27.ジョン・ロブ 『ウィリアム ビジネスシューズ』
あの興奮とバーチャロン旋風に包まれていたドライブインは、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
夜の深まりに逆らうかのように、アユミの手で筐体や自販機には次々と電源が入れられ、次第に色鮮やかな明滅と電子音に満ちた、いつもの空間が形成されていく。
スナックコーナーで俺と並び立っていたお巡りさんは、耳に当てていたスマホを下ろし、短く息をつきながら俺に向かってこう言った。
「先生、繋がりましたわ。今から20分後くらいに来はるそうです」
「そうですか、ありがとうございます。ウチのドライブイン、なんか変な誤解受けてへんといいんですが……」
「まぁ、大丈夫ちゃいますかね。私も……年甲斐も無く、警察学校の休みの度に三ノ宮のさんプラに通うてた、あの青春時代を思い出してしもて……いやはやお恥ずかしい話ですわ」
「あ、あははは……」
先ほどの光景を思い出して、乾いた笑いが漏れる。
目線をカイトくんがいる方に向けると、いま彼はファンくんと長楽がクレーンゲームに熱中している様子を、傍で楽しげに眺めていた。
一方、オープン作業に勤しむアユミは相変わらず無表情だが、目が上の空になりながらずっと「うー……」と唸っており、さっきの敗北がよほど悔しかったのだと窺えた。
「それにしても、ひよっさんの息子さんが帰ってきてはったなんて……私も知りませんでしたわ。お父さんも、さぞ嬉しかったでしょうな」
お巡りさんは口を開けて、ガハハと笑った。
「嬉しかった……オトンがですか?」
「えぇ、私はそう思うてますよ。あのバーチャロンの基板も、結構前に買うた言うてはったのに……『ワシはもう筐体いじる自信あらへんから、息子が帰ってきたら換装任そう思うねん』て、ずっと手付けてはらへんかったんですわ」
……なんやねんオトン。
帰ってきたときは、何も言わへんかったくせに。
「……そう、でしたか。まぁ、実際に筐体をいじったんは、俺じゃなくてあの子なんですけどね」
俺がアユミを指し示すと、お巡りさんは遠い目をしながら腕を組み、静かに口を開いた。
「……アユミか。去年まではえらい荒れとったが……こうして見ると、最近はだいぶ丸なりよったなぁ」
「えっ、アユミ知っとるんですか?」
「えぇ。手がよう掛かるんで、ウチでは有名やったんですよ。たとえば……ん?」
お巡りさんが何かを口にしかけたとき、ドライブインの外から差し込んだヘッドライトの光が一瞬、スナックコーナーを眩く照らした。
会話を中断し、俺たちが外を注視していると、やがて車のドアが閉まる音が聞こえた。
「……えらい、早いご到着やんか」
お巡りさんがそう零して、間もなくのこと。
アルミサッシのドアを静かに開けて入ってきたのは、落ち着いた紺のダウンジャケットの下に、綺麗なスラックスとシャツ。
そして、よく磨かれた革靴を纏った、40代ほどの細身の男性だった。
「夜分に失礼いたします……」
「……伊澤先生。蘇我交番、巡査部長の中橋と申します。夜分にわざわざお越しくださり、ありがとうございます……」
「あぁ、ご連絡を下さった方ですね。こちらこそ……うちの息子が大変、ご迷惑をお掛けしました。心より、お詫び申し上げます……」
大人二人が深々と頭を下げ、畏まった挨拶をしている様子を少し離れて眺めていると、伊澤議員は今度は俺の方を見て、にこやかな顔を浮かべながら近づいてきた。
「あの、もしかしてこちらのドライブインの方でしょうか?」
「え、あ、はいっ。俺、日巡と言います」
「そうでしたか! 私は伊澤です。このたびは息子が大変、ご迷惑をお掛けしてしまったにも関わらず、手厚く保護してくださっていたと伺っています……本当に、ありがとうございますっ」
「え……い、いえ。うちは別に特には……」
何だか、肩透かしを食らった気分だ。
伊澤議員の名前は知らなかったわけではないが、俺も帰ってきて間もないので、その人となりまでは知らなかった。
しかし、カイトくんがしきりに『おとうさん』のことに言及していたから、てっきりもっと……横柄な人が来るものだと、勝手に思っていた。
なんてことはない。
存外に腰が低い人だと、素直に思った。
「長年、私はこの町に住んでいながら、お恥ずかしいことに……こちらのドライブインには初めてお伺いをさせて頂いたんです」
「……そう、なんですか」
「いやはや、この昔懐かしい自動販売機に、時代を切り取ったような店舗の設え……とても素晴らしい所ですねぇ!」
それなのに、なんだろう――さっきから感じている、この違和感は。
「実はちょうど今、蘇我入温泉をフィーチャーした、海外観光客向けのパンフレット発行の施策を推進しておりまして……よろしければ是非、こちらのドライブインのご紹介もさせて頂ければと思うのですが、いかがでしょうか?」
伊澤議員はゲームコーナーには目を向けず、うどん自販機をはじめ、スナックコーナー全体を大きな手振りで指し示しながら、そのように提案を促してきた。
「海外向けのパンフレット……ですか」
「はいっ。我々は“公約”の確かな実現のため、県に対して日々さまざまな働きかけを行っております。先ほど申し上げたパンフレットも、その一環でして……」
伊澤議員の発した公約という言葉。
そして、蛍光灯に白く照らされた彼の大袈裟な手が、さっきまでハンバーガー自販機のあった空間と重なった瞬間――
『すみません、写真撮らせてもらってもいいですか~?』
俺は、SNS映えのために多数の人間によって幾度も行われた、あの虚しい撮影の光景を脳裏に思い浮かべた。
「――嬉しいご提案ですが、今回は遠慮しておきます。うちはそんな、大した所ちゃいますし……それに、大勢の人にいっぺんに楽しんでもらえるようなキャパもありません」
「そんなことないですよ。近年では、日本の一風変わったカルチャーなんかが海外インフルエンサーの注目の的となっていますし、ここは温泉からも程近いのでアクセスだって……」
「一風変わった……ですか」
スナックコーナーを見回していた伊澤議員は俺の顔を見返して、笑顔を崩すことなく話題を新たにした。
「もしご興味が湧いたときでも結構ですので、またご検討ください。それより……すみません、うちのカイトは今どちらでしょうか?」
「あぁ、カイトくんは……あそこですね」
カイトくんはすでにクレーンゲームコーナーを離れており、その手にドラえもんのぬいぐるみをひとつ抱えながら、オープン作業も大詰めを迎えていたアユミに話しかけていた。
議員はその姿を見るなり、溌剌とした声色で言葉を発した。
「――カイト!」
その瞬間、カイトくんはお父さんの方を振り向き、一瞬だけアユミのツナギをぎゅっとつまんだ。
議員は二人の前まで近づいて、まずはアユミの方に視線を向ける。
それに対しアユミは目を細め、じぃと彼を睨み返した。
次に、議員がカイトくんの方に視線を向け直すと、カイトくんは観念したようにツナギから手を離して俯く。
そしてしばらく黙りこくってから、持っていたドラえもんのぬいぐるみを震える手で差し出した。
「はぁ……」
電子音で騒がしいはずのゲームコーナーに、ひとつの大きなため息が響く。
議員はその場で屈み、差し出されたドラえもんを――そっと手で押し戻し、カイトくんに持たせ直した。
「……心配したんやで」
議員がそれまで発していた声とは、まるで異なる力の抜けた声を零すと、カイトくんは彼の顔を見上げた。
「……ごめんなさい」
そして、彼は小さな声で発した謝罪とともに、全身を議員の胸に預け、ダウンジャケットの生地をぎゅうと握った。
途端、アユミはそれまで細めていた目をポカンと見開いて、パチパチと目蓋を瞬かせる。
そうこうしている間に、議員はカイトくんの背中をぽんぽんと叩き、立ち上がって手を引いたまま、入口の前から俺たちに向かって深々と頭を下げた。
「改めまして、皆様には多大なるご迷惑をおかけいたしました。本日のご恩に報いられるよう、私どもは今後も町民の皆様の生活を第一とした、公約の実現に邁進して参りますので……何卒ご協力のほどよろしくお願い申し上げます」
そして、彼はそう言い残し、ほどなくしてからドライブインを後にしていった。
高級車の余裕のあるエンジン音が遠ざかっていくなか、俺は彼が掲げていた“公約”のことが、どうしても気がかりで仕方がなかった。




