24.PINARELLO 『SPEEDY』
「……今、なんか鳴ったか?」
「ひのへいやほ」
アユミは入口にじっとりとした視線を向けつつ、口にうどんを入れたまま、もごもごと話している。
いつもは外が良く見えるドアだが、今日に限ってはシートで目張りをしているため、ここから外の様子を見ることができない。
「まぁ、ちゃんと営業ストップの張り紙はしてあるし……気のせいやろな」
「んぐんぐ」
二人してそう示し合わせた矢先、今度は『バンバンッ』とさっきより強い音が響いた。
「ひっ! な、なんかおるでやっぱり……」
俺が甲高い声を上げ、腰を抜かしたまま身をよじって後ずさりすると、アユミは大きく「はぁ」とため息を吐きながら、丼を床に置いてゆっくりと立ち上がろうとした。
「まっ……まてまてアユミっ」
「なんやねん」
「く、クマやったらどーすんねんっ。いくらアユミでもクマには敵わんぞっ」
「クマて……瀬貝自工の熊さんか? あれはバッタが弱点や」
「んなわけないやろっ、自然のクマさんや! と、とにかくお、俺が行くっ」
「いや……でも自分、おもろいぐらい足ガクガクやん」
「見損なうなて。こう見えてもちっちゃい頃は『空手道』で遊んどったし、アマゾンで800円くらいの熊スプレー買うとる。取って来るわ」
「安すぎひんか……ホンマにそれ、熊ス」
俺はアユミが何かを言い切る前に、バックヤードに備え付けておいた『防熊喷雾』と印字された軽くて小さなスプレーと、寸胴鍋の蓋をダッシュで取りに行き、すぐに現場に戻った。
射撃兵装とシールドを完全武装した高揚感により、一時的に男の自信を取り戻した俺。
しかしドアに近づいたとき、外から再び『バンバンッ』と大きな音が鳴り、それまで威勢を取り戻していた俺の足取りが、一気に牛の歩みと化したことは言うまでもない。
おそるおそる、目張りのシートをチラリとめくって外を覗く。
外には、何もいなかった。
おかしいなぁ、おかしいなぁと思い……普段よりも冷たく感じるアルミサッシのドアを少しだけ、そぉっと、そぉっと開けた……。
――その瞬間、ドアの死角から小さな靴が隙間に勢いよく差し込まれ、思わず俺は腰を抜かしつつ終末の如き甲高い叫びを上げてしまった。
「きゃあーっ!」
「うわっ、さけび方キッショ!」
視線を虚空から声が聞こえた下の方に落とすと、そこには小学生くらいの少年が引きつった顔で、蔑んだ視線を俺に送りながら立っていた。
助けを求めようとアユミの方を見返すと、彼女は再びあぐらをかいてうどんを啜りながら、こちらをじっとりと見ていた。
「子供やアユミっ! なんで子供がこんな時間におんねん!」
「ひはんばは」
アユミはもぐもぐと頬を膨らませつつ、最後の一口のおあげさんを箸でつまみ上げながら、それを名残惜しそうに見つめていた。
そして、今度は少年の方が俺に声をかけてきた。
「なーなー、なんでここ閉めてんねん。ドアたたいてたんやから気づいてや」
「や、やかましいですよ。今日は改装作業やったんや……貼り紙しとったやろ」
「あんな高い所はってあんの分からへんわ。オレ小4やからよめへんし」
なるほど、小4……しかも人の事は言えんがコイツは年齢以上に特段チビに見えるから、そら窓から見切れてもしゃあないか。
「いやいや、小4の子がこんな時間になにしとんねん……はよ家帰らな。自分どこの子や?」
「かえらんわ。オレ、家出しとんねん!」
少年はなぜか、したり顔を浮かべながらそう言い放った。
「家出ぇ? それはまたなんで……」
「……おっちゃんに言うことちゃうわ」
その瞬間、眉間の辺りがひとりでにピクンと動いた。
しかし、俺は大人である。
努めて冷静に、屈んで目線を少年に合わせて、さらに声をかけた。
「いやボウズ、それは青少年保護条例が許さへんで……親御さんに連絡するさかい、連絡先教えな」
「いーやーでーすーぅ。それよりここ、ずっとゲームできるとこなんやろ? コースケよく来とるからしってるで」
コースケって誰やねん。
これはなんとも生意気で厄介な子供が紛れ込んだものだ。
少年の髪型はボッチャン刈りで、身なりは子供らしくカジュアルだが、羽織っている黒いベンチコートといい、真っ白なスニーカーといい、見たところどれも状態は綺麗でスポーツブランドのロゴもハッキリわかるようなアイテムを身に付けていることから、それなり以上の家庭の子のように思える。
『――帰れとか、かわいそうやとか言わへんから』
少なくとも、10年前の彼女と同列に扱うことはできない。
「……アカン、連絡先教えや」
「いやじゃ天パジジイ! おいだすんやったら別んとこ行くわハゲ!」
少年は意地でも家に帰る気配がなさそうな上に、こんな時間に一人でまた出ていく可能性すら示唆しはじめた。
さすがに、こんな時間に俺たちがドライブインから追い出し、一人帰らせたとなれば、どう考えたって大問題になるだろう。
それに、単純にガラの悪い連中や、クマに出くわしてしまう危険性だって大いにある。
それに俺は天パだが、ハゲではない。
かくなる上はだ――。
「……だぁーっ、わかったわかった! いいよ、しばらくここに居な」
「フン、いいんやったら、さいしょっから反対すんなよハゲ」
……クソガキィ!
グツグツと煮えたぎる地獄の釜のような胸周りを右手で押さえつつ、少年を入口近くに置いたまま俺は中を振り返り、いつの間にか筐体の準備に復帰していたアユミに小声で声をかける。
「アユミ、お巡りさんに連絡しといてくれ。あのガ……子供やけど、家出なんやて。臨場するまでは、俺が気を引いとくし」
「……連れ帰らすんか」
アユミの作業の手が、一瞬だけ止まる。
「……色々思うことがあるんは分かるが、あの子は帰らなアカン。それにもっとドライなこと言うと、今後のドライブインの経営のこと考えたら、このまま居させ続けたらマズいねん」
「……せやな。帰る所があるんやったら、そらそうや」
そう言葉を零してから彼女はそっと目を閉じ、スマホを取り出しながら立ち上がった。
そして入口の方を振り返ると――俺は男の子の姿が見えなくなった上、入口のドアが開いていることに気が付いた。
「あのアホ! どこ行っ――」
「なんやねん、チャリ入れてるだけやし!」
慌てて駆け出したのも束の間、少年は外に置いてあった自転車を押しながら再び中へと入ってきた。
「おまっ、誰が勝手に中にチャリ入れていい言うてん」
「やかましいなぁ、ええやん。オレのチャリ高いから、いつも中に入れてんねん」
よく見ると、その自転車は時折見かける所謂ロードバイクにも似たスポーツバイクで、ブラックのフレームにはブランド名だろうか、『PINARELLO』と白抜きで銘打たれていた。
「ここ、おかしてもらうわ」
「いや、食品の自販機やぞこれ……っておい!」
「あはははっ」
うどん自販機に立て掛けられた、スタンドのない自転車に気を取られているうちに、少年は入口のドアを閉めず、多種多様な筐体や実機にも目をくれず、一直線に店舗の奥の方へと駆け抜けていった。
マズイ、奥には――
「――す、すげぇ……ほんまにパンツや……」
死に物狂いで少年を追いかけたが、すんでの所で間に合わなかった。
彼はまるで、冬の張りつくような空気で澄み渡った満天の星空を眺めるかの如く、輝く瞳を大きく開いてパンツキャッチャーのガラスに両手をつけて眺めていた。
「そんなん見たらアカン、呪われんぞ!」
「いみわからん。それよりオジ……お兄さん、オレこれしたいっ」
「いやアカンに決まってるやろ!」
「おねがい……します! だってこのお姉さんがはいたパンツや……ですよね!? コースケがそう言ってたし!」
小癪にもたどたどしい敬語を使いはじめた少年だったが、オトンが適当に見繕ったであろうグラビアの切り抜きが、彼らに残酷な誤解を与えてることにふと気が付いて、俺は目頭が熱くなった。
「おねがいします、イケメンのお兄さん!」
「アカン!」
「いややいやや、オレお姉さんのパンツはどんなに親にねだっても、買ってもらえへんねん!」
「当たり前やろ! 親が買えるもんやったら俺だってねだっとるわ!」
そんな激しい舌戦の最中、両者の間に立つようにして――しゃがれたお姉さんの声が聞こえた。
「いやキッショイ会話してんなや、二人して……」
「ア、アユミ……いやちゃうねん、俺は少年が因数分解が分からへんていうから、分かりやすい例えで」
俺がしどろもどろになりながら、汚物を見るような視線を寄越すアユミに弁明を行っているそのとき。
さっきまで生意気な口を閉ざすことのなかった少年は、アユミの方をぽーっと見つめながら何故か硬直していた。
そして、アユミは俺の必死の弁明に耳を傾けることなく、少年の方を見て話しかけた。
「なぁ坊。あっちでウチと――もっと楽しいことしようや」




