12.サンリオ 『タオルハンカチ ナチュラルシリーズ』
――あぁ……やばい、あくび止まらんで……。
「……ふあぁ……」
外からちゅんちゅんって……すずめさんの声がするわ。
まだちぃと薄暗いけど、よぉう見たらもう早朝なんやなぁ。
昨日が雨やったからか、霧が立ち上がっとるのが……はっきり分かる。
こりゃ、蘇我入岳から雲海もキレーに見えとるかもなぁ……。
俺もひさしぶりに……また行ってみよかな……。
「すぅ……すぅ……」
アユミは……まだよう寝てるなぁ。
そっか……こんな顔して寝るんやなぁ。
意外に可愛げがあるもんや。
「……ねっむ……」
……それにしてもポップ、いっぱい貼れたなぁ。
どれもこれも、ちょいとばかし歪んどるかもしれんけど……愛嬌や愛嬌……。
ふふ……アユミ、起きたらびっくりするやろなぁ。
「……あかん、あかん」
そや、写真撮らなぁ。
ちゃあんと宣伝までして……お客さんにこのドライブインのこと、アピールせなあかん……。
せっかく昨日直ったんや……このハンバーガー自販機からいこう。
頭ふわふわーっとするけど、写真……かっこよくバチコーン撮ったらな……。
あ、イスに躓い――
「――おごっ!」
いってぇ……ハンバーガー自販機につっこんでもうた……。
ドジ踏んだなぁ……。
でも、自販機倒さんかったからセーフや。
――そうや、いま相当デカい音鳴らしてしもたけど、アユミは……!
「ん……すぅ……」
……よかった、ちょっとモゾモゾしとるけど……起こした感じはないなぁ。
あれ……鼻がなんか熱くてヘンや、手の甲で拭いたろ。
……あぁ、ちょっとだけ鼻が切れとるみたいや、血ついてもうた。
……なんかもう、フワフワして立つのもしんどい。
コイン投入口には手ぇ届くし、ぶっ壊してもうてないかのテストも兼ねて……チーズバーガーこのまま一個だけ買うてみるか。
……長くないのに、何故か長く感じてまう……こうしてハンバーガーの出来上がり待っとる時間も、存外ええもんや。
外を振り返ってみると、ちょっとずつちょっとずつ……明るくなってきとる。
薄霧が国道も木々も優しく包んで、すごいしっとりしとる。
東京じゃ、こんな景色……見られんかったなぁ。
あ、ゴトン鳴ったわ。
取り出し口のプラ蓋を開いて、カンカンに温まってふやけた箱を手で――
「あっつゥッ!!」
いやカンカンに温まりすぎや!
ぬかった……いつもやったらもっと警戒しとるのに……。
「……うぅ……」
あ、やばい。
今のでアユミ起こしたかもしれん。
い、急いで写真撮らな……。
もう座ったままでもええ、自販機を見上げる形で撮ろう。
箱からチーズバーガーを取り出して……。
自販機のイラストのおじさんが持ってる綺麗なハンバーガーとは似ても似つかん、ふにゃふにゃにふやけて……しわしわになったバンズ。
そこからハミ出す、申し訳程度の垂れたチーズ……これでなんとか、チーズバーガーやって分かるやろ……。
左手でバーガーを掲げて、右手でスマホを構える。
ポップも入るようにして……はい、チーズ。
「チーズバーガーだけにな……ガハハ」
「……しょうもな……」
あ……この気だるげでしゃがれた声は……。
自販機に背中を預け、座ったまま振り向くと――
椅子から立ち上がってポケットに手を突っ込んだアユミが、俺をじっと見下ろしとった。
「おはよう……すまん、起こしてもうた……」
「……寝てへんもん」
「……いや、いびき」
「寝てへんわ」
相も変わらず表情ひとつ作らず、そのくせ強情なやっちゃ。
まぁどっちでもえぇ……これで俺の見張りも完了やな……。
「……ってシュン、その鼻どうしてんっ」
「あー……?」
アユミがものっそい勢いで屈んで、目線を合わせてきた。
左手の甲でもう一度鼻を拭くと、まだ血が垂れてきとることが分かった。
ひと眠りして、気持ち丸くなっていたように見えていたアユミの目が、いつものようにキッと吊り上がった。
「あーやなくて、大丈夫か? 輩か、輩にやられたんかっ」
「いや、自爆や……そこの椅子に躓いて、こう派手にズコーンといってもうたわ、ガハハ……」
我ながら、間の抜けた乾いた笑いが思わず漏れた。
「はぁ、なんや……ったく、アホやな……」
アユミは頭をポリポリとかいて悪態をつきながら、ツナギのポケットに入っていたキティちゃんハンカチを取り出した。
「お、おいアユミ、なにしとん……キティちゃん血まみれになるでっ」
「ええから、じっとしとりや」
彼女はそう言って、俺の鼻をハンカチでそっと押さえてきた。
ともすれば、お互いの息がかかる距離。
頭はフワフワしたまま、ろくに働こうとせんのに……胸のあたりは妙に忙しくしとる。
そうして呆気に取られている中、アユミはもう片方の手で俺の右腕を取って、それをハンカチのもとまで運んだ。
「収まるまで、そのまま押さえとき」
「……す、すまん」
情けない……これ以上の言葉は思いつかんかった。
アユミの不安を少しでも取っ払うためにカッコつけたのに……結局、こうして心配をかけてしまうとは……。
それでもアユミは呆れるでもなく、俺の腕をつかんでいた手を放し、立ち上がった。
「アホは嫌いちゃう。ほな……な」
アユミはそう一言零したあと、振り返って出口に歩みを進め……ドアノブに手をかけた。
彼女がドアを開くと……片手をヒラヒラと振るその姿が、光の差しはじめとともに朝霧に包まれていった。
……遠ざかっていく、いつもはやかましいVTECサウンドが、今日は妙に安心する。
そのせいか……俺の意識は、いよいよ抗えそうにないほどの、本当に最後の微睡みに飲まれ始めた。
せめて……せめて、あとインスタだけは。
そう思い、自販機にもたれかかったままスマホでアプリを開いて、フィルターなど一切編集を加えることなく、慌てて写真を添付する。
そして、『あたたかいハンバーガーをどうぞ』と文字を打ち込もうとしたところで――
◆
「……起きや、給料泥棒」
――次に意識を取り戻したのは、床に寝転がっていた俺を見下ろしながら、呆れ果てたオトンの声を耳にした瞬間だった。
「す、すまんっ! でも、5時くらいまで起きとった! ちょっとしか寝てへん!」
「アホ、2時間はちょっとやあらへん。血相変えたお客さんが、『自販機の前で鼻血押さえたまま気絶した男がおる』て言いに来んかったら、あと1時間やな」
オトンはそう言って手をこめかみにあて、目を瞑ったままオーバー気味に首を左右に振った。
「そ、そんなに……」
「……家族経営やから労災は下りんが、病院代は払ろたるから行っとけ。寝とった時間分の給料は差っ引くけどな」
オトンはそれ以上のことは言わず、スイングドアのある方へと歩いて行った。
手には、血が固まってパリパリになったキティちゃんハンカチが握られている。
こうしてみると結構な血の量やな……アユミには、代わりのハンカチ弁償せなあかんな。
「……そ、そうや、インスタっ」
俺は完全に頭から飛んでいた宣伝のことをふと、思い出した。
なんか、送信したんかしてへんのか、めっちゃ曖昧なまま気を失ってしまった気が――
「……なんやこれ」
結論から言うと、投稿はすでに終わっていた。
“hiyoshi_drive_in”というアカウント名でアップされていた写真は、明るさが絶妙に足りていない中、|シワシワのよく分からない物体を掴む血まみれの手が、動きを感じるブレ方をしていた。
蛍光灯の光の幕によって不気味に浮かび上がった背後の自販機には、『死ぬほど熱い』で見切れたポップがチラ見えし、写真全体もどこか微ブレしている。
そして本文はというと、気絶寸前に打ち込まれた『あ』の一文字だけが、断末魔のように表記されてしまっていた。
この不気味極まりない投稿には、多くのコメントが寄せられていた。
『え、この人大丈夫?』
『これ事件では』
『熱すぎてほんまに死んでるやん』
『草』
『あ って何!?』
『こっわ』
『ホラーやめろや』
『なにここw』
『火事のあった泉南の廃ラブホらしい』
『誰か生存確認よろ』
そして、人生ではじめて目にした“いいね”の数は――1.2万を記録していた。
「……やっば。ヘンなバズり方してもうた……」




