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絶滅危惧種の深夜ドライブイン。夢破れた出戻りの俺と、VTECを奏でる幼馴染と。  作者: とむ


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2/20

1.ホンダ 『シビックタイプR EK-9』


 突如として視界に現れたのは、見慣れた染みに覆われた木張りの天井だった。

 遅れて、音量の上がりきっていたスマホのデフォルトアラーム音と、それが震えて畳にザリザリと擦れる音に気付く。


 ――おかしい。


 たった今まで、俺はフラッシュの飛び交う東京の内幸町にいた……はずだ。

 “PRESS”と書かれた腕章を付け、張り付いた表情のまま同じ発言を淡々と繰り返す疑惑の政治家から、真実を暴いてやろうと虎視眈々と壇上を睨み付けていたはずだ。


 あったはずのペンもノートも、いつの間にか手元から消えて、今はアラームを奏で続けるスマホの20:34という画面表示だけが、それ以上のことは何も語らず煌々と光っていた。



 真実を常に正しい道筋で追及すること。

 そして、悪い行いだけを正しく暴き、正しく発信していくこと。

 そうやって救える人が、この田舎を飛び出した広い世界に、もっとたくさんいるかもしれない。


 ついさっきまで、そんな気付きのきっかけとなった、10年前の出来事の確かな記憶からはじまり――()()()()()()()()報道関係者となった後の光景までが、ひとつの映像となって微睡みの世界に映し出されていた。


 どこからが、夢だった?


 とうに分かりきった答えを呑み込み、俺の意識は“ひよしドライブイン”の二階自室に、ようやく引き戻された。


 上体を起こすと、国道側の窓からガラス越しに飛び込んだ溢れるほどのヘッドライトの光が、暗がりのスカスカな部屋の壁紙を撫でるように流れていく。


 今は、とにかく働かなきゃ。


 胸の内でぐるぐると渦巻き、出口を失った虚栄心と、目頭に込み上げる熱いものを無理やり押し込んで、俺は着替えをはじめた。


 姿見には、もはや整える気すら起きないほどボサボサの天然パーマに、やつれた体躯の小柄な男が映し出されていた。



 狭いタイル張り厨房の、水垢まみれのステンレスシンクの前には、椅子がひとつ置かれている。

 ちょうどそこに、腹巻きと部屋着姿のオトンが、こちらに背中を向けたまま「どっこいしょ」と口にし、でっぷりとした身体をゆーっくりと下ろしていた。



「鍋は?」



 俺の質問に対し、オトンは振り返ることなく「もう洗ろた」とだけ返して、腰をさすりながらふうーっと深く息を吐く。

 そして、厨房入口横の戸棚の上、発注伝票と一緒に置かれた引き継ぎノートを無言で指差した。



「……分かった」



 俺もその一言だけを返し、厨房を後にした。

 


 それから、俺は最近になって設置したという監視モニターがある、狭い物置部屋の中に入り、扉を閉めた。

 そしてパイプ椅子を広げ、ぎしっと音を立てながら腰をかける。


 12画面に分割されたモニターのうち、映し出されるドライブインのカメラ映像は入口付近のスナックコーナー、ゲームコーナー、表の国道周辺を映した計7画面のみ。

 残りは全て暗転している。


 かつて、外の世界でたくさんの真実を知りたいと願い、報道の道を志した俺は――今はこうして、斜陽の真っ只中にある狭いドライブインの、その中だけを見ている。


 俺の長い夜が、これから始まる。

 ため息は、留まることを知らない。





 監視モニターとメタルバンドの腕時計を、しきりに見比べる。

 時刻は0:12を指し、まだ全体の四分の一程度の時間しか過ぎていないことを再認識した。


 歳を取れば月日の流れが早まるというが、数秒、数分単位での時間経過に限っては、それが当てはまらないような気がしてならない。

 

 いまモニターに映っているピアスまみれのヤバめな兄ちゃんも、一度スロットマシンの椅子に座れば、後は延々と大人しく流れ続ける3列の絵柄をじっと見つめている。


 昔から不思議だった。

 このドライブインには悪い意味で奇天烈な、多種多様な人間が集う。

 そのくせ、今までここにまともな夜間の見張りなんて置いたことがない。

 いま俺がこうして夜番をしているのも、オトンが俺の大学中退の知らせを聞いて、急ぎこしらえた仕事にすぎない、所謂お飾りのようなもの。


 にも関わらず、このドライブインでは過去、取り立てて大きな事件が起こったことがない。

 

 俺だって、怖いものは怖い。

 だから普通に考えれば、何のトラブルもなく安心安全な仕事ができるのは、何より喜ばしいことのはずだった。


 しかし、ここまで退屈な時間は――俺に再び半生を振り返る時間を与え、かえって自身の心を蝕んでしまう。



「――アユミ以外だったら誰でもいい。ヘンな奴、来てくれないかな……」



 すっかり東京のイントネーションに染まった独り言を溢し、俺はパイプ椅子の背もたれに深く身を預けた。


 耳を澄ませると、窓の外では秋の虫たちが代わる代わる音を奏で、それが時々車の走行音に上塗りされていく。


 しかし、そんな壊れたメトロノームのようなリズムの中で、俺はひときわ遠く、ひときわ甲高く伸びる、あの乾いた唸りが混じってきていることに気が付いた。


 身体を起こし、窓の外を眺める。

 ほどなくして、減速に合わせ猫を被りはじめたVTECサウンドの余韻を、周囲に撒き散らしながら凱旋したその車は――


 いつかと同じ、白く厳つい一台のシビックだった。

 


「……社長か?」



 後から知ったことだったが、あの夜に俺が啖呵を切ったおっちゃんは、町の車屋『有限会社 瀬貝自工』の社長だったらしい。

 車に縁のない子供の頃には知りようもなかったことで、補充の件をオトンに伝えたときに、初めてそう教えられた。


 それ以来、俺とアイツはずっとあのおっちゃんのことを、社長、社長と呼び続けていた。



「……っ!」



 でも、違った。

 車から降りてきたのは、一人の女だった。


 いの一番に目に飛び込んできたのは、根本の黒い地毛が覗く、所謂プリン髪となったミディアムの金髪。

 そのトップだけをたくし上げ、デコを出してラフなお団子にまとめた髪型は、耳を飾る無数のピアスと相まって、田舎ヤンキーの風体を色濃く打ち出している。


 身を包んだグレーの作業着ツナギのせいで一瞬分からなかったが、その痩せた身体と、何よりあの無表情に生気の少ない目は――間違いない。



「ア、アユミや……っ」



 思わず溢れた関西弁とともに、俺は咄嗟に身を隠した。


 いや、社長ちゃうんかい!

 な、何でアイツがシビックに乗ってるんや?


 様々な想いが交錯するなか、やがてあの夜とは真逆の“絶対に階段を降りてはいけない”という脅迫観念に、俺は一気に思考を支配されていった。



「ゴ、ゴホンっ」



 誰に聞かせるでもなく、わざとらしい咳を挟んだ。


 ここに居てたら、絶対に見つからへん。

 焦ることなんか、何もあらへん。


 そう自分自身を落ち着かせ、俺は再びパイプ椅子に座ってモニターを眺めることにした。



 やがて店内に入ってきたアユミは、スナックコーナーを映した画面の中に姿を現した。


 アイツ、一人の時はどうしてるんやろ……なんて思っていたのも束の間。

 アユミはスナックコーナーの画面内に留まったまま、うどんの自販機の前に立った。



「まぁ、そらそうか」



 あの夜以来、アユミはハンバーガーではなく、うどんを好んで食べるようになっていた。

 単に味が好みだったのか、律儀に社長の言い付けを守ったのか、その理由は結局ここを離れるまで分からなかったが。


 そんな彼女が、俺が一度この街を去った二年越しの今も、変わらずあの自販機の前に立っている。

 そこに妙な安心感を一瞬でも抱いてしまったことに、俺は首を横に振るほかなかった。



「……あれ、買わへんのか?」



 しばらくアユミの様子を眺めていると、彼女は自販機の前で硬貨を持って、固まったまま動かなくなってしまった。


 理由を推測するのに、そう時間はかからなかった。



「……しゃーないやろ、売り切れは売り切れや」



 聞こえるわけでもないのに、俺は突き放すように一人ごちた。


 あの自販機にうどんを補充するのは、朝と夕方の1日2回。

 いつもと比べて売り切れになるのは確かに早いが、多少客が多ければ……まぁこういうこともある。


 それに、あいにくハンバーガーの自販機は故障中ときた。

 まともに食えるものと言えば、あとはコインロッカー式自販機で売っているお菓子くらいか。

 飯目的ならあのシビックで20㎞ほど走って、隣町のコンビニにでも行った方がいくらかマシだろう。



「……いやいや、なんでやねん」



 しかし、アユミは帰らなかった。

 粗い画面越しでも分かるほどの気怠げな無表情は崩さず、しかしトボトボとした足取りで彼女はプラスチックテーブルに向かってゆっくり歩く。


 そして、椅子を引いて腰を掛け、やがてがっくりと肩を落とした。



「……え、依怙贔屓はできんぞ」



 うどんの補充方法は昔から見てきたし、最近は直接オトンに習いもした。

 封を開ければストックは作れる。

 だから、やろうと思えばできる。


 ――し、しかしだ。


 言葉にした通り、そもそもアユミ一人のために『バラで補充できます』みたいな前例を作ってしまうのは、店舗経営上のリスクがある。



 ……それに、なにより。


 俺はアイツに、どんな顔をして会ったらいいのか分からへん。



「……ううぅぅぅ……」



 様々な言い訳がない交ぜになって、頭を抱えていたそんな時だ。


 きっと偶々だろうが、こんなよくないタイミングで――


 

「――あぁ、もう!」



 画面越しに、アユミの目がこちらを向いた。


 瞳にはあの時と同じ、蛍光灯に反射した輝きがちらりと映っていた。



 気が付けば、俺は思い切り階段を駆け降りていた。



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