35.Maspex 『ズブロッカ バイソングラス』
「――そや。スバルのフォレスターに合うブリヂストンのスタッドレス、在庫あるやろ。広島の佐藤さんてお客さんや。日巡さ……そうひよっさん、そこの紹介ってことにしといて欲しいんやけどな。……うん、広島や……分かっとるて熊さん、ええから黙って聞いてや」
カギを解錠し、蓋を開けて内部構造が剥き出しとなった川鉄うどん自販機の前で、アユミは通話に勤しんでいた。
相手は瀬貝自工の熊さんらしく、ミカさんとサヱさんに見守られながら、彼女は威勢の良い口調で話をしている。
「去年まで履いてはったスタッドレス、プラットホーム出とってな。寒波予報で明後日の月曜に路面凍結するかもしれんのに、その日に鳥取での仕事で要るらしいんや。そんで――明日、パワーゲートの4トン車で持ってきたってや、タイヤ4つともな」
少し距離が離れているにも関わらず、スピーカーモードでもないスマホから『明日ッ!?』なんて大声が漏れ聞こえた。
横にいるミカさんがびくっと震えていて、なんだか面白かった。
「……ええから聞いてや、大事なんはこっから。このトラックの復路でな、その佐藤さんのお店から訳ありの自販機を一台、ひよっさんのドライブインに運んでほしいねん。これはウチの依頼とちゃう、蘇我入岳麓のドライバーの胃袋支えとるお得意さんの大事なお願いなんや。ウチの会社苦しいんやから、県外でも取れる仕事は取らなアカンで」
さっき、この自販機を持ち帰ると宣言した彼女の自信の理由が、ひとつ分かった。
アユミは電話の前に、すぐ近隣に住まわれているという、サヱさんと同居中の息子さん夫婦が所有する、車のタイヤ点検に乗り出していた。
実際、スタッドレスの使用限界を示すサイン(プラットホーム)は本当に出ていたようだが、それがなくとも幾つか口実はあったらしい。
このような慣れない営業紛いのことをしてでも、なんとしても運搬に漕ぎ着けようとする、アユミの執念には本当に恐れ入った。
「――おおきに。出張費込み込みのざっくりした金額はどっちにも伝えてあるけど、ちゃんとした見積もりはそっちでしたって。ウチ謹慎中で処分待ちやし。それとやけどな……」
そしてどうやら、トラックの手配はなんとかできたらしい。
誰が来てくれるのかは知らないけど、明日の帰り道中は、上等なサービスエリア飯をご馳走しなくてはならなさそうだ。
「その自販機なんやけど、故障しとんのに部品が無いねん。店主の婆ちゃんに聞いた故障箇所の写真は今から撮って送るけど、もしかしたら通電したときに他にも不具合出るかもしれん」
……そうだ。
そもそもコイツは、持ち帰ったところで直しようがないんだよ。
アユミだって、それは分かっているはず。
だからこそ、このもうひとつの自信の正体が知りたくて、俺は彼女の通話内容に耳を傾ける他なかった。
「――せやから、『会田技研』に近々見に来てもらうよう、今から連絡しといて。……そう、熊さんのセリカとか、ウチのシビックの部品一から削り出してくれてはる会田さんな……写真も送っといて。時間かかるかもしれんけど、あそこやったら最悪図面なくてもゼロから作れるかもしれん」
俺は、アユミが話している『会田さん』なる人物を存じ上げない。
しかし、話を聞いた限りでは、どうやら彼女たちのような旧車乗りにとっては、神様のような方だというニュアンスが感じられた。
すでに存在しない部品を作るなんてことができる人なら、今の俺にとっても神様である。
「……現地にはウチらもおる。積み込みの立合いもあるし、そっちの復路に合わせてウチらも一緒に帰るわ。……ん、おおきに。ほな」
アユミがスマホを切り、そのまま涼しい顔でサヱさんの方を向いて、お互いに頷き合う様子を――俺はただ、ポカンと眺めることしかできなかった。
まだ完全解決には至っていないが、心配していた2つの課題に、こうもあっさりかつ鮮やかに解決の見通しが立つとは思いもしなかった。
そして、俺の間の抜けた視線に気がついたのか、アユミは蓋の開いたうどん自販機を指差しながら、いつもの口調で話しかけてきた。
「……なんやシュン、ぼけっとしてんと早よ写真撮りや」
「ひ、ひゃいっ」
自分でも驚くほど素頓狂な声を上げながら、俺は言われるがまま湯切り用フラップ周りと、コインの識別機構周りの写真を撮りはじめる。
そうだ、俺もせめて今できることをやらなきゃ。
こうなってくると、もはやこの写真は単なる発注用の参考写真じゃない。
これからも人の腹を満たし続けるであろう機械の、未来を見届けるための記録でもあるんだ。
「婆ちゃん……他に部品切らしとる奴、ないか?」
「……ない……」
「……そうか。気になることあったら、何でも言いや」
――同時に俺は、そんな未来を創ろうとするアユミの姿を、カメラのファインダーに無意識に入れようとしている自分がいたことに気がついた。
◆
夕方に差し掛かり、今日の全体作業が終わった。
一通りの部品はシビックに積み込んでおき、残す行程は明日の自販機搬出のみとなったタイミングで、なんと今度はサヱさんのお宅での夕飯にお招きいただいた。
「うちのお好み焼き、中に入れるんうどんなんですよねぇ〜。友達の家はみーんな、パリパリに焼けるそばじゃのにさぁ……」
ミカさんは広い和室の畳にあぐらをかき、ニスの光沢を放つ木のローテーブルに肘をつきながら、俺の斜め前でつんと口を尖らせる。
テーブルの真ん中に置かれた、大きなホットプレートでは――豚肉とイカ、とろとろの生地とキャベツ、そしてうどん麺がこんもりと盛られた、真ん丸で厚みのある大きな2つの“お好み焼き”が、今まさにジュウジュウと音を立てて焼成されていた。
「すみません……なんか今日は俺たち、ひたすらご馳走になってばっかしで」
俺が申し訳ない気持ちでそう伝えると、今度は真向かいに座ったミカさんのお父さんが口を開く。
俺のオトンとはまるでイメージが異なり、黄緑のパジャマに身を包んでいても、すらりとした高身長で爽やかなパパさんだった。
「いえいえ、関西からこんな遠いとこまでお越しいただいたのに、何もおもてなしせんわけには……。それに、母がこがあに嬉しそうにしとるんはほんま久しぶりで、私も嬉しいんですよ」
そう言いながら、お父さんはコテではなくフライ返しを使い、慣れた手付きで大きなお好み焼きを華麗にひっくり返した。
アユミはというと、隣で少し畏まった様子で背筋を伸ばして正座し、無言のまま不馴れな状況に溶け込もうとしている。
さっきの半開放されたオートパーラーではよくても、こうした見知らぬよその家では、振る舞い方の勝手がどうも違うらしい。
俺はテーブルの端っこの座椅子に座るサヱさんが、昼間と変わらない表情のまま、ごく薄いオリーブ色の得体の知れない液体をグラスでちびちび飲んでいる様子を見て、思わずこう漏らしてしまった。
「お婆さん、嬉しそう……なんですか?」
「あはは、そうなんですよ。よう見たら、ちょっと口角が伸びとるでしょう?」
頑張って注視してみたが、分からなかった。
すると、奥の台所で次の生地を作っている奥さんの「分かるわけないじゃろ、私も分からんもん」という笑いを堪えるような声が聞こえてきた。
視線をお父さんの方に戻すと、その手には瓶ビールが握られていて、それを互いに遠慮し合いながらも俺が預かって、やがて傾けられた彼のグラスにゆっくりと注いだ。
「おっとっと……ありがとうございます。僕としたことが、お客さんに注がせてしもうて……。日巡さんと木立さんは、何か飲まれますか?」
「俺は、このあと運転あるかもなので遠慮しときます。アユミは……」
「う、ウチはええから、シュン飲みや。ウチあんまし強ないし……」
歯切れの悪い返事をするガッチガチなアユミを、ミカさんはじっと見つめながらこう言った。
「別に二人とも泊まっていけばええのに……私、アユミちゃんのピアスとかぶち気になるけぇ、その辺のお話したかったなぁ」
すると、隣からお父さんが間髪入れず、「ミカにピアスはまだ早い、ダメっ」と慌てた口調で口を挟み、ミカさんがそれに「えーっ」とぶーたれる。
奥さんの「そうよー」という声も台所から聞こえてくる中で、サヱさんは相変わらず静かにグラスを傾けてから、こう言った。
「……ようけ食べんさいや……」
そんな様子を、アユミは多めに瞬きをしながらキョロキョロと見回してから、こう答えた。
「……う、ウチらはもうアテがある、ので……」
……えっ、そうなの。
彼女の言う泊まりのアテが何なのかは俺も分かっていないが、今はいたく緊張している様子なので、ひとまずそれ以上の言及は避けることにした。
「そっかー。あーあ、私もアユミちゃんみたいなカッコいいお姉ちゃんが欲しかったんよなぁ」
「か、カッコ……て……その、あ……」
ミカさんの大きな独り言は、アユミにとって何らかのトドメに近い台詞だったようで、彼女はとうとうモゴモゴと口籠る他なくなってしまった。
それからほどなくして、カリッと焼き目のついたずっしり大きなお好み焼きの上に、食欲をそそる香ばしいソースが大きな匙でたっぷりと塗りたくられ、彩りの青海苔と、湯気と共に踊る鰹節がまぶされる。
そして、お父さんの手でそれがお皿にどんと乗せられ、「どうぞ、召し上がってください」の一言とともに、俺とアユミの前に置かれた。
「……いただきますっ」
「い、いただ……きます……」
箸で一口サイズに切った厚みのあるお好み焼きを、俺はすぐにパクリと頬張った。
気持ち辛さ強めな甘辛ソースと、安定のマヨネーズが合わさった、お好み焼きをお好み焼きたらしめるあのコテコテの味。
それでいて、ふんわりとした生地と熱したキャベツの甘みはソースに負けないほどしっかりと主張して、優しい味を生み出している。
豚の脂とイカの歯ごたえは疲労に染み渡るご馳走感を演出し、さらにはモチモチのうどんが、そんな多幸感をしっかり維持しながらもお腹によく溜まるので、食いでも抜群ときた。
とどのつまり――
「めっちゃうまいっ」
オーバーな表現でもなんでもなく、俺がそう口にすると、少し酔っているのかお父さんが顔を赤らめながら、こう言った。
「あはは……我が家の味、お口に合うたようで、ほんまえかったです」
それを聞いて、俺も、隣にいるアユミも、なんだかくすぐったいような心地よさに包まれていた。
そうしてしばらく、団欒とともに皆でお好み焼きを食べ進めていくなか、俺はさっきから――サヱさんが口にしているあの謎の液体が、どうしても気になっていた。
すると、サヱさんは視線に気がついたのか、グラスを置いてから何やらリアルな牛(?)の絵がラベルに書かれた、洋酒の720ml瓶をこちらに差し出してきた。
「……ズブじゃ……このまんま飲めるで」
「ズ、ズブ?」
聞きなれない単語に分かりやすく狼狽していると、お父さんの助け船と、ミカさんの横やりが差し込まれてきた。
「母さん、お客さんにそがいな度数のウォトカ勧めたら……」
「それ、元々お酒の運送屋さんじゃったお爺ちゃんとの、思い出のお酒なんよねぇ……ひゅうひゅう」
ラベルをよく見ると、そこには『ZUBROWKA』と書かれており、ズブなる単語の意味を理解した。
ふと、アユミの方に目を配ると、彼女は彼女で俺の方をじぃと見つめていた。
「……飲んでみぃてことか?」
「……どんな味するんかだけは気になる。……無理やったらええけど」
……思えば今日の俺、あんまし良い見せ場なかったなぁ。
実際、味は俺も気になるから……ちょっとだけ、いってみようか。
こうして俺は、ストレートのズブの注がれたグラスにゆっくりと口を付け、慎重に煽った。
口一杯に広がるのは……なんやこれ、桜餅!?
本当に桜餅のような、植物か何かの不思議な香りが、喉から鼻にツンと広がって――
舌が焼けるような感覚とともに、俺の視界がぼやけはじめ、眼前のお好み焼きが急激に棒状に伸びていった。




