「いや、テンパりすぎやろ……あんなバッチリ目合わしといて、もう隠しようないやん」
「うぅ……」
あぁ、さっきから情けないところばかり晒してるな俺……。
いかんいかん、こんなことではアユミもドライブインも守れないぞ、シュン。
「こ、コーヒーどれ飲まはりますか? このミル挽きのやつとかでもいいですよ」
「いや、それ百万回くらい飲んでるから缶のブラックでええわ、アイスで。それより、アユミ抜きで聞きたいことあるんやろ?」
「……まぁ、そうです。はいこれ……」
取り出し口から出てきた冷たい缶を熊さんに手渡し、自分とアユミの分も適当に購入してから、ひとまず自販機から少し離れた場所に移動する。
ずらっと並んだゴミ箱。そして、その奥にシビックとトラックが見える喫煙コーナーの近くで、プルタブの開く音とともに――俺は本題に入った。
「……いろいろ聞きたいことはあるんですけど。まずぶっちゃけ、アユミの今の会社での立ち位置ってどうなってるんですか?」
香ばしい副流煙の香りに包まれた狭い空間で、熊さんは胸ポケットからメビウスの青い箱を取り出しながら、まるでその質問が来ることを分かっていたかのように落ち着いた様子で口を開き始めた。




