28.ブロードウォッチ 『21.5インチ LCDモニター』
――あぁ、目が痛い。
カイトくんに纏わる一連の騒動がひとまずの終わりを迎え、ドライブインをオープンしたことに伴い、俺とアユミは監視モニターのある狭く薄暗い物置部屋の中で、椅子を隣同士に並べて監視業務を行っていた。
そんな中、目頭を押さえて天井を仰ぐ俺に向かって、アユミはボソリと言葉を零した。
「……給料泥棒」
彼女がそんなことを言い出したのは、俺が監視モニターではなく、手元で煌々と光るこのスマホをずっと見続けていたからだろう。
俺は絞り出したような声で答える。
「カイトくんに潰された、休憩の振り替えや……」
スマホの画面に今映し出されているのは、県議会がホームページで公開している会議録のうち、今年8月に行われた定例会の議事録だった。
『産業労働関係』の項目から『観光戦略』もしくは『ユニバーサルツーリズム』、そして発言者と答弁者の検索項目を『伊澤佳孝議員』とかけることで、ある程度の絞り込みをかけることはできた。
しかし、この手の議事録の文章量はやはり膨大で、おまけにページテキストがスマホに最適化されていないため、流れていくちっちゃな文字の奔流は俺の目にすこぶるダメージを与えていた。
「デジタル庁は何してお金もらっとんねん、ほんまにもぉ」
「……さっきから口悪いで、シュン」
「キミに言われとうない」
悪態を零しながら深く息を吸って、再びスマホと向き合う。
いくつものページを繰って、月を跨ぐ。
『森林整備』だの『スノーステーション』だの、『神戸』だの『京都』だの、『交流』だの『文化振興』だの、ごくごくありふれた文字の暴力を乗り越えていく。
そして、10月の議事録を同様に流し見ていたとき――ある一文が、ふと俺の目に留まった。
「これが、公約にあった誘致の話か……なになに、“『あまねく、おもてなしを創出する』をアンビションに掲げた、東南アジアの最高級ラグジュアリーホテルグループが着目している、山陰地方一帯が提携したジオパークリゾート構想の候補地の一つとして、当『蘇我入温泉郷』が選出されております”……か」
「なんや、うちの学区……“温泉郷”て大層な呼ばれ方してんの」
「俺も知らんかったわ。ホテル誘致のために慌てて名前作ったんちゃうか、知らんけど」
正直、アホらしい話だと思った。
そりゃ、海外からでもいくらか人は来てくれた方が良い。
昨日はドライブインに100も人が押し寄せると困ると思い突っぱねたが、それが0のままであっても、うちは当然困るのだ。
しかし、あの海外向けパンフレットの提案もそうだったが、そもそもこんな日本人にすら見放され、枯れた土地のどこに海外観光客の需要なんてものを見出したというのだろう。
海外の人も、高級リゾート目当てにこんなところに連れてこられたら、呆れて日本に二度と来なくなっちゃうぞ。
やはりこの町は、うちくらいチープな場所がのんびりしぶとく生き残るくらいがちょうどいい。
そう思うと一気にバカバカしさがこみ上げたと同時に、俺は本当に目の限界を迎えつつあったので、スマホをいったん机に放りだした。
「アァ~っ、目が、目がぁ~っ」
「……お疲れさん」
俺が大げさに目を押さえ、パイプ椅子をぎしぎしと鳴らしながら頭をふざけて振っていると、隣のアユミからは素直な労いの言葉がかけられた。
「おおきに……アユミも慣れへん仕事で疲れたやろ」
「……ううん、平気や」
さっきまでのドタバタを思い出し、俺はモニター越しにスナックコーナーやゲームコーナーの分割された全景を、遠い目で見回しながら言葉を零す。
「まぁ、こんな大変な日は滅多に無いわ。力仕事に子供のお守り、普通はいっぺんに来うへんもんなぁ」
一方、アユミは何かを考え込んでいるようで、彼女は小さく喉を唸らせるように声を漏らしていた。
「……なぁシュン」
「ん、なんや」
「ウチ――やっぱり好きや」
「……ンッ!?」
ぼんやりとモニターの光を滲ませていた視界が一瞬で鮮明になり、俺はパイプ椅子が悲鳴を上げるほどの勢いでアユミの方を振り返った。
彼女の真剣な目は、モニターの中のある一点に向いているようだった。
「ウチ、自販機も車もゲームも……機械はぜんぶ好きなんやって、今日でよう分かったわ」
「あ……き、機械ね」
俺としたことが、自分でもよく分からない感情の揺さぶられ方をしてしまった。
……いや、なんでがっかりしてんねん俺。
アユミは幼馴染やぞ。
「……今日換装したガンダムのゲームな、ここだけの話……自分でもびっくりするぐらい楽しんでもうたんや」
「やろうなぁ、見てて丸わかりやったわ。そんだけ楽しかったんやったら、いい加減タイトル覚えたりや」
俺がそう言うと、アユミは顔を俯かせ、やがてそっぽを向いた。
「な……なんでもええがな、タイトルなんて。ウチが換装したゲームで、皆にも楽しんでもらえたんやから……」
「まぁ、それはそうやな」
「……そう、こんなに楽しいって思うこと、今まであんまりなかった。これも、“ゲーム筐体”っていう機械がくれた感情なんかなって、ウチふと思ってん」
今のアユミは、シビックに乗ってドライブした昨日と同じくらい饒舌だった。
「……ウチな。機械って、人間が持ってへんもんを後からポン付けするために存在するんやと思ってんねん」
「ポン付けて……そな乱暴な言い方よ」
「……少なくとも、ウチはそうや。昔、ウチがあったかいもん食べたい思ったら――このドライブインの自販機が、何も言わんとそれをくれた」
その言葉を聞いて、俺は監視モニターのスナックコーナーに映った白くてボロいテーブルに、10年前のアユミが小さな口で黙々とハンバーガーを食べていた、あの時の姿を重ねた。
「それから――社長の実の娘が帰ってきたときもな。あのシビックが誰とも喧嘩せんと、感情を吐き出す方法を教えてくれた」
今度は、さっきお巡りさんが言及しかけていた“去年のアユミ”のことを思い出した。
そして、空白の2年間のうちに彼女にいったい何があったのか、すっと腑に落ちた。
「ウチな、そんな機械に恩返しがずっとしたかった。せやから、ここの仕事も――自動車工場での仕事と、おんなじくらい好きや」
そう言ってのける彼女の艶やかな瞳には、モニターの明滅に合わせて多彩な色を浮かんでいた。
「……そか。そう言ってもらえるんやったら、俺も誘ってよかったわ」
「うん……ほんまに、おおきに」
「……」
――でも、何故だろう。
そんなアユミの瞳の色が全部、俺にはくすんで見えた。
「……シュン。今日来とったカイト、大丈夫やったかな」
「あぁ。胡散臭い先生やったけど……たぶん上手くいってへんだけで、あの人もちゃんと親であろうとはしてはると思うで」
「……やんな。それやったら……よかったわ……」
アユミは一言だけそう答えて、モニターに向けていた目をそっと閉じ始めた。
そして、彼女の頭が次第に船をこぎ始めたため、俺は短く言葉をかけた。
「――ええで。今日もここで見といたる」
ほどなくして、俺の肩にはアユミの透き通った金髪がふわりと乗りかかった。
すぅ、すぅと息が零れる様子を横目に、冷えた空気の中で確かに肩に感じる温かみは、機械のそれとはまるで違う。
俺は心の中で『休憩は1時間までやでぇ』などと誤魔化しの言葉を反芻させつつも、そんな彼女を起こさないよう慎重になりながら、再び机のスマホに手を伸ばした。
「あとはこの、10月分の続きだけ……」
そう、これさえ目を通せば、伊澤議員の去り際に感じた“公約”に対する違和感が、杞憂だったと胸をなでおろすことができる。
俺はそう信じて疑わなかった。
――“ホテル建設候補地につきましては、蘇我学区に位置する延べ面積21,804平米相当の土地の売却申し出が、今月始めにありました”
しかし、議事録の最後辺りになって――ふと目にしたその一文。
そして、それに続く内容を前にして、俺の胸は急速にざわついた。
“土地の現在の所有者となる女性は過去、京都における観光仲介業に深く携っており、著名な観光地でのオーバーツーリズムによる弊害と、それを忌避しようとする海外富裕層の増加を目の当たりにされています”
“また、当温泉郷の『奥座敷』としての需要には早期から着目され、当計画には深い理解を示されています。具体的な取り交わしは今後の――”




