38.オリジン工業 『円形回転ベッド』
「ひとつ断っとくで、シュン。そんなウチの気付きはな――助けられっぱなしやった自分でも、何かしらの見返りを生み出せてたっていう安心やったんや」
カラリとした声色に、崩れることのない凛とした表情をしたアユミは、ウィッグの黒髪を指でクルクルと巻く仕草を見せながら、次に口にする言葉を思案していた。
「……だってそうやろ。ウチにいろんなもんを与えてくれた機械かって、何もかんもタダと違う。自販機の温いうどんやハンバーガーを食べるには、いくらかお金を入れなあかん。シビックで声を出すにも、湯水のように消えていくガソリンを常に入れ続けなあかん」
それは今、彼女の口から紡ぎ出されたばかりの言葉だが、同時に事実の羅列と整理なのだと感じた。
「じゃあウチは……社長に何が返せるんやって、ずっと思ってた。だって、気持ち悪いやんか。お金入れずに出てくるうどんも、ガソリンなしで走る車も」
「……だから、娘の代わりやったことに……自分の価値を当てはめた、と」
「そういうこと。それなら、いままで感じてた気持ち悪さの正体が――全部ぜんぶ腑に落ちてん」
アユミの語りがそこで途切れて、二人の間には毒にも薬にもならないBGMと、空気清浄機の音だけが淡々と響き渡った。
そして、彼女が感じたものとはおそらく別の、胸の焼けるような気持ち悪さが渦巻く様子を映し出すかのように。
間接照明からベッドに漏れた青い光が、アユミのウィッグに触れる手の動きの影で、常に揺らいでいた。
「……じゃあアユミは、実娘の玲さんが帰って来たとき、どうしたいと思ったん」
俺の問いかけに、彼女が再び口を開いたとき――影に映るアユミの動きがぴたりと止まった。
「何も。役目が終わったんやったら、どうしようもこうしようも」
「……せやけど、つい何日か前まで。いや正確には今も、アユミは瀬貝自工に籍を置いとる」
「……そう。実は、ウチがほんまにヘンやと思っとるのは、ここから。ウチははじめ……そうやって黙って、他人として社長の作った会社に貢献することが……次に与えられた自分の価値なんやと思ってた」
アユミの口調がそれまでの無味乾燥なそれとは異なり、先ほど彼女の外観からも感じた、しっとりとした雰囲気を纏いはじめる。
「別に娘さんが社長の下に帰って来たとしても、それで何も矛盾は起きへん……やのに」
「やのに?」
「――社長のウチに対する接し方は、何も変わらへんかった。帰って来た娘さんに対しても、ウチに対しても。同じように話しかけてきたり、飯を食わそうとしてくる」
アユミはそう言うと、今度は今まで身に付けていたウィッグを外し――それによって隠れていた金髪と、たくさんのピアスがついた耳を露わにした。
同時に、零れ出る彼女の声色は、その強さと抑揚を徐々に増していった。
「……おかしいやろ。ウチは代わりの娘なんやで。……ウチにはそれがほんまに、ほんまに……どうしようもなく気色悪かった。社長が何を考えてんのか分からへんのも気色悪いし……そのせいで娘さんが、ウチに良うない感情を向けてくるのも気色悪かった」
ウィッグを握るアユミの手の力が強まったことが、震えによってありありと伝わってくる。
「……それが嫌で嫌で、徹底的にそれまでのイメージをブチ壊して。いちゃもん付けてくる輩との喧嘩やら、シビック勝手に持ち出して暴走したりやら……とにかくあの娘さんが絶対せんようなことをして、これ見よがしに見せつけたった」
やがて、その声の抑揚と手の震えがひとつに混ざりあって、彼女はさらに言葉を絞り出した。
「それやのに――あの人は怒鳴りもせんと、落ち着いて受け入れようとしとんのが……ほんまにほんまに、気色悪かった……っ」
「……」
「ウチなんか、いつだってポン付けで十分やねん。ほんまもんの姉が、弟が、妹が、婆ちゃんが、オトンが――家族が欲しいなんて、思いとうても思えへんねん。だって、どれもホンマもんちゃうんやからっ」
「……アユミ」
「……怖すぎるやろ、こんなん。ウチなんかが今さら……どう人間になれっちゅうねん……」
それから彼女は両膝に手を置き、俯きながら、呪詛のように何度も何度も『怖い』『怖すぎるわ』と言葉を吐き出しはじめた。
でも、結局アユミは優しいから、こんな時になっても言わないんだ。
彼女は今、恐らくこの場で最も気色悪い存在だと認識しているはずの“俺”を傷つける言葉を、皮一枚のところで抑えている。
「……すまん、アユミ」
「……なに」
それにアユミの理屈だと、瀬貝自工を離れることになった彼女が、あんなに悲しい思いをしたことの説明がつかない。
「当面の間……ドライブインの夜番は、アユミ一人に任せることになると思う。もちろん、まだ自工での処分も何も決まってへん段階なんは、承知の上でやけど……」
――大丈夫。彼女はすんでのところで、人間でありたいと願っている。
「俺はこれからしばらく、アユミの“目”と“耳”になる。もちろんポン付けでかまへん」
「……シュン、何を……」
皮肉にも、これまでの彼女の吐露は、俺自身の価値をハッキリとさせた。
「俺は今から――ひよしドライブインの専属ジャーナリストや。これからは瀬貝自工を嗅ぎまわって、社長や玲さんが本当にアユミに対して思っとることを、白日の下に晒す」
アユミが手にしていたウィッグが床に落ち、彼女の睫毛が瞬くたび、雫が弾けた。
「ついでに、土地売買のことや伊澤議員の周りも嗅ぎまわって、リゾート開発に関する情報をもっと引き出す。それに対して他の住民がどう思ってるのか、新たに知ってどう思うのかも聞いて回って、事実を突きつける。そして、潰れるのは俺らの店か、それとも計画か――その上ではっきりさせる」
アユミは目を見開いたまま、ただ黙って俺の話を聞いている。
そんな真剣な眼差しを浴びて、あろうことか俺は、彼女から目を逸らしてしまった。
「……その、これは、巡り巡ってドライブインを守るために必要なことや。だから……決して、断じて……ア、アユミのためなんかじゃないんや」
正しい答えがない問いに対して、俺の出した答えが――またしても、人の人生を変えてしまうかもしれない。
そう思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。
「……そ、それでも、自分の中にある疑念だけで急いで結論付けるよりは……なんというか、その。もっと正確な判断材料を揃えて、ゆっくり判断した方が、お、俺はいいと思う……うん」
あかん、こんな大事な話しとる時まで、俺の口がしどろもどろになりよる。
ヤバイな俺……格好つかなさすぎるやろ。
「だから、さっきの俺の謎告白についても忘れてくれていい……今、感情それどころじゃないやろうし。あれ、ホンマに思い返しただけでもハズいし……」
でも、アユミに伝えたかった言葉だけは――どんなに格好つかなくても、最後まで全部伝えるんだ。
「でも、もし……この件がカタついて、アユミさえよければやけど……その時は、俺とほんまの家族になろうや」
――俺が零した本音のあとには、永遠とも思えるような沈黙が流れ始めた。
さっきまで聞こえていたBGMも、空気清浄機やらの音も、何もかも耳に入ってこなくなった。
あれ、俺……やっぱり言葉選び、間違ったかな。
そんな、事実とも疑念とも取れない感情が、急速に脳内でぐるぐるし始める。
「……検討、する」
そして、隣から聞こえてきたアユミの返答は、究極的にあたり障りのないものだった。
でも、今はそれでいい。
いつも強気で、同い年のくせに大人びてて、自分の痛みには鈍感なように振る舞うくせに、人が傷ついたときには真っ先に突っ走ってくる。
そんな、ずっと俺にとっての憧れで、ずっと好きだった女の子が――少しでも安心して暮らせるよう力になれるなら、それだけで俺のモチベーションは最高潮だ。
「ん……よろしゅう頼んます」
「……しゃあなしや」
彼女の口の悪さが明確にマイルドになったとたん、俺の顔の熱は次第に引いていって、それまで見回す余裕もなかった周囲の状況と、手をついているベッドのふかふかな感触が、改めて鮮明になった。
そういえばここ……ラブホテルだったな。
まさかこんなところで、こんなに真剣な話をすることになるとは思わなかったが……俺はふと、アユミが『狙った』と発言していたことを思い出した。
たしかに、ここの環境なら誰にも邪魔されることなく話ができる。
地元から離れた場所だから、気持ちの整理もしやすいだろう。
まぁ正直なところ、ちょっと想像していたホテルの利用目的とは違ったので……その点だけ、残念だったことは否めない。
でも、アユミがずっと誰かに吐き出したかったことを、俺だけに話してくれたことは……男として、これ以上ないくらい名誉なことだと思った。
「さぁ……明日も搬出入と、ロングドライブが待っとるで。今日は色々と疲れたやろうし、ここらで寝るとしようか。俺はあのソファで寝るし、アユミは……」
俺がそう言ってベッドに背を向けると、すっかりいつもの声色に戻ったアユミの呼ぶ声が聞こえた。
「……ごめん、シュン。一個、けしかけといて聞き忘れてたことがあるわ」
「な、なんや」
「あの婆さんの酒や。どんな味がした?」
「あぁ……すっかり忘れてた。あれな、なんというか……控えめに言って桜餅やったわ」
「……ようわからん」
「そら、そうやろうな。あれは実際に舌で味わった者にしか――」
その瞬間、意図的に視界から外していたアユミが、ふたたび俺の頬に両手を添えた。
「……確かめてみるわ」
そして、自身の唇をつんと俺の唇に重ねた。
「んっ!?」
「ん……」
何が起こったのかを理解するよりも先に、今度は唇の隙間から――温かい舌が、俺の舌に絡みついてきた。
妖しい水音が口の内から反響して、ざらつきながらも柔らかなものが擦れ合うたび、顔中で火照っていたものが全身に及んで、次第に頭が真っ白になっていった。
それから眠りつくまでの間、いったいどれだけの時間を愛し合ったのか。
俺はもはや、それを数えようとも思わなかった。




