32.赤城乳業 『ガリガリ君 ソーダ』
「どうしたもこうしたも……謹慎期間中に怒鳴り込んだんやから、そら社長代理に『厳重処分』や言われんのも、しゃーないわな……」
アユミは自嘲気味に、口角を無理やり持ち上げながら、そう言った。
「……そんな」
「まだ具体的にどうなるかは決まってへんけど……元々あの人にとってウチは邪魔もんや。体よく追い出されるやろうな」
「……し、社長は? なんか言ってへんかったんか」
「何も。ただ……グラサン越しとはいえ、あんな顔はウチも初めて見たかもしれん。まぁせっかく、2週間の謹慎程度で留めてくれとったのを無下にしたんやし……それもしゃーないわ」
アユミが言葉を言い切ったタイミングで、スマホから男性の棒読み声で『だ、だめだよ、そういうのは……』とセリフが流れてきた。
「……すまんアユミ。ほんまに切ってもらえるか、それ」
「……うん」
余計な音声が消え、車内は再びエンジン音と反響するロードノイズに包まれた。
「……シュン、心配せんでええ。ウチも十分あそこで稼がしてもらったし……もう、一人でどっかに住むくらいはできる」
「……アユミ」
「ドライブインにも、バイト期間が終わったらもう迷惑はかけへん。さっき高速入口にあった町くらい大きいとこやったら、何かしらの仕事もあるやろうしな」
――迷惑なんてことはない!
――ずっとうちで働いたらええ!
喉まで出かかったそれらの言葉も、他人事でないドライブインの経済事情、そして『終わりが近い』という現実が、ぐっと抑え込んでしまった。
「……そか。俺も次のこと……考えとかなあかんのやな」
「ん……嫌やけど、しゃーないわな」
「……しゃーない、のか……」
「まぁ、安心してやシュン。ウチ……ドライブイン居さしてもらう間は、全身全霊で仕事するから」
「……あはは、頼もしいわ」
未練を隠そうともしないまま、そのくせ俺に同調しようとするその言葉こそが、彼女のリアルなのだと感じた。
相も変わらずカーブ続きのこの高速道路で、彼女も俺も、明確な答えを出しきってしまうことなんてできない。
「……こんな時にすまん。次のパーキングで運転、代わってもらってええか?」
「……ええで。シュンにしてはよう走ってもらったし、ウチも飲み物ちょうどまた欲しかってん」
道路左手に、『P 1㎞ 帝釈峡』とだけ書かれた緑色の標識が現れたのは、ちょうどその時だった。
◆
運転席に座ったアユミは、ペットボトルの乳酸菌飲料を口に含んでからドリンクホルダーに差し、ぼそりと口を開いた。
「……ここもトイレと自販機しかない、めっちゃ簡素なところやったな……」
「さっきの簡易パーキングと違って、トイレも古くて無駄に広い空き地があったから……昔は栄えとったんかもな」
そう言って、俺も昔より小さくなったコーラのボトルを助手席のホルダーに差し、シートベルトをカチンと閉めた。
そして、シビックはやや荒っぽいスキール音を響かせながら、ほどなくして同方向、対向ともに車が着実に減りつつある本線に合流した。
「……シュン、また何か音楽かけるんか?」
「いや、ちゃう」
俺は煌々と光る手元のスマホのマップを睨みつつ、やがてこの先の道路状況を把握して、再び口を開いた。
「俺、さっきまでずっと3速で走ってたけど、場合によっては高速で2速に落とすこともあるんか?」
「……いや、普通はないな」
「そっか、的外れなこと聞いてスマン。こっから庄原ってところまで、えぐいアップダウンやらカーブやらが結構増えるみたいやし、2速に落とすことがあっても変ではないんちゃうかて、ふと思ってな。いや素人考えやけど……」
「……そか」
「……もしかしたら、ぼちぼちいい景色が見れるかもしれん。せっかくのドライブやから俺、しばらく外を見とくけど……かまへんか」
「……ん」
アユミのぶっきらぼうな返事を聞き届け、俺は左側車窓の外に視線を向けた。
ほどなくして、シビックは上り勾配かつ、高速道路には珍しい今までよりも急なカーブに差し掛かった。
真っ暗闇のなか辛うじて見える、道路横を流れる岩山がどんどん低くなっていく様子を眺めながら、床に踏ん張って遠心力に抗う。
すると、自然に速度が落ちていったタイミングで、一度エンジンが『フォンッ』と大きく唸った。
そして、さっきと大差ないスピードで走っているにも関わらず、それまでは軽快とすら言えた、車内を支配する音が――
3速では一度も出せなかった、あの甲高い叫びのようなエキゾーストへと切り替わり、この瞬間にその他一切が、無となって消えた。
「……ぐす……あぁっ……」
――それが下り勾配に差し掛かるたび、何かを啜ったり、息を吐くような音が微かに混ざるエキゾーストだったとしても、ちっともおかしくはない。
◆
それからしばらくして、俺たちを乗せたシビックは中国道のとあるインターチェンジを下り、そこからほど近い場所にあるコンビニの駐車場に停まった。
アユミは『便所いってくる』とひと言零して、俺を車内に残し、足早にコンビニへと向かっていった。
いや、だから言い方よ。
「……首、痛った……」
あれから一度もアユミの顔は見ていない。
俺はずっと真っ暗闇な窓の外を見ていたが、肝心の首を戻すタイミングを見失ってしまい、少なくとも30分以上は同じ体勢で座っていた。
目的地はもうそこまで離れていないが、外はまだ薄明るくなってきたくらいで、約束の時間にはまだ早いな。
そんなことを考えていると、外から足音がだんだんと近づいてきて、間もなく運転席側のドアが音を立てて開いた。
「……お待たせ、シュン」
顔を洗ったのだろうか。
そこには、いつもの無表情なアユミがいた。
――何かがどっさり入った、白いコンビニ袋を手に持って。
「……おかえり。あの、何それ……」
「朝飯……ガソリン代出してもらってるし、おごりや」
中を覗くと、カレーパンにチキンカツサンド、何種類かのホットスナック、つくねおにぎりにソーセージおにぎり、大きいカルパスにアイスなんかが山ほど入っていた。
「……うわぁ……重……」
「いけるやろ、ウチら若いんやし」
「……おおきに。俺、がんばるわ……」
「……ん。ぎょうさんしっかり食って、しっかり仕事すんで」
アユミはすっかり元(?)の調子に戻ったようだ。
それから俺たちは、下道での走行を再開したシビックの中で、このスーパーウルトラグレート朝飯にガツガツと食らいついた。
「俺……令和のエジソンなれるかもしれん。ソーセージおにぎりと、ひと齧りのカルパスをいっぺんに食べてみ。一口でほぼ1日の摂取許容塩分量に到達する快感……飛ぶで」
「……いや、ウチその食い方は無理や……」
「よう言うわっ、ガリガリ君とチキン交互に食っとるくせに」
「しゃーないやろ……早よ食わなアイス溶けてまうやん」
「自分で買うたんやんか……ってか器用やな! 運転しながら飯食えるて」
「慣れたら普通や……こんなん」
俺たちがアホなことを言い合ってる間も、周囲を流れていく木々に覆われた景色は、地元や中国道から見えるそれと大して変わりはなかった。
当たり前だが、広島にあるインターチェンジを降りたからといって、いきなり宮島や鳥居が見えるわけがない。
ここがいつもと違う場所だと強く思わせるものは存外少なく、強いて挙げれば『東広島』や『呉』、『出雲』といった地名の書かれた青看板が所々見られるくらいのもの。
木、木、パチンコ、木、廃屋、ラブホ、木。
生活色の強い地方のロードサイドなんて、どこも似たようなものだと思った。
「……シュン、あれちゃうか」
「あぁ、あれやな」
そして、そんな木々の並びの中にチラリと現れたのは、掠れた塗料で『オートパーラーサトウ 24時間営業』と太い丸文字で書かれた、円柱で立つカラフルかつ錆びた看板だった。
そして、駐車場と思しき雑草の生え散らかしたアスファルトの上にシビックを置き、二人で降り立つと、眼前には凸凹の鋼板の外壁をあしらった、古く簡素な平屋の建屋。
そして、大きな庇の下に屋外設置された、どれも現代ではほぼ見かけないような、年季の入った自動販売機たちだった。
正面にはトラロープだけが一本張られており、一部には落書きの被害にあっている機体もあった。
「これはすごいな……って、アユミ?」
俺が全体をポカンと見ているうちに、アユミはズカズカと雑草を踏み分けて、トラロープの前まで歩みを進めていた。
「……シュン、これ見てみ」
「なんやなんや、勝手に先々行ったら……」
彼女を追いかけて同じ場所に立つと、俺もすぐにある一点へと視線が釘付けになった。
「……もしかして、うどんの自販機って……これか?」
それは、俺がいつも目にしている白とオレンジの富士電機製うどん自販機ではなく……。
黄色いボディに、一部鈍い銀色の素地が剥き出しとなった――しかし、手描き風の絵と共に『うどん』とたしかに書かれた――俺が見たことのない、あまりに武骨な自販機だった。




