15.UPL 『初代ラッキークレーン』
監視モニターの明かりが照らす、物置の中。
窓の外が薄明のもやに包まれはじめた頃合いになって、俺はパイプ椅子をギィと軋ませながら、思いっきり全身で伸びをした。
「っしゃぁ~……こんなもんでええやろぉ」
深い息とともに言葉を吐き出した瞬間、頭上のこれ以上伸びないくらいの高さにまで達していた手から、握っていたスマホが思わず滑った。
「おべっ」
それはやがて俺の脳天にじんとした痛みを残し、スマホはそのまま額、鼻を滑って、机の上に見事着地した。
「し、集中力がもう限界やぁ……こんなんスマホでやる作業ちゃうで」
スマホには画像編集アプリの画面が映し出され、画面中央には例のホラー写真の背景部分を透過したものが配置されている。
そして、下部には『ひよしドライブイン』と書かれた白抜きのシャドー入りゴシック体文字が、ロゴのように並んでいた。
「透過はポチポチで簡単にでけたけど、意外に文字配置の方がスマホやと鬼門やった……うちの看板の字再現すんのに、めちゃんこ時間かかってもうたがな……ふあ」
今日も今日とて、あくびが漏れる。
昨日、アユミに伝えた妙案のうち、最初のとっかかりとなるデータはできたが……まだまだ先は長そうだ。
絶対に、これだけではまだ足りない。
それを分かっていながら、俺に今できることはもうない。
一周まわって心地よさすらある、そんな辟易とした気持ちに感情をぐちゃぐちゃにされながら、とりあえず俺はこのPNGデータをしっかりと保存し、あとは残り時間が過ぎるのを待った。
昨夜はアユミを早いこと帰したから、やけに夜が長く感じた。
深夜にもなると、新たなお客さんの来訪はさすがに落ち着いていたが、油断するといつまたあんなことになるか分からない。
当面のあいだ、俺はなるべく表に出ない方がいいだろうな。
そう思い、俺はまっすぐモニターと向き合うことにした。
◆
「……おはよう、オトン」
「……おぉ」
朝の交代の時間、こちらに背中を向けたオトンは、厨房ではなく自宅となっているスペースの畳の上で胡座をかきながら、ゲームコーナーの景品となる、透明の小さいカプセルに何かを詰める作業を行っていた。
「あれ、今日はうどん茹でへんのか?」
「補充はもう、客おらんうちに先にやったったわ。昨日みたいに囲まれたら敵わへんからな」
「……昨日はほんまにスマンかったな。俺が変な投稿したせいで、みんなに迷惑かけてもうて……」
「……ま、そういうこともある」
オトンは作業の手を止めることなく、落ち着き払った声色でそう答えた。
ナンテンの木で甲高く鳴くヒヨドリの声と、時おり響くロードノイズが、薄い壁を越えてやってくる。
同時に俺の胸の内は、だんだんと安らかな気持ちに包まれていった。
「……へへ。オトン、おおきにな」
「……」
「なぁ……ところで、さっきから何の作業してるんや」
「見りゃ分かるやろ。パンツ詰めてるんや」
あぁ、パンツなぁ。
……あ?
「……なんでパンツを詰めてんねん」
「アホ、キャッチャー以外あらへんやろ」
「キャッチャーて……あぁ? パンツキャッチャーのことか!?」
「何を息巻いとんねん。あんなもんとっくの昔から奥に置いとるやろ」
――それは店の最奥の薄暗いトイレ前に鎮座し、時代に取り残されたドライブインの中でも、ひときわ異様なオーラを纏う一台の老兵。
令和を迎えた現代においてもなお、妖艶で空虚な女性用下着を封印したカプセルがうごめく、狂乱の昭和時代の残滓を色濃く残した怪物。
どこから持ってきたのかも分からない、意味ありげな若い女性のグラビア切り抜きを筐体に貼りつけ、木目調の側面シートとギラギラした鈍色の金属素地を剥き出しにした、特徴的な見下ろし型クレーンゲーム。
あの1983年製ラッキークレーンのことを――俺たちは畏怖の念を込めて、“パンツキャッチャー”と呼ぶ。
「いや、あかんやろあんな特級呪物! 撤去や撤去、せっかく呼び込んだお客さん追っ払う気か!」
「おい、落ち着け落ち着けぇ」
「そもそも、あれがあるせいで俺、昔は友達をうちに呼べへんかったんや……オトンは息子とパンツキャッチャー、どっちが大事なんや!?」
「同じくらい大事にしとるに決まってるやろ、大袈裟やな。それに、あと一月でクリスマスや」
「く、クリスマスやからなんやねん」
「……よう売れるでぇ」
「売れるかぁ、あんな誰も穿いてへんパンツ!」
俺は悲痛な叫びを上げたが、その慟哭はい草の香りと朝の日差しに包まれて消えた。
やがて、オトンは人差し指を口に当てて、『シー』と声を制した。
……いや、やってきた“すごいミライ”がこんなんでええんか、オトン。
「……腹っ立つ顔やなぁ」
「なんとでも言い。それより寝えへんのやったら、座って手伝えシュン」
「断固お断りや。なんで睡眠時間削ってこんなアホくさい作業手伝わなあかんねん」
「まぁ、そう言うなや……。あれはああ見えて、西日本最後のパンツキャッチャーなんや。ここで失うてまうわけにも、いかへんやろ」
「……ったく」
こういうときに、さらっと断りにくくなることを言いよる。
俺は深いため息とともに、部屋の角に置かれていた赤い座布団をひったくるように寄せ、そこにズンとケツを置いてあぐらをかいた。
オトンの脇に置かれた、大量の下着が入った段ボールを見やる。
送り状の控えには、どこの国の言語かも分からない文字が羅列していた。
「……せや、オトン」
「なんや」
「俺、昨日こんなん思い付いてん」
そう言って、俺はスマホをオトンの方に向けながら、先ほど完成した例のPNGファイルの説明をはじめた。
「これを元に、アクリルキーホルダーみたいなん作ろうと思うねん。わりと他所も、自分とこのオリジナルキーホルダーとか作ってるし……」
「……」
「はじめは俺の代わりに被写体なってくれる、パネルとか置こうか思てん。せやけど、それじゃ利益にならへんから、こうやって下からかざしたら同じように撮影できるものを、表の古い汎用自販機で販売してみようか思てな……」
オトンは目線を手元のパンツとカプセルに再び戻し、変わらない声色で言葉を返した。
「やってもかまへんけど、あんまし一過性のもん過信すんなよ。お前はミニオンでもジバニャンでもあらへんねん」
「……そうよなぁ」
言われたことの意味は、よう分かる。
もちろん俺も、これだけで利益を出して人を捌こうとは思っていない。
何かのひねりが決定的に足りない。
これは紛うことなき課題で、一人物置に籠っても何も思い浮かばなかった。
俺は目線の高さまで上げた、ドピンク色でキツキツの柄付きTバック下着を両手で広げながら、深く息をついた。
「――ふぅん。そういうのが趣味なんや」
その時だった。
俺の背後から気だるい、しゃがれたあの女の声が聞こえたのは。




